昨晩、ヴァイオリンリサイタルで共演しました。ラヴェルのソナタ。幸田延のヴァイオリン・ソナタ2番。クララ・シューマンの「3つのロマンス」。そしてラヴェルのツィガーヌ。去年の秋から一緒に演目も考えて一緒に創り上げて来たプログラムです。
このリサイタルはコルバーン音楽院のスタッフとしてのお仕事の一つでした。若い弦楽器や管楽器奏者の試験や演奏などで共演します。「どんな場所でもピアノでも聴衆が居れば飛んでいく…」を謳っている私は、アップライトでも、調律が怪しくても、がたぴしゃピアノでも弾いていますが、やはりフルコンで演奏会場の音響の中でしか創り出せない音世界があります。コルバーンでのお仕事ではそれが出来る。さらに、私の卒業校でもあるコルバーンの生徒さんたちは、私の後輩でもあります。演奏一筋まっしぐらの学生さんとの共演。しかも金八先生顔負けの波乱万丈の音楽人生途上にある卵ちゃんたちの卒業演奏ともなれば、全力で応援したい!こちらも気持ちが引き締まり精一杯の真剣勝負になります。
昨晩のリサイタルに気合が入ったのにはもう一つ個人的な理由があります。
先週土曜日に弾いた独奏会。私の演奏会を主催する為に基金を募ってアップライトを買ってしまった、例の図書館です。去年の10月から偶数の月に私の独奏会を開いてくださっています。今回は小さな会場にこの図書館のイベント史上最高記録の45人の聴衆が集まりました。もう空席がほとんどない状態です。そしてその半数はすでに顔馴染み。質問が多い数人はすでに名前を覚えました。今回のプログラムのテーマは「Sounds like…?(何の音?)」。同じイメージを題材に書かれた二つの曲を並べて、さてこの二つの曲たちが表現しているのは何の音でしょう?と想像してもらうプログラムです。演奏会からのハイライト動画を下に編集しました。見て下さい。
お客様たちには手放しで喜んで頂けました。質問もコメントも拍手も感謝も一杯頂きました。コロナの症状が長引いて前回出席できなかった老夫婦も楽しみにして来てくれて、帰る時は笑顔も顔色も超アップグレードで元気にお帰り下さいました。それは全部、とってもとっても嬉しかった。
でも...私自身は不満でした。お客様には楽しんで頂きたい。でも、それが目的ではない、と気が付いた瞬間でした。私がミスした事を分かるお客様はほとんどいません。音楽家でもピアニストで無ければ、ピアニストでもその曲を弾いた事が無ければ気が付かないようなミスや、リズムの崩れや、不完全な和声…でも、私が自分で許せないのです。
私が提供しているのは、音を楽しむ時空だけではない。私が提供しているのは徹底的な奉仕だ。それは、実際的でも音楽的でもなく、精神的な物だ。
「千年先の評価を待つ」と言ったと言われる伊藤若沖(1716~1800)という絵師がいます。彼の作品を電子顕微鏡で調べたところ、例えば鳥の羽の細かい線が0.2ミリの等間隔できっちり書かれている、などの超人間的な緻密さで様々な絵が描かれていたそうです。
なぜ、そこまでするのかー私には分かる気がするのです。その域の集中と根気は、別世界を垣間見るポータルなのです。
私の作品は演奏です。一瞬で消える。千年先の評価は待てません。でも、私は知っている。例えば「音が咲く」という現象があるのを。本当に音が共鳴をするのは、打鍵の瞬間ではなく、その一瞬あとです。これを上手く利用する事で、和音に膨らみを持たせ、波長をより豊かにすることが出来る。私はそういう風に音の現象の様々を体験的に知っていて、それを操る事が出来る。そして、聴衆は意識的には私の操りは聴こえない。でも、私の本気が発する気は聴衆を動かすと、私は信じています。私はだから、妥協はできない。私は弾けるように弾くことを自分に許せない。常にもっと先を目指さなくては、この「気」が発せないのです。先を目指し過ぎて転ぶかもしれない。でも、リスクを負う価値がある。というか、リスクを負わずしては、音楽に自分を賭ける意味が無くなってしまう。
土曜日の独奏会で、そんな反省をした後日曜日から木曜日にかけてした練習は、毎日発見尽くしの、充実した物でした。火曜日のゲネプロを録音し、その録音を聴きながら自分の甘えを徹底的に排除していきました。そして臨んだ昨日のヴァイオリン・リサイタル共演。ラヴェルのソナタは、ピアノの単旋律で始まります。最初の音から咲かせる。最初の音で音世界を打ち出して見せる。久しぶりのフルコン。演奏会場の音響。…やるぞ!
最初の音でその演奏会が伸るか反るか、一発で決まるような所があります。そしてのったんです!あとはもう一瞬一瞬真剣勝負の連続です。
そして...今日起きたら全身筋肉痛…疼いています。こんなの久しぶりです。
共演したヴァイオリニストちゃんがプレゼントしてくれたお花。
カスミソウも何もない、スーパーのプラスチックバッグに切りっぱなしで入った、買ったそのままのお花。でも、時間もお金も経験もない音楽学生が、共演者の私にお花を買おうと思ってくれた。わざわざ本番前に買いにお出かけしてくれた。彼女の置かれている境遇や直面している挑戦を随分と知ってしまった。でも、昨日は全ての結晶の様な素晴らしい演奏をしてくれた。
このお花を生けながら、しみじみと彼女の卒業を祝福して、これからの健闘を祈りました。
コロナ禍では、この緊張感が欠けていた。むしろ、コロナ禍を経たからこそ気持ち新たに意気込めているのかも知れません。でも今、私はこれからの演奏会の数々に武者震いする気持ちです。
7月中旬から8月にかけての帰国では、いくつかの演奏会をする予定です。みなかみ町カルチャーセンターでのチラシが出来上がりました。
お疲れ様です。
ピアニストの道を究める。
艱難辛苦をなめて今があり、歓喜がはっきりと観えています。
初志の貫徹が使命と、読めました。
小川久男
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