July 2016

至福のバランス

今週月曜日から三日間、缶詰で論文を書いていた。 朝、同居人と走る。 最近は暑すぎて汗がすごいので、 冷房の効いたジムでハムスターの様に機械の上を文献を読みながら歩く。 眠さが消えて、脳が活性化して来て、文献がぐんぐん頭の中に入ってくる。 (今日もやるぞ!)と思う。 その後は一日、論文に向かう。 ピアノも台所もある家で没頭できるのは最高。 読んだことを反芻しながら、鶏がらスープをコトコト煮だし、 おでん(スイカの皮入り!最高)とスイカの皮の漬物を作った。 論文を書き進めながら、煮詰まるとピアノに向かって譜読み。 今やっているのは、この曲、ベートーヴェンの「エロイカ変奏曲」。 グレン・グールド、天才! 今日の締め切りに合わせて3日頑張って、そろぞろ頭がぐるぐるして来た。 今日は2つレッスンを教えて、2つ論文のためのミーティングがあって、 その後夜は麻衣子さんとブラームスのクラリネットソナタを収録! 至福の毎日。 音楽人生万歳!

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書評:「ベートーヴェンと天才の創り方」

興奮している。素晴らしい本に出会った。 Tia DeNora著「Beethoven and the Construction of Genius」LA, University of California Press,1995 この本の内容は結論で出てくる次の文章に凝縮されている。 「ベートーヴェンの栄光とその栄光に至った音楽史の流れを、ベートーヴェンの音楽の結果だけとして、その創作活動に対する社会背景の影響を考慮しないのは、遡及的誤解である:これは、望遠鏡をさかさまに使っているような物、過去が現在に至るのは不可避だったと誤信を肯定することである。… 天才が社会的に構成されるものだと言う概念について言及する書物は少ない。特殊な天分の持ち主がある芸術分野に於ける論理を急進的に変換することが出来ると言うイメージには力強い説得力があり、解明の試みを拒絶する。例えば、私たちが偉大な物を見分ける判断力があると言う信念も根強い常識の一つだ。…結果、天才が社会的に構成されていく物であると言う歴史的検証はほぼ皆無である。」 To suggest that [Beethoven’s] success, and the particular configuration of music history to which it gave rise, was the result of his music alone and not of the interaction of that music with its context of reception is to employ

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ツェルニー再考(最高!?)

ピアニストのほぼ全員が「ツェルニー」を退屈で繰り返しが多く、 音楽的とはお世辞にも言えない練習曲の作曲家としてのみ知っている。 その結果、ツェルニーと言うのは音楽史に於ける「凡才」の代名詞の様に思われている。 この本では、ツェルニーの音楽史への多大の貢献の再考を試みている。 David Gramit編集。Beyond the Art of Finger Dexterity: Reassessing Carl Czerny Rochester, NY. University of Rochester Press, 2008 今までの音楽史と言う物は「偉大」とされる作曲や作曲家のみから 直線状の進歩を遂げる時代様式の変化を検証する、 と言う形が主だった。 しかし、音楽と言う物を作品ではなく、実際に行うものとして考えた場合、 ツェルニーの音楽史への貢献が多大だ、と言う事が分かる。 1.教師として ―リストの教師としてピアノ技巧だけでなく、作曲様式、即興など。(ここで問題になってくるのは才能は教えられるか、と言う質問である。ツェルニーはリストのほぼ唯一無二のプロ教師だが、その期間は長くない(1819年にオーディションの様な出会いがあった後、1822年から10か月ほどほぼ毎日、無償で教えた)。第4章James Deaville著 *ツェルニーは他にもこの時代の大ピアニストを多く教えた:(Grove Music Online:Döhler, Kullak, Alfred Jaëll, Thalberg, Heller, Ninette von Bellevile-Oury and Blahetka) ―当時の多くの女性アマチュア・ピアニストの教師として、また教則本の著者として ツェルニーは1805年に14歳でピアノ教師として働き始め、1815年ごろからは1836年まで朝の8時から夜の8時まで(P.26 )日曜日以外は毎日12人の生徒を教える生活を40代まで続けた。ツェルニーが1837年に書いた「Letters to a Young Lady on the Art of Playing the Pianoforte」を読解し、当時の女性観・ツェルニー自身の女性観・アマチュア観・ピアノ技術観・家庭内での音楽観を検証しているのが、、第五章Deanna

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ベートーヴェン=西洋音楽‼?

