ピアニストで良かった。ありがとう。

今回の博士論文のリサーチで分かったこと。 私は無知なので、新情報を得ると(ウォー)とすぐ思って自分の見解に影響を受けてしまう。 でもこれは危ない。自分がデマで動かされる群衆の一人になってしまう危険性がある。 一つの情報に関して自分が責任を持てる見解を提示できるに至るまでには 沢山の人の多様な見解をまず出来るだけ中立な視点で吸収し、 情報がどこまで、どのような証拠を持って「真実」なのかを自分で決めるしかない。 その上でその情報が自分の歴史や人間性に関する見解にどのように影響させるか決める。   最終的には歴史はそれぞれの歴史の語り部の「信念」に物凄くバイアスをかけられた物語。 そして本当は「真実」は物語では語れない、もしかしたら言葉では語れない、 そう言う物なんだと思います。   特に私がそう感じたのは、音楽史に於いて、演奏家の視点がほとんどない事からです。 音楽史は作曲家の作品と見解、そして評論家や音楽理論家の書いたものを基にして 基本的に今まで書かれてきました。 でも演奏家の音楽の体験と言うのはそれとはまったく別なもので、 これは私は自分の人生体験を持って実感として分かるのです。   そして勿論、女性の視点と言うのも今までの歴史の理解からは大きく欠落しています。   私はやっぱりリアルタイムでの実体験と言う物を強調する演奏と言う職業で良かった。 そして私がピアニストになるためには 多くの人が沢山の時間と労力と資材と気持ちを投資してくれました。 この人達の事は私が公に表明しないと、やはり歴史と言う物語からは欠落してしまいます。 特に欠落しやすいのは幼少期の母親の影響だと思います。   私の母は、私が子供の頃私のレッスンには全て同席して細かくノートを取り、 練習の時は必ずとなりに座ってノートを見ながら私の練習の手助けをしてくれました。 私より丁度3歳年下の妹が大声で泣いている中 「あやの泣き声より大きな音で~!」と、 これも大きな声の母が声を張り上げて言っていたのを良く覚えています。 (二人に負けるまい!)と私も一生懸命弾きました。 レッスンの道中はいつも飴を二個用意してくれていました。 行きに一個、帰りに一個、なめるのです。 サクマのドロップとか、ミカンの形の飴とか色々あって、毎回楽しみでした。   私の生徒にも(この子は才能があるな)と思う子がたまにいます。 でも大抵環境が悪くて、ダメなのです。 例えばNちゃん。 ピアノが大好きでレッスン室に入ると飛びつくようにピアノにかじりついて弾き始めます。 本当に大好きなんです。 でも練習して来ない。 聞くと「家の電子ピアノが引越しの際に壊れて、蓋も開かないし音も出ない」と言う事。 始めは信じていましたが、これが何週間も続いたので、 (もしかしたら練習したくないので言い訳しているのかな)と言う半信半疑も在って お家にメールしてみました。 「電子ピアノが壊れているそうですが、Nちゃんは練習をしたがっています。 修理に関して私がお手伝いできることがあったら教えてください」 そしたら「修理は簡単なんです。」と言うお返事。 「引越し業者が壊したので、弁償のための査定を受けるのを待っているだけです。」 …結局その状態が3か月続きました。 9歳の3か月は長いです。 (私の両親だったら在り得なかったな~)、と改めて両親に感謝の念を覚えました。   歴史の検証は大事だと思います。 […]

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