January 2011

演奏会に視覚芸術を取り入れることの是非

昨日「ブルーライダー」と題した音楽会に行って来た。これは、1911年から1914年にカンディンスキー率いる画家が集まってミュニッヒを中心に行われた絵画の一派で、ドイツ語でDer Blaue Reiterと言うのを英語に訳した物だ。私は全く知らなかったのだが、カンディンスキーはショーンベルグと親しい友達で、第二ウィーン楽派の12音階技法に非常に傾倒し、自分が絵画でやろうとしている事を音楽でもやっている、と喜んだらしい。彼らは色々な芸術表現の方法を一つにまとめられないか、と協議し、ショーンベルグは自ら筆をとって絵を書きDer. Blaue Reiterの展示会に出品したりもした。昨夜私が行った演奏会はこの事にヒントを得ている。ショーンベルグや、彼の弟子で在ったベルグなどの作品、それからこれまたカンディンスキーが気に入っていたスクリャービンの作品などを、カンディンスキーの絵画を基にデザインされた光の投影を背景にピアノ独奏や、歌曲の演奏で行う、と言う物だ。 私はとても楽しみにして行ったのだが、ちょっぴり憤慨して帰って来た。 演奏会に他の芸術を取り入れる、と言う試みは色々なところがやっている。例えばロサンジェルス・フィルハーモニックは「トリスタン・プロジェクト」と名付けられた演奏会のシリーズで、ワーグナーのオケ曲を演奏しながら巨大なスクリーンに抽象的なイメージ(例えばろうそくの火が5分くらい近くなったり遠くなったりしながら写っている、とか、木のシルエット、とか、海、とか)を投影しながら行った。何だか訳が分からん、と言うのが正直な感想だった。他にも踊り子や振付家と共演する、とか、詩の朗読を曲の合間に挟む、とか色々な人が色々な事を試みている。 でも、音楽と言うのはとてもとても繊細な物だ。 掴みどころが無いから、いつも刺激を求める現代人には物足りないのかも知れない。でも、掴みどころが無いから受け止める一人一人が、その時に必要な物をそれぞれ受け止められるのであって、言葉で言えない位繊細で微妙な事を表現するのが、音楽のだいご味なのではないか。それをわきまえないでこう言う「共演」をしてしまうと、音楽はBGMになりやすい。そして、あくまで音楽を引き立てようと気を付けると、今度は視覚芸術の方が「??」となりやすい。 今回の演奏会は音楽も、視覚芸術もどちらも共倒れの大失敗だと私は思った。 まず、光の投影を効果的にするためか、客席は合法ギリギリの所まで真っ暗にされた。プログラムには歌曲の詩の訳しが在ったのだが、これでは全く読めない。さらに、舞台上にしずしずと出てきたピアニストと歌手は真っ黒のドレスを着て、プログラムの一番最初と最後に儀式の様にお辞儀をしただけ。曲と曲の合間に拍手をするな、とプログラムに書いてある。何だか、演奏が一種の儀式みたいなのである。聴衆が居ても居なくても全く変わらない演奏を、第三者として傍観している感じ。そして投影されるイメージはこれまた音楽との接点が何だかよくわからない、思わせぶりな抽象芸術。唯一ハッとさせられたのは、99%舞台上に集中していたこの光のイメージがぐんぐんと聴衆側に伸びて来た時。しかし、これが起こったのはベルグのソナタの最後のスクリャービンの「焔に向かって」の最後で、調性がはっきりと出て来た時だけだ。第二ウィーン楽派のこのプログラムで、調性だけが聴衆につながりえるものだ、と言うメッセージを伝えたかったのか?無調性の音楽は表現主義でもある、と思っていたのだが(カンディンスキーも)。。そして、演奏はと言えば、まるで光の投影に表現力を全て託してしまった様な、誰かの練習を聴いている様な、そんな風に訴えかける物に欠けた演奏だった、と私には思えたのである。 う~ん、酷評し過ぎただろうか。。。? 言いたい放題書いてしまった。失礼。 私の期待が大きすぎたのです。それにちょっと寝不足だったのです。

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テキサスでカルチャー・ショック

昨日の朝は高校生の作曲家のグループに自分の楽器について説明をする、と言うアルバイトが在った。 ピアノと言う楽器は一目瞭然な感じもするが、実は作りが複雑なため、結構遊びが効くのである。 例えば、楽器の中の弦をはじく、とか弦に物をはさむ、とかペダルの操作で何かする、とか。。 兎に角、そのアルバイトが終わった時の事。 「私、冬休みに婚約したの!」 修士一年目で多分間違いなく22歳くらいのフルーティストのジーナが指輪を見せる。 「え!? 本当?僕は冬休みに結婚したんだよ!」 このアルバイトを手配した、多分私より若い、チェリストのエヴァンがこれまた指輪を見せる。 「え!? 僕は6月に結婚するんだ!」 クラリネット奏者のブライアンが無精ひげをかきながら、ぼそっと宣言する。 何となく視線が私に集まる。 「わ~い、皆おめでとう! は。。。は。。。は。。。は。。。」 私は取り立てて報告することが無いので、とりあえず笑っておく。 その後ジーナと昼食をとりながら話をした。 ジーナはライスに来るまではニューヨークの音楽学校の学部生だった。 「ニューヨークでは独身が当たり前だったよねえ」 と言う私の誘導尋問(!?)にきちんと乗ってくれる。 「そう! こちらに来たら学生がジャンジャン婚約・結婚するし。 これはテキサス?それともライス? ライスでは教授の妻や夫が同じく教授だったり、何らかの大学関係の仕事をしているよね。 実に家族単位で起こる事が多いよね。」 ジーナはテキサスに引っ越したから結婚する運びになったのだろうか。 そして、私はテキサスで独身で、これからどうなるのだろうか。 皆一体いつ、どうやって、婚活、そして結婚しているのだろうか。 今週末私は実に4つのリハーサルを行い、最初に説明したアルバイトをし、 そして一つ、演奏会を見に行って(この事については後で書きます) 合間に練習、そして宿題、それから今週ライスで行われる入試の為に訪れている旧友とお食事、 さらに週日ではほとんど不可能な友達との飲み会をやって、 (料理人はだしの友達が何とてんぷらを作ってくれたのです。 キス、太刀魚、しいたけ、などなど―ほわほわで、かりかりで、この世のものとは思えない美味しさ!) 予定はぎっちりなのである。 う~ん、中々複雑である。 ちょっとニューヨークにホームシックだったりする。

