2014

細切れ時間の有効利用

兎に角今、自由になる時間が少ない。 色々プロジェクトを抱えていること、 人生交差点にあってこれからの自分の音楽人生、そして私的人生の指針を考察中、 その為に色々な人に相談に乗っていただいたり、リサーチしたりと言う時間が多いこと、 相方の超多忙を補佐して、同行することが多いこと、など理由は色々あるのだが、 食事を取る暇が無いくらい、自由になる時間が少ない。 そんな中、お陰さまで今年14年目になる私の日本での演奏会は3ヵ月後に迫り、 パリへの再来訪・演奏、も半年後に決まり、 CD録音の企画が進み、 DVD作成の話しが持ち上がっている。 細切れの時間を兎に角効率よく利用しなくては。 パニックして時間をロスする事無いように、 常に今できること、達成しなければいけない目標を、明確に把握し、 出来ることをその時その時一所懸命に頑張る。 そして移動時間など、どうしようも無い時間はリラックスして 次に利用できる時間に最高の働きが出来るよう、 構想を練り、楽しみに仕事のことに思いを馳せ、 15分でも、10分でも、5分でも、 与えられた時間は飛び込んですぐ生産性を上げられるように頑張る。 そう言う日々です。 春満開。

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春、ですね。

Facebookで日本の友達の桜の写真を満喫して、ちょっとホームシックな今日この頃です。 お母さんのひじきの煮物と切り干し大根と納豆が食べたい! それからモズクの酢の物と、大根おろしにポン酢をかけたのと、きんぴらごぼう! ヒューストンはまだ気温の変化は激しい物の、 新芽の成長振りはすさまじく、すでに見た目は初夏。 さらに、オルゴールのような微妙に音痴な童謡をスピーカーで流しながら走り回る 夏の風物詩「アイスクリーム・トラック」が街を走り回るようになりました。 華やかな黄色の連翹、白いりんご、もくれんはまだですが、つつじは満開。 でもやはり桜が特別に感じるのは、私が日本人だからでしょうか? 私は小4、小5を病弱で過ごしました。 最初に脱水症状で入院した時は数日の入院だったのですが、 ずっと病院内で過ごした後、帰りの車の中で桜が非常にきれいに感じられ 感嘆していたら、母が多摩川の土手まで連れて行ってくれました。 桜を意識した、最初だったかもしれません。 その後の桜の思い出は実に多様です。 外国に居るから特に意識します。 NYの124丁目のリヴァーサイド公園の近くに「サクラ・パーク」なる物があって 数十年前に昭和天皇(だったと思います)がサクラを植えた、とかなんとか。 名前に反してサクラの木の本数は少ないのですが、 咲くと密かに愛しかった。 NYの日本人がツアーを組んで有名なワシントンの桜を見に行くのも、 昨年世界遺産に登録された富士山と同じように 桜が日本人のアイデンティティーとなっているからでしょう。 最後に。 私は非常な方向音痴なのですが、久しぶりに帰国した数年前の6月初夏、 時差で異様に朝早く目が覚めてしまった私はお散歩に出かけました。 そしたら全く帰り道が分からなくなってしまったのです。 朝焼けの中、気軽に道を聞けそうなお店も通行人も少なく、 外で消防車を洗っていた消防員さんに帰り道を聞いたら 実に親切に細かく丁寧に説明してくれました。 しかし、その目印が 「ここを左に曲がって右に曲がって云々かんぬん…すると素晴らしい桜並木があります。 絶対にすぐわかります」 私は(桜並木を道しるべにするなんて、なんて風情!)としか思わず、 丁寧にお礼を言って歩き始めたのですが、 勿論もう桜は咲いておらず… なぜ、6月の初夏の日に消防員のお兄さんも私も「桜、桜」と言っていたのでしょうか… 今日は全く音楽に関係の無いブログでした。

