2015

音楽家として、社会に密接した活動をすると言うこと。

3月11日。 地震・津波からもう4年。 黙祷… ヒューストンに移住してライス大学で博士課程一年生だった私は 復興支援のチャリティーコンサートをヒューストンとLAと日本でさせていただいて、 それぞれのコミュニティーに多大なご協力と支援を頂いて、 音楽家として社会奉仕をする、と言うことについて考えるきっかけを頂いた。 そんな私のフェースブックにこんなヴィデオをシェアされた。 主にアメリカ在住の日系人がどのように復興支援にかかわっているか描いたドキュメンタリー。 在外の日本人としてどうやってこれから日本と関わっていくのか。 日本人ピアニストとして、どの社会にどういう働きかけをして、 社会に密接した音楽活動を行っていけるのか。 音楽家として非常に恵まれた修行・勉強する稀の機会を与えられた私は、 音楽の道を歩む上で非常な経験や旅行を沢山させていただき、 色々考えるきっかけと時間とスペースを頂いた、特権的な人間だ、と思っている。 それで培うことができた人生観や音楽観を どうやったら一番効果的に社会還元できるのか。 あれから4年、しばし考え込んだ一日でした。

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ピアノを弾くのは、簡単なんだ!!

子供のころ、私は挑戦精神が旺盛な子供だった。 「すごく難しい」とされることを出来るようになりたい。 ピアノの練習を頑張ったのはそう言うモチベーションもあったのかも。 でも最近、才能のある生徒さんをたくさん教えさせていただいていてつくづく思う。 教師の仕事と言うのは、 どうやったらより簡単に、より効果的に弾けるか、教えることだな~、と。 何時間も練習しても不可能に思えるくらい難しい曲やパッセージがあったら 何かが間違っている。 指、手首、腕、肩、上半身、座り方、重心、を効果的に使えているか。 考え方は理に叶っているか。 テンポは正しいか?(遅すぎて難しいと言う場合もしばしある) 正しい歌い方をしているか。 最終的には「作曲家の書き方が悪い!」とか 「間違っていたのは選曲でした!!」と言う結論に落ち着くかもしれない。 でも、つくづくこの頃思うのだ。 マゾのような長時間のがまんの練習は本当に不毛。 超絶技巧を身に着けるために運動神経を特訓するような練習にだって 作戦と、理性と、適正を応用しなければ。 盲目的にただ単に練習量をこなして何とかしようと頑張るピアニストがいかに多いか。 私もそういうピアニストの一人だったから良く分かるけど、 でも練習はすればするほど良いものじゃない。 効率の良い練習、そして効率の良い奏法、音楽づくりを身に付けよう! そして適当な練習をしつつ、豊かな人生を送るタイム・マネージメントの技術も。 豊かな人生の方が絶対最終的に良い音楽づくりにつながる、と言うのが この頃の私の信念になりつつある。

