April 2011

自信を持つ、と言うこと

私は積極的に自信を持つ努力をしよう、と思います。 どういうことかというと、自分の行動や言動を一々振り返って(これでよかったんだろうか)、(こういう風に言った方が良かったんじゃないか)と迷いを持つのではなく、自分が決断してやったことは、例え短絡的に結果につながらなかったとしても、何か自分の意識化で理由があったに違いない、あるいは運命だったに違いない、と信じるのです。 例えば今、私は宿題をせずにブログを書いています。今週は今学期最後の週、ということで締め切りがどっさり。 12~15ページの音楽学理のペーパー、博士号教授法のクラスのペーパー、そしてオーケストレーションのクラスのためには金曜日までにピアノ曲を一曲書かなければいけません。本当は今、ねじり鉢巻きでがんばっているはずなのですが。。。なぜかブログを書いています。 こういうときに自分にイライラするのでは無く、大きく構えてみるのです。 (多分、私は意識化でペーパーの構想を練っているに違いない!)とか、(ペーパーの下準備は十分にもうできているから、今は少し距離を置いて、休憩を取るのが一番の得策!)とか。 そうなのです。この頃ずっとブログもお休みしていたし。 でも、やっぱりそろそろペーパーに戻ります。

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今夜は早寝!

ロスとヒューストンでは2時間の時差がある。 ヒューストンの方が2時間早く、ロスは2時間遅れている。 従って、ロスでの二泊三日は私にとっては非常に遅寝が続く毎日だった。 そしてロスから帰ってきてからは溜まっている宿題、練習、レッスン、と追われて 下校が毎日深夜近く、朝も8時には登校している日々が今日まで続いていた。 久しぶりにコーヒーを飲んだりして、がんばってきたが、 今日、クラスの発表会で初めてゴールドベルグを通して弾いた後、 友達と夕飯して帰宅したのが、今9時。 もう眠くてタイプをするのもつらい。 寝ます!

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ロサンジェルスでのチャリティーコンサート、大成功!

金曜の夜から日曜の午後までの二泊三日から帰ってきた翌朝です。 ロサンジェルスでは、「ピアノの時間」のまとめ撮り、 そして私のLA時代本当に良くして下さった 日本人・日系人コミュニティーの主催によるチャリティーコンサートの参加、 その合間に数人の友人と、とても意味ある再会、と 短いながらとても充実した滞在となりました。 ロスでの演奏会はリトル東京にある教会で行われ、 お琴、和太鼓、コーラス三つ、ソプラノ歌手、などなどが参加する ジャンルを超え、音楽を通じて日本への思いを熱くする素晴らしい会となりました。 そして義捐金が$11、492・22も集まったんです! 私はお金を成功のバロメーターにしたくなく、 いつもはとても意識してその社会的傾向に抗っていますが、 この金額を知ったときは本当にあんぐりしてしまい、そして物凄く嬉しくなってしまいました。 日本の損害規模を考えれば、この(私にとっては巨額の)金額でさえ、すずめの涙でしょう。 でも、こうして沢山の人が短期間でこの企画を実現に写し、 演奏家も演奏の準備をし、楽器の調子を整え、予定をつけて出演をし、 聴衆は寒い中(LAは今回寒かった!12℃とかでした)、わざわざ足を運び、寄付金を用意して そしてみんなが一丸となって2時間、日本のために音楽を通じて祈った! この事実に、勇気と希望を得て欲しい、と願います。 チリも積もれば山となる、です。 みんなで、前向きに、できることをできるように、やっていきましょう!!

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「ピアノの時間」エピソード#6が放映されました。

今回のテーマは「練習曲の美学」。 ピアノ曲のジャンルの一つである「エチュード(練習曲)」の発祥と由来、そして発展について少し述べ、 ショパンの練習曲作品25-1、「エオリアン・ハープ」を弾きます。 この日(4月3日)のNTBの放送は海外での日本支援に関する協議など、 日本の皆さまに興味深い話題が多いかも知れません。 ぜひごらんになって下さい。 ちなみに、私の「ピアノの時間」は8分30秒から13分8秒までです。 http://www.soto-ntb.com/program/2011-4-3/