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「ピアノの時間」エピソード#3が放映されました。

ロサンジェルスの日本語テレビ放送、Newsfield Telvision Broadcastで、 私が音楽についてピアノ演奏を交えながら語る「ピアノの時間」#3が放映されました。 次のリンクの9分40秒の所から13分52秒の所でご覧いただけます。 http://www.soto-ntb.com/program/2011-1-1/ 今回のテーマは「非和声音」です。 スケール以外の音を隠し味として使うことによって表現を膨らませることを言います。 曲は、モーツァルト作曲「きらきら星変奏曲」。 ハ長調で黒鍵を使わないテーマが、変奏どんどん進めていくにしたがい、黒鍵を交えて行きます。 これは1月16日の放送だったのですが、ご覧になっていた方から 「あなたの演奏をとても気に入った。CDを購入したい」 と問い合わせが在りました。 とても嬉しかったです。 テレビの威力、どこでいつどういう方がご覧になっているか分からない不思議、 そしてYoutubeなどインターネットに馴染みの無い一般視聴者と言うのも多くいる、と言う事実、 そう言った物をこの番組製作・放送に当たって学んでいます。

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目の下ぴくぴく

ここ最近、右目の下がぴくぴくと動く。 始めは無視していたのだが、一週間ほど続いており、鏡で見てみると目の下が本当にぴくぴくしている。 なんでだろう。 目の疲れ、身体の疲れ、心の疲れ? 心して健康的に日々を過ごすようにしているのだけれど。 今日はいつもにも増して、気を使ってみました。 朝は早起きして一番でジムに行き、ひと汗かいて、クラスに行き(ちゃんとシャワーは浴びました)、 お昼をどっしり、夕飯を軽くして、今日は早寝! 目の下のぴくぴくに関して何か情報をお持ちの方は、コメントあれ!

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オーケストレーションのクラス、その他今勉強していること。

かなり、勉強している。 人生今までで、一番集中して勉強しているかも知れない。 もっと若いころも勉強の格好を長時間していたことは前にも在ったのだが、 私は英語に自信が持てるようになったのがかなり最近だし、 もっと若いころは色々人生の悩みや邪念で、何だか何ににも集中していなかった様な気もする。 音楽で人生を生きていく、という覚悟もまだだったし。 今日はオーケストレーションのクラスが在った。 オーケストレーションと言うのは、作曲をする時、どの楽器をどこでどのように使うかと決める行為の事だ。 その為にはまずそれぞれの楽器の特徴や、技巧的な可能性を学び、 さらに、どう言う楽器の組み合わせがどう言う響きをもたらすか、 さらに、過去の巨匠はどう言うオーケストレーションをしているか、と勉強するのだ。 私は作曲家のオーケストレーションのクラスを取っているが、 演奏家がオーケストレーションを学ぶのも大切な事だ。 なぜなら色々な作曲家がどういう理由でどう言う音色を選んでいるか、と勉強することによって 自分の音楽的表現の幅が広がるから。 今日のクラスでは弦楽器の使い方と言うトピックで ムソルグスキーの「展覧会の絵」をラヴェルがオケ用に編曲した物を一緒にクラスで検証した。 今日の為の宿題は、モーツァルトの交響曲40番のメニュエットをピアノ用に編曲した物を見て、 録音を聞きながら、モーツァルトと同じ様にオケ譜に書きなおす、と言う物。 愕然とした。 今まで私は何を聞いていたんだろう。 この曲は良く知っているし、一楽章は指揮したこともある。 でも、このメニュエットのテーマをこんなにたくさんの楽器が弾いているなんて今まで想像もしなかった。 一見、弦だけで弾いている様に聞こえるのだが、木管もホルンも実は皆弾いているのだ。 そして弦に溶け込んで、実に複雑な、幅広い音色を作り上げている。 今更ながら、モーツァルトの天才に恐れ入る。 明日は「歴史的に正確な演奏の是非」と言う題名で、講義を受ける。 その為に4人の古楽器奏者や、音楽学者や、音楽歴史家、声楽家のエッセーを読んだ。 今学期は読む宿題も先学期の20倍くらい在る。 私は普段は滅多にそんなことをしないのだが、今日はカフェに行って一人でケーキを食べながら読んだ。 ちょっと楽しい気持ちになった。

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