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サッカーゲームを観戦して思ったこと。

私の恩師にはスポーツ・ファンが意外と多かった。 学部生の頃の先生は 自分の個人生徒全員をヤンキースタジアムに野球観戦に連れて行ってくれた。 LAの恩師はテレビでのバスケットボール観戦に招待してくれ、 「この選手は最近スランプだがこういうコーチングを受けてスランプ脱出を図っている」 とか、「今の失敗は心理的なものだ」 「今のは筋力を使いきれて居なかった」 とか、(え、これは先生から私への指導の一貫…?) と思わせるようなコメントを多発した。 でも、実は私はスポーツ観戦はあんまり好きじゃないし、お金を払っていこうとは思わない。 その心理的背景にはもしかしたら (音楽家の平均年収 vs。運動選手の平均年収)と言う、 変なこだわりもあるのかも知れない。 そんな私が昨日はヒューストンのサッカーチーム「ダイナモ」のホームゲームを観戦したのは 婚約者のお客さまがご招待してくれたから、お付き合い。 …のはずだった。 が、開眼。 色々考えるきっかけになった。 私は昨日は学校で公開レッスンを教えており、 観戦はハーフタイムからとなったのだが、 まずびっくりしたのはBBVAスタジアムに近づいて聞こえてきた歓声。 4万人ほどの観客が地面を揺らす勢いで 「うお~~~~!」 と1分間に5回くらい波のような声を上げる。 スタジアムに入ったら、その5感の刺激にびっくり。 スポーツ観戦は飲み食いしながら行うらしい。 ピーナッツ、プレッツェル、ピザ、ホットドッグ、ビール、マルガリータ、 そういうものが通常の5倍から10倍の値段で売られているのだが、 それを買う行列は10分から20分。 そしてスピーカーから流れる音楽とアナウンスメント、 隣近所の完成は耳を刺激する。 私の後ろに座った2年生くらいの女の子は ひきつけを起こすのではと思われる勢いでスコアの度に悲鳴を上げる。 ヒューストン・チームにはみんなで応援し、 相手チームには「ブー、ブー」と、すごい勢い。 これはすごい連帯感。楽しいのは当たり前である。 さらに、球場を囲むスクリーンはありとあらゆる極彩色で 色々な宣伝やゲームに関する情報を流し、 実際のゲームが色あせて見えるほど。 昨日のゲームはシーズン・オープニングのホームゲームと言うこともあって ゲームの後には20分近くの花火のショーまであった。 太刀打ちできない。 クラシック・コンサートにお客が集まらないわけだ。 この集客力。この経済力。この企画。 さらに、私を考えさせたのは、実はクラシックも昔はこうだった、と言うことだ。 出し物が気に入らなければ、舞台に向かって文句を叫ぶ。 奏者が気に入れば、応援、掛け声、そして延々と続く拍手と歓声。 その連帯感。 そして連帯感をさらにあおるための演出に 主催者も、ホール側も、さらに奏者自身も色々な工夫をしたらしい。 いつからクラシックはこんなに真面目に、崇高に、儀式的になったのだ? 崇高で、真面目で、儀式的なクラシックを私は好きなのだけれど、 でもそのせいで客離れ… う~ん。

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情熱:北欧vs。南欧

今年の夏は日本に帰る前にマドリッドとイタリアに行く。 それも在って、今年の夏の日本でのリサイタルは『南欧の愛と幻想』と題し、 スペインとイタリアに関する曲を幾つか弾く。 イタリアは面白い国だ。 豊かな文化に恵まれ、実に音楽的な言語を持つ国なのだけれど、 イタリア出身の作曲家の大物はオペラに集中している。 (ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ、ベリーニ…) 現代曲にはダラピッコラとかべリオとかも居るけれど、 そして19世紀にはブゾーニも居るけれど 現代曲は私の日本でのリサイタルにはいささかそぐわないし、 ブゾーニはイタリア人と言うより国際人。 取りあえずスカルラッティのソナタを3曲ほど組んで、 あとはバッハ作曲『イタリア協奏曲』?リストの『巡礼の年』? ああ、そういえば! レスピーギが居ました!! スペインは19世紀からピアノ曲の作曲家が結構いる。 アルベニス、グラナドス、ファリャ… 面白いのは、一般的に『情熱的』とされるこれらの国のピアノ曲は 超絶技巧を要するものが多いのだけれど、私が思う『情熱的』とは少し違う、と言うこと。 私が思う『情熱』はドイツ的な、概念や哲学の観念に基づいた、 熟考された、一見わからないレヴェルの複雑さを含んだものだ。 まあ、要するに、ベートーヴェン、です。 そしてロシア的な『情熱』と言うのもピアニストには良く知られている。 ラフマニノフ、スクリャービン、メトネル… でも、南欧の『情熱』と言うのは、 クラシックで良く知られているドイツ的・ロシア的情熱とはかなり違う。 遊びがいつまでもある。 どこか、余裕がある。 「失恋して悲しい~!!!!」と叫んでいても、 自分がかっこよく見えるアングルをすごく意識しているような愛嬌がある。 この余裕は気候が温暖だから? 分からないけど、おもしろい。 とってもチャーミング。 楽しんで練習している。

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音楽業界でのパワハラ

今、この映画が話題になっている。 この映画がきっかけになって音楽学校での師弟関係の難しさの話題が多い。 レッスン室と言うのは防音加工をされた密室だ。 そこに閉じこもって行われるレッスンはしばしば先生と生徒、1:1。 パワハラだけでは無い。 セクハラも大きな問題だ。 しかし、とても狭い業界。 そして、将来の狭き門をくぐれるかくぐれないかの瀬戸際に在って、 声高に権力者を糾弾する人はほぼ皆無。 私、本を書こうかな...

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