June 2016

自分の録音を聴いて次へのステップアップ!

やるべき事、と言うのは沢山ある。 片手練習、ゆっくり練習、弾かずに楽譜を勉強する、 ハーモニー・リズム・メロディーと要素を独立させ弾いて視点を新しくする、 声に出して歌ってみる練習、メロディーに台詞・曲に場面や物語を付けてみる練習、 他の人の録音を聴いてみる勉強法、などなど、などなど。 その中で自分が好んでやる練習とそうでないものがある。 一番後回しになってしまう、一番気が進まないのが、 今日私がやることに決めている、自分の録音を聴いてやる反省会である。 録音した自分の声に物凄く違和感を覚える方は多いだろう。 録音した自分の演奏、録画された自分の演奏姿と言うのは、まさにその違和感! しかも反省点が多すぎて(穴があったら…)状態になる危険性をはらんでいる。 しかし、本当に効果的な勉強法である事も確かで、私は今日はそれをやる! そういう事を一般公開してしまうのは、プロ意識に欠ける! …と思われる方もいらっしゃるかも知れない。 でも私は、自分の成長の過程もシェアする事で、 そういう事に興味がおありになることのお役に少しでもたてば、 そしてクラシック音楽への興味を持つ方が一人でも増えれば本望です。 今日聴くのは5月7日にヒューストンでやった独奏会。 21日(千葉は稲毛のジャズSpot「Candy」さん)、22日(三鷹のギャラリー「静」さん) そして25日にみなとみらいで弾かせていただく演目{『クラシック』って何⁉」。 「キラキラ星」変奏曲 1.テンポにばらつきがある。微妙に走るところがある。これは細かい音をはっきりと弾く事に集中して近視的になって全体像を見失うときにおこるんだと思う。常に歌心を忘れずに。 2.もっと12の変奏曲をまとめる構築をしっかり意識したい。短調の変奏曲をターニングポイントにするのか否か、最終変奏曲を始まった瞬間から「フィナーレ!」と言う雰囲気を持たせるためにはそこまでにどうやって持って来ていれば良いのか、変奏曲から変奏曲へ移行する時のタイミング、テンポの変化(あるいは一貫性)。そう言ったものを意思を意識でもってきちんと音楽的に決断しておく。 シューベルト「楽興の時」2番 1.フレーズの「問いかけ」と「応答」の関係がはっきりしなかったりする。フレーズと次のフレーズへのタイミングや音色の関係を、もっと全体的な方向性をはっきりと意識することで自然と明確にする。変ホ長調がヘ短調に移行する時もっと魔法のように不思議な感覚を。それで次に変ホ長調が嬰ヘ短調に変わる時の劇的さが更に強調されるはず。 2.長~く引っ張る和音の中にもちゃんとしっかりとした脈を持たせる。 シューベルト「楽興の時」3番。 音色の変化で際立たせるべき微妙な音楽的変化を表面的にタイミングでやろうとしている。基本的にこれは淡々と左手でもっと流れてかなければいけない。そして音色で表情を付ける。左手の「♪うんちゃ、うんちゃ♪」を表情豊かに淡々と弾く練習をメトロノームとして見よう。 ベートーヴェン「悲愴」一楽章。 ほぼ全てはタイミングで決まる!例えば「ここは粘るぞ」と決めたところで、最後の一瞬の粘りが足りない(すでに次のフレーズの事を頭で考えているのが原因)。それから勢いで弾いている時でも、どんなに速くても一音一音全てを意識しなくてはダメ(例えばオープニングの一番最後の半音階スケール)。連続音が続くところでは周りでどんなメロディーが歌い上げようが、どんな和声が意外な展開をしようが、連続音は時計の様に正確に刻むことに徹する。それで「非情」な感じが「悲愴」さを盛り立てる。 ベートーヴェン「悲愴」2楽章 誰がなぜ歌っているのか。それぞれのメロディーの性格をはっきりと決め、それに徹する。音域が違うさまざまなメロディーを全て弾き分ける。 ベートーヴェン「悲愴」3楽章。 もっとペダルをストイックに、隠し味のように使い、古典的に弾く。この楽章は控えめに弾いて「悲愴さ」をより盛り上げる。装飾音の最後の一音まで美しく転がす。 ベルグ「ピアノソナタ」 細かい音をもっとサラリとさりげなく弾く事で、全体像をもっとはっきりと出す。一々細かい事一つ一つに重要性を持たせ過ぎない。声部毎の練習とか、和音毎の練習とか、小節毎の練習とか、モティーフを一つ一つ意識して強調しながら弾く練習とか、分析しながら細かい練習でつめていく。

