September 30, 2015

現代曲の譜読み

私はTexas New Music Ensemble(テキサス現代曲アンサンブル)と言う 去年創立されたNPOの創始メンバーのピアノ担当である。 テキサス州に関係のある存命の作曲家の曲だけを取り上げるアンサンブル。 来る11月、このグループ主催のピアノ独奏会を演奏する。 ライス大学を始め、テキサスにある主要大学音楽部の教授の曲が多い。 テキサスと言うのは政治的に、一般的には右寄りで保守的とされる州である。 キリスト教信者の数が物凄く多いし、キリスト教ベースの保守的な考え方 (例えば女性問題、アボーションの問題、同性愛者結婚問題などに関して)を 強く主張したりもする。 そのせいだろうか。 現代曲も、一番実験的、アヴァンガードなものよりはずっと 調性がなんとなくあり、ジャズっぽかったり、テーマがはっきりしていたり、 聴きやすいものが多い。 (今日のブログのテーマからはちょっと離れるので蛇足かもしれないが、 そういう風に見るとアメリカ東海岸はヨーロッパより、西海岸は東洋よりで 美的感覚で現代曲が随分違う。) しかし、それでも現代音楽。 新しいこと、斬新なこと、新しい見解などを打ち出す野心をどこかに隠し持った曲が多い。 と、言うことは正規のクラシックのような 調性とか、メロディックなテーマとか、そう言うパターンが見つけにくい、のである。 こういう有名な実験がある。 チェスのチャンピオンたちにチェスボードを見せる。 駒がゲームの途中のように並べてある。 彼らはこれを一瞬見ただけで、記憶できる。 ところが、同じボードに駒を全くランドムに、ゲームではありえない配置をすると どんなチェスチャンピオンでも全く記憶できないのである。 意味あるものは理解ができるから、記憶できる、と言うことである。 現代曲の多くは、このランドムなチェスボードを記憶しようとするようなものだ。 非常に時間がかかる。 でも、段々、段々、自分なりの意味づけが出来てきました。 でたらめ言葉を台詞にもらっても、 大役者なら何等かの効果を上げるだろう。 私だってプロのピアニスト。 音楽を創ってみせるぞ。 どんな材料でも。 そういう意気込みで読んでいくと、 段々作曲家の意図した音楽も見えてくる。 面白くなってきました。

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クララの練習法―

今日のブログはReinhard Kopiez氏による「Suffering for her Art: The Chronic Pain Syndrom of Pianist Clara Wieck-Schumann」(2010)を参考に書いています。 クララ・シューマン(1819-1896)は3時間以上練習をしなかったらしい。 同世代の同じような超絶技巧の神童たち、例えばクレメンティやチェルニーは子供時代から8時間以上の練習が日課だったと言うのに、である。大人のカーくブレナーは12時間、ヘンゼルに至っては16時間の練習が日課だった言う記述もあるようだ。 しかし、クララは父親の指導のもと、練習時間と同じ時間が散歩やストレッチの運動に充てられ、 そしてオペラ鑑賞や観劇、演奏会鑑賞に積極的に連れていかれた。 (その代り学校は「時間の無駄」と言う理由で数年で辞めさせられている) それなのに1857年くらいから演奏が不可能になるくらいの苦痛に何度も見舞われ、 1873年の12月から1875年の3月までは演奏を全く休み治療に専念している。 なぜか。 色々考えられる。 1.使いすぎによるケガ、と言う説 夫ロバート・シューマンが自殺未遂の後精神病院に入れられた1854年からあと、 クララは7人の子供を養うために演奏活動を活発にした。 ブラームスの第一協奏曲など、クララにとっては全く新しい超絶技巧を沢山取り入れた曲を練習し始めた。 2.何等かの感染による炎症、と言う説。 3.精神的なもの 面白いのは、どんなに演奏会が増えても、クララは3時間以上は練習しなかったようだ。 教えや子供の世話、家計の管理など、できなかった、と言うのが現実かも知れない。 しかしそれでも物凄い数の、初演を含む演奏をこなし、 膨大なレパートリーを自分の物にしていた。 肉体的苦痛が演奏に伴うようになったあと彼女は 「練習はピアニッシモで」とか「今日はメゾフォルテで」と言った記述を沢山残している。 演奏時と同じように弾くことが『練習』ではない、と戒められる気持ちである。

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