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プロコ3番の演奏で学んだこと

『演奏中の異常な集中力 → 意識の高揚 → スロモー現象』 「走る」と言う現象があります。 これは、演奏中なぜか、どんどん前転がりにテンポが速くなってしまうことを言います。 非常に一般的、かつ致命的な現象で、皮肉なことに難所ほど走りやすい。 これは何故なのでしょう。 『難しい』と言う意識が集中力をアップさせ、 その意識した集中力が時間をスローモーション状態にしてしまう、カラでないでしょうか? これは、球技ものの漫画などでそれまで見えなかった強敵な玉が「み、見える…」と言う場面や、 格闘技や戦闘漫画などでもやはりそれまで見えなかった強敵の技が「み、見える!」と言う、 あの現象と同じだと思います。 さらに本番中の緊張が高まるとこの現象は倍増します。 緊張すると、心拍が早くなりますよね。 あれは、体が勝手に状況を「命を脅かす危機」と判断し、 すぐにでも走って逃げられるよう、体を準備しているのだそうです。 この時の五感の鋭さを、先ほどの「集中」状態にプラスすると、 スローモーション現象はさらに倍増します。 しかし、この「走る」と言う現象が何故致命的か、と言うと クラシックの難曲の中の難度の高いパッセージと言うのは すでにもう人間の限界に近いところで挑戦している。 そこで、自分の時間の感覚が遅くなってしまい、 それまで一秒間に20音弾いていたところを 30音押し込もうとしても、それはもう肉体的に不可能、と言う状態になるのです。 意識的には、いつもより速く弾いているつもりは無いのに、 なぜか指がもたついてしまい、絡まってしまい、事故に至ってしまう… では、どうやって「走らない」ための練習をするのか。 本番は意識してゆっくり弾く、その為にゆっくりの練習を怠らない。 さらに本番を常に録音して、自分の緊張状態と「走る」現象の比例を研究する。 など、など。 こう言うことは私はもう何年も前に把握しているつもりでした。 が、今回のプロコフィエフの共演はこれ等の認識を新しい境地まで押し上げる、 貴重な学習体験でした。 演奏会場は500席ほどの美しい教会。 かなり響く音響で、残響が長いことから、指揮者とゆっくり演奏することを始めから約束していました。 本番前、自分の心拍がかなり上がっていることを自覚した私は (オケと指揮者を信じて、兎に角彼らのテンポに合わせる)と心に誓い、 舞台に上がりました。 しかしこれがもう私の我慢の限界を試すほど遅く感じられたのです。 16分音符のパッセージはまるでハノンの練習のように感じられます。 歌うメロディーは息が続かない! 音と音の間をどう音楽的につなげるか、必死に工夫し、 我慢と集中の限界がもう極限に達し、 30分弱の曲を演奏し終わった時には疲労困憊でした。 本当にメトロノームと練習しているような自覚しかなかった私は少々不完全燃焼で、 立って拍手して下さっている聴衆、 休憩中褒め言葉の限りを尽くしてくれる友達、先輩、そして先生が にわかに信じられませんでした。 ところが、演奏を聞いてみてびっくり。 確かに「速い」演奏では無い…あの教会の残響が無かったらもっと速い解釈も十分可能だったでしょう。 でも、コントロールが聞いている分、むしろ興奮度の高い、 かなり聞かせる演奏になっていたのです。 …これだったら、私もっと難易度の高い曲も全然いけるじゃん!? 突然、視野がぱ~っと広がったような体験でした。

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NY旅行は大成功でした!