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チャリティーコンサートの後。

私はまったく気がつかなかったのだが、チャリティーコンサートには全国ネットのテレビ局も取材に来て、演奏を録画していったらしい。月曜日の演奏会がこの世のものとは思えないほど素晴らしいと感じたのは私だけでなかったようで、出演してくれた教授や奏者から続々と「あの演奏会に参加できたのは私の一生の思い出となった」、「あの素晴らしい演奏会の一部となれたことは、非常に光栄に感じる」とメールが来ます。今日はもう水曜日ですが、廊下で呼び止められて、「用事で旅行に出ていたけれど、魔法の様な演奏会だったと聞きました。聞き逃してしまって残念ですが、せめて私にも少し貢献させてください」と小切手を渡されたり、「この学校の誇りとなるイベントでした」とお礼を言われたりする。校長先生にまで、「音楽が社会に置いてどういう役割を果たすべきか、しっかり提示してくれる、素晴らしいイベントでした。ありがとう」、とお礼を言われてしまった。なんだかくすぐったい。み~んなが一生懸命積極的に手伝ってくれたから、私は申し訳ないほど楽ちんだったんです。。。 演奏会の後、ライスのヴァイオリンの学生でモーツァルトのピアノ協奏曲おオケに入って一緒に演奏してくれたJちゃんが、私にハグしてくれた。Jちゃんは、金髪青眼の美しい女性だが、両親が宣教師として日本にずっと住んでいるため、日本の公立学校にずっと通っていた。したがってしぐさも日本語も、私よりも日本人である。私は普段は、日本人と会話をするときも英語が混じってしまう位、日常会話の大半は英語で暮らしている。Jちゃんは特に見た目がアメリカ人だし、Jちゃんと話しをする時は回りにいる人は日本語がわからないことが多いので、Jちゃんとの会話はいつも英語。このときまでJちゃんの両親が今も日本に住んでいることさえ、忘れていた。「そういえば、ご両親はどこだっけ?大丈夫?」と言う私の物凄くおくればせな質問にJちゃんは「うちは仙台なの」と日本人らしく控えめに答えてくれる。「え!本当!大丈夫だった!?」と私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。「うちは内陸のほうだったし、津波の影響もほとんど無くて、大丈夫だった」と謙虚に説明してくれるJちゃん。 地震の後、私は突然自分が学校一の人気者になったかと錯覚する位、色々な人に家族の安否を尋ねられ、心配してもらった。私はぜんぜん平気だったのだけれど「泣きたかったら、いつでも電話してきてくれていいよ」、と涙声で電話して来てくれた人もいる。私がぜんぜん平気だったのは、もしかしたらそうやってみんなが気遣ってくれていたからかも知れない。でも、Jちゃんは、その見かけから、日本で生まれ育って、日本に両親がすんでいるなんて誰も想像しなかったと思う。きっとそういう周りの心配も私の半分も受けなかったに違いない。悪いことをした。私よりずっと若いのに。 日本人である、ってどういうことだろう。私はもう日本を離れて22年になる。Jちゃんはまだ4年。でも、周りは私を明らかに日本人と見て、Jちゃんをアメリカ人と見る。世界中を感心させた、非常時の日本人の沈着冷静さや、その後の迅速な復興活動やを見て、私は今更ながら日本人であることに誇りを覚えたりするけど、Jちゃんはどうなんだろう。 演奏会の後、少し年配なおしゃれな日本人の女性から手を握り締められて、「ありがとう、ありがとう」と泣かれた。ちょっと離れたところには、彼女の夫らしきアメリカ人男性がいた。特にまだ国際結婚が少なかった年配の世代は、国際結婚後、日本人コミュニティーとまったくつながり無く生活する結果になった人も多いと思う。そういう人にとって、この遠い祖国の地震はどういう体験だったんだろう。ライス大学の図書館にある朝日新聞を毎日読みにくると言う、ミステリアスな日本人老婦人にも、このチャリティーのための広報を通じて出会った。彼女は「毎日、新聞を読んで泣いているの。あなたはまだ若いからわからないだろうけれど、戦後を思い出すのよね」と言われた。 色々なところに、色々な日本人がいて、そしてみんな日本を気遣って、一日も早い復興を心より祈っています。

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