博士論文用に今読んでいる文献は「Beethoven Hero」(Scott Burham著)。 この本の趣旨は 作曲家ベートーヴェンと、その「困難に打ち勝つ英雄」像の音楽様式が いかに西洋音楽そのもののアイデンティティーとなったか、と言う事。 これを、ベートーヴェンの音楽そのものの学理的分析と、 歴史的背景の分析によって、なぜこの様な歴史的運びとなったか検証する、と言う物。 Scott Buraham著、Beethoven Hero Princeton, NJ. Princeton University Press 1995 第一章「ベートーヴェンのヒーロー」 交響曲第三番「英雄」の歴史的批評文とその背景の検証。 第2章「英雄的スタイルとその魅力」 何がベートーヴェンの音楽を英雄的にするのか。 1.ベートーヴェンに於いて意思伝達の媒体としての音楽が、 常識的慣習を超越し絶対的必要性を持った言語となる(ワーグナー) 2.革命的・劇的要素の使用「崇高」「疾風怒濤」非常識 3.意志的(強引な)テーマの発展。 第3章「ベートーヴェンと音楽学者たち」 現在私たちが音楽分析に楽理で使うテクニックは ベートーヴェンの交響曲やピアノソナタなどの「英雄的作品」を分析し、 ベートーヴェンがなぜ、いかに偉大かを説明するために確立された。 これ等の分析方法は、音楽を構築デザインと考えることを要求され、 最後までの発展の過程を全て把握して初めて可能となるので、 何度も曲を聴く(あるいは楽譜を読む)ことを必要とする。 ベートーヴェンの作品は聴者ではなく、作曲のプロセスの視点から捉える 例)A.B. Marx Satz vs。Gang  ― 発展する意思を持つ音楽 = 英雄的 Hugo Riemann 8小節単位 ― T-S-D-Tと言う和声進行を背景構造の調性デザインに投影させる Heinrich Schenker  Rudolph Reti Motivic Analysis ベートーヴェンはこれらの分析法を知った上で作曲していたわけでは無い。 しかしベートーヴェンを「理想」として開発されたこれらの分析法は、 この理想と同じように同じ分析法できれいに分析できる音楽を「理想」とし、 ベートーヴェンの後輩作曲家たちは、これらの分析法に肉付けをする形で ベートーヴェンを理想とした作曲をする、と言う動きが出始める。 さらに、分析法に乗っ取った聞き方、解釈が正しいベートーヴェンの受け止め方、となる。 第4章「ベートーヴェン、ゲーテの時代、英雄的自我像」 歴史的背景には『個人 対 運命』の当時の構図がある。 ①ゲーテの「We must not seek

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休養中ですが、刺激が多く段々ムズムズ…

4月ごろから本当に毎週末本番がありました。 毎週末本番があると言う事は、 週日には個人練習とリハーサルがある、と言う事です。 その上に教え、論文のリサーチと執筆とミーティング。 さらに演奏に必要な旅行とその準備。 今年は日本の帰国前後も、すごく強行軍だった。 日本に行く二日前にルイジアナ州まで車で片道2時間半の遠征演奏に日帰りで行って 日本に着いた翌日から二晩続けて夜遅くまで飲み会に参加し、四晩目から演奏。 時差ぼけを感じている余裕も無い感じのぎっしりでした。 本当に楽しく、ありがたく、過ごしていたのですが、 日本からヒューストンに帰って来てバタンキュー状態。 普段は朝型の私が昨日はやっとベッドから這い出してきたのが11時。 11時半に約束していた昼食のために、あわてて身支度をしました。 昨日は本当に食っちゃ寝日だったな~。 でも、とても充実した食っちゃ寝日でした。 昼食は、カンボジアで地雷撤去の仕事に携わっていたと言う女性のお話しを聞きました。 彼女がかかわっていたNGOのサイトはこちら: http://cmc-net.jp/html/rinen.html カンボジアでは例えばかつて多くいた少年兵は野宿をする際、 自分の一夜の寝床の周りに地雷を埋めて自分の安全確保をしたそうです。 年若い少年兵が自分で地雷を設置し、朝目覚めと共に撤去できるほど 地雷と言うのは手ごろで撤去も比較的単純だそうですが、 でも取り残しも数多く、 今でもせっかくマイホームを買ったら裏庭に地雷が…などと言う 深刻な状況も多々あるそうです。 そして、地雷撤去その物は簡単でも地雷の種類が何十種類とあり、 それぞれが撤去方法が違う、なども問題の複雑化をしているようです。 私は今、自分のスキルセットを活かして国際親善の様な事に関われないかと思っているので、 実際にこういう仕事に携わっていた人のお話しを聞くのは非常に刺激的でした。 夕食は、ヒューストン総領事公邸で開かれた 歌のリサイタルとそのレセプションでした。 木下美穂子さんはヒューストン在住で、国際的に活躍されているソプラノ歌手です。 ピアノ伴奏を務められた戸田輝彦さんは、 ヒューストン・グランド・オペラを始め ヒューストン界隈で指揮や合唱指導、オペラ伴奏などでご活躍なさっている方です。 至近距離で聞くオペラと言うのは、音波が肌で感じられる迫力があります。 良く知っているアリアを沢山取り上げてくださったリサイタルで、 最後はノルマのアリアで総領事ご夫妻、日本人会会長を始め、 聴衆全員が笑顔で総立ちの、素晴らしい会となりました。 オペラと言うのは、音楽と言う媒体の中では器楽演奏とはかなり違う物です。 極端に言えば、クラシックピアノとクラシックバレー位違う芸術分野。 でも同じヒューストン在住の日本人と言うご縁で オペラの木下さんともヒューストンバレーでご活躍なさる皆さまとも 親しく交流ができる。 そして言葉を交わしながらその訓練の賜物に触れ、 そこで培った芸術観や人生観のアイディアを交わし合う機会がある。 そして同じ在外日本人のよしみで、 外交に関わる方々や各業界で重役を務める方々と親しく知り合う機会を得、 こういう方々のご支援を受けさせていただく。 特別に恵まれているな~、と思い、 それを活かせる活動をしたい!しよう!と思います。 しかし私は頑張るのが好きな頑張り屋さん。 火曜日の夜にヒューストンに帰って来てから今日で5日目ですが、 そろそろこういうのんびり生活も満喫しきって まっしぐらに頑張りたい意欲が、こうしてブログを書いていてもどんどん募ってきます。

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