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演奏会で頂いて嬉しいもの。

昨日、成田に到着しました! 日本は美しいです! ラーメン屋さんのサインも、沢山の洗濯物が翻るマンションのベランダの数々も、 うっそうと茂る初夏の山々と、それに負けじと広がる住宅地も、皆美しい! そして、江戸川、多摩川と超えて実家に帰ってくる電車もうれしい! 郷愁、ですね。 さて、本当にお陰様で私の日本での演奏活動ももう16年目になります。 これは、本当に沢山の方々の心からのご支援とご協力に恵まれて初めて可能になったことで、 感謝しきれません。 私は南米、北米、ヨーロッパと色々演奏して回りましたが、 やはり日本での演奏は知り合いの方々が多くいらしてくださいますし、 色々なお心遣いを頂く事も多いです。 そんな中で一番うれしいのは...実は物では無いのです。 これはきれいごとではなく、本音です。 演奏会にいらしていただくと言う事は、 電車に乗って来ていただいて、演奏前か後、 あるいは両方に外食をしていただくことになり、 どうしても半日以上のイベントになってしまいます。 それにチケット代もある。 それでも来ていただける、しかも中にはほぼ毎年来てくださっている方々には 出来るだけ良い一日にしていただきたい。 私にお花やお菓子を持って来ていただくよりも、 お洒落なカフェでちょっとお茶をして来ていただきたい。 あるいは、普段滅多に会えない人と誘い合わせて、 素敵なお散歩やウィンドウ―ショッピングを楽しんでから来ていただきたい。 そして「楽しかった!来年も来たい!」と思っていただければ本望です。 私も皆さまと会場で音楽を共有し、演奏後にご挨拶するのを 毎年本当に楽しみにしています。

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ルイジアナ州での遠征演奏

昨日は私とデュオをしてくださっているクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんと 二人でルイジアナ州のLake Charlesと言う所まで遠征演奏に行ってきました。 Lake Charles出身で会場となる教会に通って育ったフルート奏者の方が もう29年間も毎年6月に4回開いているコンサート・シリーズに出演するためです。 片道2時間半のドライヴ。 でも二人共本当に最近忙しくって 麻衣子さんとは演奏会の企画・運営に関する必要事項のやり取りが主になっていた私たちは この機会にずっとゆっくりお話しを出来ることを楽しみにしていました。 現地でゆっくりするつもりで朝出勤ラッシュが落ち着いてすぐに出発。 おやつも用意して、ドライヴ中の景色は真夏の湿地帯。 うっそうとした緑がでも遠足気分の私たちには愉快です。 お昼はルイジアナで有名なケイジャン料理を食べます。 ガンボと呼ばれるごはんやソーセージや鶏肉を煮込んだ辛いスープや、 衣が辛い魚介類のから揚げ! ルイジアナ州はお食事が美味しい事で有名ですが、 旅情も在って本当に美味しく感じる! それから個人練習、録音機材のセットアップ、フルート奏者も交えたリハーサルと あわただしく本番までの数時間を過ごし、いよいよ本番。 Lake Charlesについてから、人々の警戒心の無い笑顔、ゆったりしたしゃべり方など、 麻衣子さんと感慨深く話し合っていましたが、 演奏後の帰り道で一番話題が盛り上がったのが、聴衆の集中度。 「打てば響く」と言うのが文字通りと言った、本当に素晴らしい聴衆で、 大人が、子供の用に目をキラキラさせて一生懸命私たちのトークや演奏を聴いてくれるのです。 そして、質問を投げかけると、大声で一斉に色々な答えを返してくれる。 ジョークを言えば、どっと笑ってくれる。 私たちもそれに触発されて一生懸命演奏しました。 帰りゆく聴衆に挨拶をしていたら、おじいさんが私たちによってきました。 「私は今年84歳ですが、一生で聞いた中で今夜のが最高の演奏会でした。ありがとう」 …これは、忘れない!思い出の宝物です。 そして佐々木麻衣子さん。 私の同志・助っ人・理解者・相棒・お姉ちゃん・最高のライヴァル。 私はどうしてこんなに素晴らしい人々に囲まれる幸運に恵まれているのか、 本当に感謝しきれません。 ありがとう。 帰宅時にはもうとっくにかぼちゃになっていましたが、 私は本当に幸せな気持ちでした。 明日は日本に向けて出発!

