July 2016

「『クラシック』って何⁉」@美浜文化ホール、7月8日(金)18時半開演

日本では最後の「『クラシック』って何⁉」。 今年の演目は本当に色々な方に心から喜んでいただけた、と言う自負があります。 特にサロンではお客様からの質問が止まらない、私もトークが止まらない状態。 私も本当に嬉しく、本当に楽しく、汗をかきながら音楽と音楽観のシェアを楽しみました。 今週の金曜日、7月8日(金)が日本では最後の「『クラシック』って何⁉」になります。 千葉県の美浜文化ホールと言う美しい音響の大好きなホールで 「平田真希子応援団」の感謝しきれないサポートの元、18時半の開演です。 達成感と満足感と幸福感の中にはちょっぴり寂しさも混じっています。 このテーマでもっともっと弾きたい!と言う気持ち。 せめて一人でも多くの方にお越し頂けますよう。 「いいね!」と「シェア」でご協力いただければ、幸いです。 音楽人生、万歳!

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博士論文のための文献のまとめ(3冊)

今日は3つの、お互いに関連性にある文献のまとめとそれぞれの感想を少し。 ちょっとがちがちのブログ・エントリーになりますが、 特に私の英語の文献は日本語に訳されている物がほとんどなく、 日本でリサーチをされている方々のお役に立つことがあるかもしれないと思い、 ここに記します。 最初はMyles W. Jackson著の記事: Physics, Machines and Music Pedagogy in Nineteenth-Century Germany (19世紀ドイツに於ける物理、機械と音楽教育)。 工業革命と共に色々な分野での機械化が進んでいた19世紀のヨーロッパに於いて 人間の仕事のできるだけ多くを機械化しようと言う動きは 音楽演奏(1)や音楽教育(2)まで及んだ。 1.楽器演奏を取って代われる機械(オルゴールなど)、 2.そして技術向上を高めるための練習を助けるための機械(メトロノーム、指矯正など)、 また、大量生産と言う概念が広まる。 楽譜が市場に大量に出回り、楽器の大量生産が加速する中、 奏者をも大量生産できるもの、と言う考え方が音楽教育を変えていく。 音楽を道徳向上を通じて社会的意義のあるものとして 練習を助ける機械を学校教育に導入してアマチュア音楽家の大量生産が行われた。 音楽を社会的価値のあるものとしてこの動きに賛成したのが プロシアの王、Friedrich Wilhelm III. あらゆる技術は分析の後、再現が可能と言う理論に基づいた動きだ。 一方、大規模な大衆娯楽を最初に成功させた パガニーニやリストに代表されるヴィルチュオーゾは 奏者に自分を投影することを拒むほどの超人間としてもてはやされた。 この場合、スター的演奏家の条件は「再現が不可能」。 この二つの矛盾した考え方が社会現象としての音楽と19世紀の音楽の発展に どのように反映されるか、と言う記事。 この記事は例が多かったので引用はできるが、 主張は少ないし、すごく深い視点がある訳では無く、 書き方と論理の整理もちょっといい加減な印象を受けた。 次は岡田温治著の本: 天使とは何か~キューピッド、キリスト、悪魔。 この本で私の論文と関係ある個所は第三章「歌え、奏でよ」 「天使と音楽と人間の間で取り結ばれて来た長くて固い絆の素描」 (「はじめに」より)。 ここで指摘される古代来の音楽観に於ける矛盾は 「数学的で幾何学的な合理性の極と(例:プラトン、ピュタゴラス)、 感覚的で感情的な非合理性の極(例:アリストクセヌス)」(P.89)。 聖アウグスティヌスは『告白』X:33で教会音楽について 「私は快楽の危険と健全の経験との間を動揺している」と告白している。(P.89) この本の95パーセントは私のリサーチには関係ないが、 上に引用した矛盾は使える。 最後にDavid Gramit著の本:

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「裸でも生きる」「羊と鋼の森」「大島弓子全集」

私は子供の頃、これ以上無いほどの本の虫だった。 練習よりも読書が好きで、 練習中こっそりと楽譜立てに本を立て、 何時間もハノンをやって廊下をやってくる母の足音が聞こえるとサッと本を隠すとか 授業中に机の下に本を隠して読むとか、 練習中のトイレにかこつけてトイレに何十分もこもって読みふけるとか そんな事をやっていた。 そんな本好きは、両親の読書好きの影響も大きいと思う。 本当に幼少の頃からかなり高学年になるまで、 就寝の際には必ず本を読んでもらった。 妹といつも出来るだけ長い本を選ぼうと言う作戦の元に相談し、 その晩の朗読者の母か父との交渉を経て、その晩の朗読となる。 とっても楽しみだった。 読書をすると、本当に時間も現実も全て忘れて没頭した。 物語の展開が待ちきれず、次のページをめくるのももどかしかった。 寸暇を惜しんで読んだ。トイレの時間、短距離を歩く時間、何かを待っている時間… 今ではそういう風に没頭することは珍しい。 数年前、帰国の際に芥川龍之介の「地獄変」に没頭し、 電車に乗っていると言う事すら忘れて何駅も乗り過ごしてしまった事があるが、 そう言う時間はまれになった。 でもこの「本の虫」のイメージがあるからだろうか? それとも通勤時間中を読書に充てている母が 本を読みながら私を思い出してくれることが多いのだろうか? 帰国すると、母が私に読ませたい本を山積みにしておいてくれている。 大抵は図書館から借りて来てあるが、 中には「図書館で借りて読んで凄く良かったので、持って帰ってもらおうと思い購入した」 と言う本もある。 全てを帰国中に読むのは到底無理! 演奏、そして演奏のため練習や通信、その上日本でしか出来ない社交がある。 そして博士論文のリサーチのための本を私は6冊も持って帰ってきているのである! 論文用の本を読むか、母推薦書を読むか...毎回ジレンマである。 そんな中、誘惑に打ち勝てず読破してしまった母推薦図書。 1.山口絵里子著「裸でも生きる」と、続編「裸でも生きる~Keep Walking」 2.宮下奈都著「羊と鋼の森「 3.大島弓子(漫画家)著、全作品集 まず、山口絵里子さんの活動については テレビのドキュメンタリー・シリーズですでに感銘を受けていた。 「アジアで一番貧しい国」と検索して出てきた国「バングラデシュ」で 「可哀想だから」買ってもらうのではない 「お洒落だから」「使いやすいから」「欲しいから」買ってもらえるバッグを バングラデシュ産の材料と職人で作り、自分たちに自信と経済力を持ってもらう。 その25歳で始めたプロジェクトの奮闘記。 続編では、メディアで受け、バッグの売り上げも需要が追い付かない所まで延び、 バングラデシュのプロジェクトが大成功をおさめたのち 同じ志で今度は賄賂で行政が腐敗しきっている国、ネパールで 同じような奮闘を繰り広げるところまで、話は発展する。 私はいつも「音楽は人と人との間に共感を通じて、和平をもたらす力がある」と そう思って意義を感じて音楽活動を続けています。 近年、英語と日本語に不自由が無い音楽家の自分が 国際親善の様な仕事に携わることが出来ないか、と模索するようになりました。 そういう意味で、この本は私を大変触発してくれる本でした。 次に「羊と鋼の森」。 主人公がある調律師の仕事に感銘を受け、調律師になるまでの道のりを書いた小説。 題名はピアノのハンマーに巻かれるフェルトが羊毛からできていることと、

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