自分の本番を録音で聴く、と言う作業

自分の演奏の録音を聴くのは、自分の声の録音を聴くようなショックがある。 「え!?これが自分?」 例えば、自分で録音した留守電メッセージを確認のために聴くのが苦痛なように、 自分の演奏の録音を聴くのも、実に実に、気が進まない。 歯医者に行くのと同じくらいいやだ。 しかし、これが非常に勉強になるのである。 今日は誇りを持って報告しよう! 私は今週土曜日の自分のみなとみらいホールでの演奏録音を聴きました。 まだ30日にもう一度千葉美浜文化ホールで≪南欧の愛と幻想≫を演奏する。 その時に自己ベストを尽くすためにも、反省のためにも、聞かなきゃ… 土曜以降ずっとそう思っていたが、 今日火曜日にやっとその勇気が出たのは 聴衆の皆さまからのメールやFacebookメッセージのおかげである。 実は私は演目の一番最初に弾いたショパンの幻想即興曲は 壊滅、惨敗で、穴があったら入りたい、と思って弾き終えた。 普段、想定もできないようなミスタッチをたくさんして、 (自分はなんでピアニストなんて言う職業を選んでしまったんだ…)と 悲しい気持ちで舞台そでに引っ込んだ。 ところが、コメントで 「幻想即興曲が良かった」 「よく知った曲が熟考された新しい解釈で新鮮に聞こえた」 と言うようなお褒めの言葉を多数いただいたのである。 奏者の本番直後の自己評価が聴者の評と大きくずれることは、実際よくあることである。 私はそれで、録音を聴いてみる勇気と興味をいただいたのである。 (ご感想くださった皆さん、ありがとうございます‼(≧▽≦)) 録音を聴いてびっくり! 曲全体の印象を大きくゆがめてしまうくらいの破壊力に思われたミスは 一瞬の出来事でほとんど聞こえない。 確かに不安定さがあり、テンポが前倒しになり気味だが、 それが却って、不安な曲想を煽り立てている感じにも聞こえる。 そ、それにしても…速い! この話しはブログにももう書いたけれど、 極度の集中をしている時、主観的な時間がいつもよりもゆっくり流れる。 一秒が一秒以上に感じられるのである。 よく、格闘技の漫画などで、それまで速すぎて見えなかった相手の技が 「み、見える…!!」と言うあの瞬間、である。 しかし、音楽は時間の芸術である。 時間感覚のゆがみが非常に致命的になることがある。 一番単純なのは、 いつものテンポで弾いていると思っているのに実際はずっと速く 物理的に体の動きが追い付かない場合である。 例えば録音のスカルラッティのソナタで、私は腕の交差が追い付いていない。 (集中ができていない)とか(緊張しすぎている)とか演奏中は誤解してしまうが、 実際はもっと単純に、極度の集中で時間の感覚が変わり、テンポが速すぎるだけなのだ。 次に困るのは、難しいパッセージだけ集中度が増す、と言う現象である。 簡単なフレーズが続いて、急に難しいパッセージが入る。 そうすると、パッとテンポが速くなるのである。 これは私だけの問題ではない。 私の生徒、同僚、そしてプロの演奏でも良くそう言う現象は見受ける。 最後にゆっくり歌い上げているつもりが、 お客さんに感動する間を十分に与えていない、という現象である。 無声映画の時代の、ちょっとだけ早回しの映像で、 チャップリンがいくら泣いても滑稽に思えるのは、タイミングの問題である。 チャップリンは道化役だからそれで良いのだが、 音楽ではそうはいかない。 […]

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