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一件落着

この前ヒューストンバレーのジゼルを観に行ったとき。 少しおめかしをして、うきうきして行った。 ヒューストンバレーの公演はWorthamオペラ劇場である。 吹き抜けで物凄く天井が高くて、内装もモダンでかっこよくてシャンデリアが一杯あって いかにも「劇場に来た!」と言う非日常性を醸し出し、ワクワクさせてくれる。 そこのロビーで警官に呼び止められた。 「失礼ですが」 警官に呼び止められると「私何、悪い事したかな?」とちょっとドキドキしてしまう。 「なんでしょう?」 「失礼ですが、あなた楽器を弾かれませんか?」 警官の方もちょっと緊張している感じ。 「ハイ、私はピアニストですが…」 答えたとたんに警官の顔が緩み、大きな笑顔から歯がこぼれる。 「覚えていませんか、私のことを!」 「ごめんなさい、ちょっとすぐに思い出せないのですが…」 「ほら、クリスマスの頃コンサートで護衛をしたでしょう?」 そうだった! 貧困家庭に保存食を贈るために入場料の代わりに保存食の寄付をお願いする演奏会で、 私はあのころまだストーカー騒ぎで、警官の付き添いが付いたのだった。 あの頃は演奏会がある度に警備の手配とか、大変だった。 あの演奏会も、(警備を雇うお金もチャリティーに回せたのに)と、 大変悔しい思いをしたのだった。 ああ、そうだった、そうだった! どの会場でも私の護衛に当たってくれた警察官は皆とっても優しかった。 そしてトイレに行くときもついて行ってくれて、ちゃんと外で待ってくれて 私を本当にお姫様のように大事にしてくれた。 演奏中は客席が全部見渡せる席に座ってくれて、 いつも私は演奏に専念が出来た。 でも、あんまり一杯色々な機会に警察官がいたし、皆いつも制服だったし、 その時は一人ひとりを名前で呼んでいたけれど、 でもその名前ももう全部忘れてしまった。 ああ、あれから月日が経ったんだなあ。 「あの件はどうなったのですか?」 「ああ、彼は牢屋に行きました。 出てきてしまいましたが、でもこれから5年仮釈放ですし、 私は接近禁止令で守られています。 もう安心しています。 あの時は本当にお世話になりました。」 「ああよかった、元気で居てくれたのなら良いのです。今日は嬉しい!」 もう、あれから一年以上経ったんだ… そして今、私は本当に元気で毎日練習と演奏活動と論文執筆に燃えている。 朝は走って、食生活を真剣に考えて、沢山笑って、将来が楽しみで、 幸せに、幸せに、暮らしている。 これも皆、沢山の人が、私がこうして事件から前進できるように 少しずつ少しずつ協力して、私の事を支援してくれたからなんだ。 彼がサイコパスだと分かってから、サイコパスについて色々調べた。 サイコパスは普通の人間と脳の仕組みが少し違うらしい。 人が痛みを感じているのを見て、自分も同情して痛みを感じたり、助けたいと思う、 そう言う人間らしい反応がサイコパスの脳にはおこらない。 サイコパスの傾向を持った人と言うのは圧倒的に男性が多く、 傾向を持っただけならば100人に一人と意外と多い。 そして、皆が犯罪者になる訳では無く、 例えば執刀医や軍人や政治家、会社の重役や金融関係には サイコパスの傾向を持った人が割と多くて、業績を上げたりするらしい。 サイコパスは人の痛みで自分が不快感を感じないから、

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楽器奏者は奴隷!?

