March 2011

私はNYが大好きです。

私のお友達の彫刻家、在日系韓国人の呉さん(Kyu-Seok Ohさん)がNYのど真ん中、ネオンのまぶしいタイムズ・スクエアに紙で作った24匹の羊を設置しました。 http://nyclovesnyc.blogspot.com/2011/03/counting-sheep-by-kyu-seok-oh-at.html NYは音楽家を含め、色々な人生背景を持った色々な芸術家たちが集まって来るところです。 コルバーン時代の仲間の多くも今はNYに住んでいますし、 今回は4日間と言う短い滞在で在ったにも関わらず、 今はミネソタ州でピアノと声楽の先生をしている私の大学時代のルームメート、アリソンが たまたま同じ週末に用事が在ってマンハッタンにいたりして、 沢山の旧友と、セントラル・パークを散歩したり、お茶を飲んだり、美味しいご飯によばれたりしながら 心がいやされ、あらたまる様な、過去を振り返って多くの新発見する様な、 実に、実に濃い会話に沢山恵まれることが出来ました。 私はNYに実の家族の様に温かく見守って支えて、応援して、時にはハッパをかけてくれたり、 彼ら自身の人生への姿勢、頑張りや、目標に向かったり、逆境に抗ったりしながら 前進する姿で私を多いに触発してくれる素晴らしい友達が何人もいます。 それは、大きな財産だと思っています。 今、バスの中、ワシントンDCに向かっている最中です。 正午過ぎに到着したらすぐ国会図書館に向かい、リサーチとリハーサル。 ライスの仲間と再会です。

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ゴールドベルグ変奏曲

今年の夏ゴールドベルグ変奏曲を演奏する、と打ち明けた途端にびっくりして見せる同業者が多い。 私は今から考えれば物凄い無知の怖い物知らずだったので、何でびっくりするのか分からなかった。 確かにゴールドべルグは長い―繰り返しを全部やれば一時間以上かかる大曲である。 それから、これは2段鍵盤のハープシコード用と指定して書かれた曲で、 右手と左手が上下別の鍵盤で弾くことを想定して、 沢山交差したり、同じ音域で弾いたりするか所が在るので、 一段の鍵盤しか無いピアノと言う現代楽器で弾くと不都合がある。 そこまでの知識程度で挑んだのだ。 ところが。。。 これが物凄い曲なのである。 知れば知るほど、恐ろしい。 昔、息をして、食事をしていた生身の人間が書いたなんて信じられない。 単純に数字の面だけで言っても凄い。 有名なアリアが一番最初と最後に提示され、 その間にアリアのベースラインを基にした30の変奏曲が在る。 30の変奏曲はさらに、小さな3つずつの変奏曲に分けられる。 変奏曲1.舞踏曲、あるいはフーガなどはっきりしたジャンルに基づいた曲。 変奏曲2.手を交差させ、鍵盤技術を駆使する曲。 変奏曲3.カノン この3つ目のカノンがまたすごい。 最初のカノンは同じ音から始まる。 2つ目のカノンは2声目が1声目より一音高く、3つ目は2声目が1声目より二音高く、 と言う風に進んでいく。 その複雑さ、そして頭脳的な完璧さに反比例した完璧な美しさと言ったらこの世のものとは思えない程。 さらに、難しいのは歴史的正確さをどこまで責任を持って追及するか、という問題である。 バッハが意図した、当時の技法、美的感覚を再現することに徹するべきか。 それとも現代の美的感覚に訴えるべく、新しい解釈をするべきなのか。 ピアノ演奏をどこまでハープシコードに近づけるべきか。 それともピアノ演奏ならではの、ピアノの可能性を最大限に生かした演奏をするべきか。 さらに、数学的な完璧さ、と言うのは演奏家はどこまで意識する義務が在るのか。 余り意識し過ぎると、余りの恐れ多さに、解釈が出来なくなってしまう。 う~ん。凄い! 明日、NYの私の尊敬する恩師にレッスンをしてもらいます。

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