April 2016

物を捨てる勇気

6日間、NJに居た。 私のアメリカン・ファーザーのエドが亡くなり、 アメリカン・マザーのジョーンが家を売りに出すにあたり、 25年間保管していてくれた私のピアノや物を片づけに行ったのだ。 本やCDは、友達が制作や執筆したもの以外は全て寄付した。 服は、これから演奏会で着れそうなドレス以外は全く執着無く捨てるか寄付した。 ピアノはヒューストンに動かす手配をした。 ピアノの次に大事なのは、約20年分の日記、演奏したプログラム、 推薦状やその他大事な人々との交信の記録。 昔は航空便箋でびっちり書いた。 そう言えば、そんな時代もあった。 日記は、嫌な事が続いた時期は私の字が縮こまっている。 逆に勢いづいている時は大きい。 そんな観察も面白く、始めは荷造りは遅々として進まなかった。 何を捨てるか、何を保存するか。 その決断の基準に、 今沢山読んでいる19世紀の交換文書とか、日記とかを反映させている自分に気が付いて 面白くなった。 私の手紙や日記をいつか面白く読む人がいるのだろうか? あるニューヨークの音楽愛好家の弁護士、George Templeton Strong(1820-75)が 律儀に15の時から2,250ページにわたって記した日記が その当時のニューヨークの音楽界を知る上での重要な資料となっている。 (勿論言及は音楽の事だけではなく、南北戦争などの記録としても重要)。 私の日記も今では間遠になったりもするが、 特に若いころはかなり熱心に書いていた。 ブログと日記は随分違う。 コンピューターでタイプをするのと、鉛筆で紙に手書きするのも多いに違う。 蜘蛛の巣と格闘したりもしながら、 自分の手書きに読みふけったり、 子供の頃の楽譜を眺めたり、 何だか感慨深い一時だった。  

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弾いてて注目を浴びる曲

空港で週一で45分のセットで3回弾く、と言うアルバイトをやっていて。 私たちの演奏を耳にするのは、道行く旅行者。 「クラシックを聞きたい!」と選んで聞きに来た人達では無い。 私たちには未知の聴衆である。 反応も未知。 しかも「チップス」と言う好感度バロメーターがあるので、面白い発見多々。 私の持ち曲での話しに限られるのだが、 でも人々が「お!」と立ち止まるのは 早いパッセージが多い、派手な曲。 例)幻想即興曲、ベートーヴェン「月光」の三楽章、ハンガリー狂詩曲2番、など。 それから名指しでリクエストはダントツでドビュッシーの「月の光」。 この曲は4,5回リクエストがあったが、他の曲はリクエストはクラシックの演目では皆無。 それからベートーヴェンの「悲愴」は 「昔ピアノやってた頃に弾いた」と言われる。 大抵中年の女性。 とても嬉しそうに報告しに来てくれる。 暗すぎて始め弾くのをためらったが、結構コメントをもらうので、最近は良く弾く。 シューベルトは遠まわしに聞く人が多い。 遠くで聞いてくれているのだが、特にシューベルト自身にコメントをする人は少ない。 リストの「愛の夢」とかは有名なのだが、 「きれいですね」とか言われても「リストが…」などと自信を持っている人はいまだいない。 スクリャービンの「左手のためのノクターン」はヴィジュアル的に面白いので コメントを言い残していく人達が居る。 「すごい!君は本当に極めたんだね!! 左手だけで一曲弾きとおすなんて!!(そういう曲なんです…)」 とか、 「これは、左手の練習のためにわざと両手の曲を敢えて左手だけで弾いているのですか?」 とか、私自身では思いつきもしなかった発想が面白い。 そして私には最高傑作に思えるバッハやベルグは… あんまり立ち止まってもらえない… 昨日は10か月くらいのまだ言葉をしゃべり始める前の赤ちゃんが 物凄い興味を持って、目をまん丸に大きくして、かぶりつくように聞いてくれました。 あんまりかわいかったので、一曲弾き終わってから モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」を弾き始めたら もうその興奮を持て余してどうしたら良いか分からないと言った風で お尻がノリノリにテンポを取り始めて、両手を高く上げて (ああ、もう素晴らしい!私はどうしたらよいのでしょう!!)という感じで こちらが感動してしまいました。 先々週は10歳くらいの女の子が突然、周りを気にすることを全くせずに踊り始めました。 特に上手いと言うのではないのだけれど、手を影絵の様な形に色々くねくねしたり、、 兎に角クルクルいつまでも回り続けたり、 何曲も何曲も「一生懸命」と言う感じで踊り続けて 周りを行く人をほほませてくれました。 後から「速い曲は早く動いてみたの」と 息を弾ませながら報告に来てくれました。

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