知らない言葉で暗唱

「なんで日本のオペラ歌劇団が日本人の聴衆にドイツ語で歌うのか?」 二期会制作、モーツァルトの「魔笛」を録画鑑賞して家族で観たときの父の素朴な感想である。 …確かに… ただ、それぞれの言語の持つ独特の持ち味や文化背景もあり、 それを踏まえてその言語のために作曲した音楽をそのまま…と言うのがオペラ文化なのだが。 でも、訳して上演されるオペラも、少数派ではあるが、ある事はある。 大抵はこの頃は字幕スーパー付きで、原語で上演される。 が、歌手がそれではイタリア語、ドイツ語、フランス語、 そして他にも主流ではないがロシア語やチェコ語や云々を本当にしゃべれるのか、と言えば 建前上は勉強はしているのだが、もちろん多数の言語の中には得意不得意も出てくるし、 大抵の歌手は発音の勉強は音楽の一環としてやり、意味は大体ワキマエルと言うのが現実らしい。 そして器楽演奏も似た様なものではないか? 要するに、自分のしゃべらない言語で書かれた詩を暗唱するような。 その西洋音楽と言う言語への理解が深まれば深まるほど 詩への理解も深まり、そして簡単になってくるのだが、 それにしてもじゃあなぜ、自分の生まれ育った言語=音楽で自己表現をしないのか。 その問いの悲しい答えの一つは、 21世紀の日本人が日本人として生まれ育った日本特有の音楽が少ないから、と言うこともあると思う。 そして私たちは皆(そしてその中でも特に日本人は)チャレンジが大好きである。 西洋音楽のような複雑な音楽の場合、チャレンジは満載! 日曜日には地域の歌劇団(Opera in the Heights-素晴らしいグループ!)の上演する イタリアオペラ「Pagliacci」を見る幸運に恵まれた。 イタリアオペラの中でも「Verismo(現実主義)」と言われるジャンルを代表する悲劇で 1892年に初演された傑作である。 勿論イタリア語。歌手は全員アメリカ人。 でも、将来への不安と結婚への不満からついしてしまう不倫、嫉妬など 時代や文化、言葉の壁を超えた普遍的な人間テーマで どんどん引き込まれて、本当に舞台の上の人間模様に感動した。 原語でやるもう一つの理由は、 原語の壁を超えた共感 「人間みな兄弟」「音楽は世界の共通語」 と言うことを確認する感動があるからかもしれない。 さかのぼるが土曜日には、ヒューストン日本人会が主催する敬老の日イベント 「敬愛会」に参加し、数曲添えさせていただいた。 その際、出し物の一つとして琉球太鼓のグループのパフォーマンスを見た。 驚いたことに、グループ5人の中で少しでも日本あるいは沖縄の血が入っているとみられたのは一人。 後は全員、明らかに日本人出ない人たちであったのである。 しかも息をつかせない見事なパフォーマンスで物凄い気迫で息もぴったり。 異文化の伝統芸にこれだけ打ち込む外国人。 自分に共通するものを見出して、本当に嬉しくなった。

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