昨日、Houston Balletの「ジゼル」を見ながら、凄い事に気が付いてしまった。 クラシックバレーと交響楽団はルーツをシェアしている。 「太陽王」ルイ14世の宮廷である。 ルイ14世はは1638年に生まれ1715年に77歳で死んでいる。 5歳に戴冠されてから死去まで、72年間と110日間、王座にあった。 この人がバレーが大好きだったのだ。そしてバレーにはオケの伴奏がある。 ルイ13世の時代(1610-43)からすでに「24人のヴァイオリン」楽隊は有名だった。 が、ルイ14世の時代では無くてはならない存在。 ルイ14世がいかに踊ることが好きだったか、当時の政治がいかにバレーに左右されたか、 そしてそれに非常に関わった作曲家のLullyと劇作家のMoliereの事が知りたければ 「王は踊る」と言う映画がお勧め! YouTubeでは日本語が見つかりませんでしたが、ちょっとだけダンスシーンをこちらで。 さて、この史実の私の暗譜に関する博士論文に於ける重要性とは。 暗譜の前にまず、装飾音を足したり、書いてる譜を元に即興したりしないで、 書いてある音をそのまま忠実に再現する、と言う行為が暗譜に先立つ。 それから、「作曲をしたい」と言う野心を持たない、弾くことに徹する奏者も。 これが実際に沢山必要になったのが、 オーケストラと言うのが確立した音楽ユニットになった時。 そしてバレーだって、群舞に於いては、振り付けを忠実に再現する踊り手が必要になる。 こういう風に書かれたことを忠実に再現する奏者(あるいは踊り手)が 「芸術家」と言えるのか? むしろ、奴隷では? 私が「奴隷」と言う極端な言葉を使うのには意味がある。 ボエティウスが現存する最古の音楽理論誌で音楽を三つに分けている。 ムジカ・ムンダーナ(musica mundana, 『天上の音楽』) ムジカ・フマーナ(musica humana, 人間の音楽) ムジカ・インストゥルメンタリス(musica instrumentalis, 楽器の音楽) かれはこの3つにヒエルアーキーを付け、 3つ目の楽器を演奏するものを 「楽器の技を見せびらかすことだけに集中し、 他には何の思想も論理も持たない、奴隷」と呼んでいるのである。 暗譜(と言うか暗譜を忘れる恐怖)は、音楽学生を練習へと駆り立てる。 授業なんかそっちのけで練習するため、 音楽の構築とか、和声の理論とかを学ばずに学部を卒業するピアニストは多い。 この人たちは幼少の頃から訳も分からずに覚えるまで繰り返すことで切り抜けて来ている。 しかし、「訳も分からず繰り返して覚える」と言うのは子供の特権。 Random Memoryと呼ばれる記憶力は13歳でピークを迎える。 それ以降はAssociative Memory 「意味付けで覚える」と言う記憶法で補っていかなければいけない。 しかし、音楽に意味を成すことを学んでこなかった(あるいは教わらなかった) ピアニスト達はどうして良いか分からなくなる場合が多い。 神童の多くが「ただの人」になってしまうのは、こういう理由も多い。 じゃあ、どうすれば良いのか? 暗譜と言うのは本当に音楽の習得・演奏に必要なのか? なぜ、ピアニストは暗譜で演奏をすると言う伝統が出来上がったのか? その歴史的背景は今この現在にも、当てはまるのか?

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