美生日記4.12:正直な練習

ちょっとブログが滞りがち。

先週の土曜日に独奏会が、そして明日木曜日にはヴァイオリン・リサイタルがあります。本番があると、やはり練習の質も量も上がります。楽しい。発見と刺激が満載です。もっとうまくなりたい。もっと表現したい。もっと極めたい。意欲の相乗効果があります。

そして執筆のお仕事も有難い事に増えて来ています。毎月18日に発売の月刊ショパン5月号と6月号に計3本に寄稿させて頂きました。

まず、5月と6月号それぞれに掲載されるのは「音楽ゆかりの旅散歩」と題するシリーズ。世界各地に住むピアニストがその土地関連の音楽のお話しを前編・後編二回分けて書くというものです。5月号の前編はナチスを逃れてロサンジェルスに移住して来たドイツ語圏のインテリ・コミュニティー、特にトーマス・マンとエルンスト・トッホについて書きました。6月号の後編は、私の卒業校でもあるコルバーン音楽院について。そして同じ6月号に、女性指揮者をケート・ブランシェットが『怪演』して話題となった、日本では5月12日に一般公開される映画「TAR/ター』の評論をも、寄せさせて頂いています。その執筆と校正作業に携わっていました。

更に、LAタイムズに「テンポ:音楽による環境運動」が取り上げられたことで、その反響に対する応対や、記事発表に関するお礼や広報などで、結構時間を費やしました。

今日もまだまだやる事リストにやり残しが...取り合えず、隔週で寄せている日刊サンのコラム「ピアノの道」が今日締め切りだったので、これを下にシェアします。

この写真は本文とは全く関係ありません。

ピアノを弾くのと練習するのは違います。

練習というのは、何がどうして出来ないのかを解明し、解決するプロセスです。だから最初から最後まで曲を弾き通すのは、本当の練習ではないんです。「難しい」「出来ていない」と自分の中で正直に認めて向き合うのは、中々出来ないものです。ちょっと気を緩めると、すでに弾けている所を弾けるようにパラパラ弾いています。ミスタッチをしてもただ何度も同じ個所を考えもなく繰り返し、一回まぐれで正しく弾けたらそれで良しとして弾き進んでしまう。

…これって日常生活・現実社会でもありますよね。「こうすれば良くなる」と分かっていても、慣れた方法で出来るようにやってしまう。気が付くと同じミスを何度も繰り返している…そして、改善・改革というのは、現状維持や同調圧力や結果発表の圧力が強い社会では中々難しい、というのが現実です。

同じように、演奏会の数をこなす事が必要なピアニストにも、本当の意味での「練習」できる時間や機会というのは、多くはありません。一つの本番から次の本番へと、譜読みと演奏をこなす事に追われて、技術や音楽性の向上の為の時間も精神も乏しくなる事が多いのです。でも、最近思うのです。芸術家や運動選手の使命というのは、日常生活や現実社会を超越した人間の可能性を体現する事ではないのか。効率とか利益とか社会的要求を超えた、こだわりと愛着のインパクトをやってみせる事ではないか。銃導入後の武士の剣術と同じように、我々の本領は本番よりもその修練にあるのではないか。

企画の段階から協力させて頂いている「テンポ:音楽による環境運動」が先日LAタイムズに取り上げられました。社会構造から生活様式まで、正直な見直しと改善・改革を我々一人一人に余儀なくさせる環境問題。音楽家としてできる貢献に邁進していく所存です。どうぞ見守ってください。

この記事の英訳はこちらでご覧いただけます。https://musicalmakiko.com/en/life-of-a-pianist/2921

2 thoughts on “美生日記4.12:正直な練習”

  1. 平田先生有難う!この記事何度も拝読させて貰っています。心に染み入る薬効成分みたいな内容だと思う。

    1. Makiko Hirata

      裕子さん、ありがとうございます!わたしの文章がお役に立てているなら本望です。

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