今回のNY訪問は演奏家としても個人としても、大変充実した思い出深いものとなりました。 NYは私が13才渡米して最初に高校に通った隣接するニュージャージ州時代も数えると 2006年にロサンジェルスのコルバーン音楽院に入学するまで 私の成長期の全てを過ごした、私の第二の故郷です。 両親と妹が私が16の時に父の転勤に伴い日本に帰国してからは アメリカ人老夫婦の家にホームステーをして 週日は高校、土曜日はジュリアードに通い、 その後学部、修士、フリーランス・ピアニストとしてずっとNYで頑張りました。 ホームステイ先のニュージャージーの老夫婦は 友達などと話すとき私のことを「『娘』がどうした」とか、言います。 今では第二の両親のその老夫婦は今年90歳と79歳の誕生日を迎えます。 まだまだ元気で シーズン中はゴルフ、シーズンオフ中はボーリングをこなし 車も平気でどこまでも運転しちゃうし、家事も、ボランティア活動も精力的なのですが、 なんと言ってもやはり高齢。 先の年末年始は日本で過ごしてしまったので、 今回はゆっくり語らいあう時間を持てました。 私の成長を見守ってきてくれた色々な音楽愛好家や、スポンサーたちも 高齢化が進んでいます。 そう言う方々に私の博士課程の順調な振興と、演奏家としての成長を見ていただく、 本当に貴重な機会でした。 母は日本から、相方はヒューストンから、駆けつけてくれ、 この二人を、私のNYの大切なお友達に引き合わせる最高の機会でもありましたし。 演奏の機会は2回ありました。 一回目は東海岸に到着した翌々日の日曜日に行われた 音楽愛好家・兼スポンサー・兼私の応援団をもう20年近くやってくださっている もう親戚のようなご夫婦の個人宅で開かれました。 私は今年日本でも演奏予定の「ショパンToジャパン」の 予告編のような一時間のプログラムを披露し、 聴衆との質疑応答や意見交換を交わしながら、弾き進んでいく、 とても楽しい会に「参加させていただいた」と言う感じでした。 個人宅の気楽さ、聴衆がお互い知り合い同志と言う和気藹々さもありますが やはりアメリカ人のオープンさと言うか、 臆すること無く自分の意見や質問を提供して活発に意見交換をする、と言うのは 楽しいな~と、思います。 2回目は本当に久しぶりに協奏曲を弾きました。 しかも長年弾くことが夢だった、プロコフィエフの3番の協奏曲! 私は若い頃、協奏曲を弾く機会に本当に恵まれていた、と今になって分かります。 高校生時代からアマチュア・オケと弾き始め、 学部時代にはボリビア交響楽団とのボリビア国内ツアーで初めての演奏旅行。 また学校のオーケストラとバーバーの協奏曲も弾きました。 学部を卒業してからは、NYで「知る人ぞ知る」的存在だったJupiter Symphony Orchestraと 毎年2、3曲協奏曲を弾かせてもらい、さらにオケ・ピアノや、打楽器まで弾いたりしていました。 Jupiterは、「知られざる名曲」の演奏を提供する、と言う主旨で毎週演奏していたオケで 2001年に創始者と指揮者であったジェンズ・ナイガード氏が亡くなってからは 室内楽シリーズになってしまいましたが、ここで得た経験とレパートリーは大きかった。 めったに演奏されないラロやゴダード、Donald Francis Toveyのピアノ協奏曲や ドビュッシーの「ピアノとオケのためのファンタジー」、 レスピーギの「Concerto a cinque」などなど、沢山の曲を演奏させていただきました。

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ホームコンサート。

今日は16年来お世話になっている、 若いクラシック音楽家たちを積極的に応援している夫婦のお家で ホームコンサートを開きました。 今までも4回くらいこういう演奏の機会を頂いています。 いらしている20人位のお友達の多くが前の演奏会に来てくださったり, このお家で開かれるパーティーでお会いした親戚の方々などです。 「私は演奏会と言う者は演奏者と聴衆が音楽を通じて一つの時空と思い出を協力して創り上げる、 そう言う会にしたい、と思って演奏活動をしています。 質問、コメント、なんでもシェアしてください」 と言う私の呼びかけに、一曲目を弾き終えたところから、 暗譜の是非・私の博士課程に関してなど音楽一般に関してから 革命のエチュードに対する感動のコメントなどなど。 積極的に沢山の方々がコメントしてくださり、 本当に音楽を通じて一つの時空と体験を共有する会と成りました。 今日、音楽はどんどん簡単にアクセス・配布・流通できる物になりました。 ありがたみは減り、「使いすて」のように扱われてしまいます。 そう言う文化の流れの中で、生演奏の大切さと言うのは反比例して増徴していると思います。 ただ、それを認識してもらうのが難しい。 その為にはこう言うお互いの息の音がはっきりと聞こえる小さな会で 会話をしながら音楽会をする事の意義と言うのは計り知れない、と今日思いました。 とても嬉しい交流でした。

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