演奏道中記10.19:地域社会に根付いた音楽活動

先週土曜日に小さな図書館で一時間のミニ独奏会をしました。

ここの図書館員の方が大変熱心なピアノ愛好家。私が一度レクチャーに呼ばれて伺った際「電子ピアノでは講義の補佐のデモはしますが、演奏は致しません」とお断りしたら、地区に呼び掛けて寄付金を積み立てアップライトを買ってしまったほどです。演奏直前の調律分も、そして演奏家の為のギャラも、積立金を用意して、満面の笑顔でご招待してくださいました。

でも、LA郊外の図書館支部の集会場に置かれたアップライトで弾く土曜日の午後の一時間の独奏会です。お客さんが何人入るかも分からない。

ところが控室から会場に入ってびっくり。小さな会場とは言えほぼ満席。しかもピアノの真ん前に陣取って携帯を構え「録画しても良いでしょうか?」とニコニコ尋ねる眼鏡の女性を始め、皆物凄く楽しみにしてくれている様なのです。演奏後、聴衆の皆さんのお話しから判明したのは、ラジオでも、ネットでも、色々バンバン宣伝されていたようなのです。

本番翌日までこんなものが出回っているとは露とも知らず...

表情豊かに打てば響くようなお客さんと音楽時空を共にして、私は色々考えました。

18の時のボリビア全国ツアーを皮切りに「国際的に活躍するピアニスト」であることをプロフィールの宣伝文句にして来たのは、業界の文化です。飛行マイレージがそのまま成功のバロメーターとなる…そんな風潮にお尻を叩かれるように、どんな些細な演奏の機会の為にも飛んでいきました。そういうキャリアに疑問を持ったきっかけは、パンデミックと環境問題です。

きっかけの一つには環境運動家のグレタ・トゥ―ンベリさんのお母さまがオペラ歌手だと知ったことがありました。しかも、非常な美声と技巧を持った素晴らしい歌手なのです。

でもこのエルンマン・トゥ―ンベリさん。まだ幼かったグレタさんの嘆願を受け、電車で出来る演奏旅行しかしないという決断をした結果、今ではオペラだけでなく、ミュージカルなどにも出演しているようです。

空の旅の環境負担が大きいと言うだけではありません。旅芸人は聴衆との人間関係は必然的に一期一会的になります。しかし、地域に根付いた芸術家というのは、地域社会に密接した成長を遂げ、そのコミュニティーに一番寄り添った芸術活動を展開できるのではないでしょうか?そうして地域の人間関係や経済活性化に貢献するのが、本来の芸術家の役割なのではないでしょうか?

飛行機の歴史なんてまだ浅いのです。旅芸人は元々は歩ける距離範囲内で活動する物だったのです。それか、ロバとか馬車とか。終戦後、ジュネーヴ国際音楽コンクール第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール第5回1955年[1]の3つの国際コンクールの日本人初受賞者となった田中希代子は、1950年にパリで留学する際は船で行ったのです。それからまだ72年しか経っていないのに、ここまで世界と人々の価値観は変わった… 環境負担を軽減する為に飛行機での演奏旅行を辞めましょうというのは、70年から100年分だけ常識を巻き戻ししましょう、と言うだけの事です。

…とはいえ、理想と現実の間にはギャップが生じる事もある。お客さんの一人が「あなたはオケをバックに協奏曲を演奏した事はありますか?」と私に無邪気に質問した時、とっさに(私は毎晩オケをバックに独奏していた時期もあるんだよ...)と牙を剥きだした鬼に成りそうな自分を認めました。それに、私は正直に告白すると、地域の図書館の集会場でアップライトで演奏する事を恥ずかしく思って、この演奏会は告知をしていませんでした。

私はスポットライトを浴びて、オーケストラをバックに何千人と言う聴衆の前でソリストとしてドレスを着て拍手喝采を浴びる事が成功だと教えられて幼少時から練習して来ました。飛行機はファーストクラス…いやいや、プライヴェートジェットです!そして私の演奏は世界中に放映されるのです...私と同世代の日本人は、バブル最盛期の日本でそういう夢を見るような状況の中で育ったのです。

でも、エネルギー安全保障問題や環境保護の必要性や色々な理由から、我々は行動パターンと価値観を見直すべきだと思うのです。私は図書館の地域支部の集会場のアップライトでも毎回・毎曲感動を呼び起こせるピアニストになって見せる。そしてそこに誇りを見出せる人間になる。

「パンデミックの前にお聴きした時よりも更に美しく演奏されるようになりましたね。」ピアノ愛好家の図書館員のMさんは、目を輝かせて言ってくださいます。「元々あなたに弾いて頂きたくて皆で買ったピアノなんです。あなたがやりたいだけ、演奏会をやりましょう。二か月に一回くらいでいかがですか?」

考えようによっては、私の演奏家としての成長をここまで楽しみにしてくれている人が、「何度でも好きなだけ演奏してくれ」と言ってくれること以上にありがたい事はありません。

私は脱皮したい。小さい会場を、アップライトで演奏する事を、恥ずかしいと思う自分を脱皮したい。平等院で出会った27体の雲中供養菩薩がそれぞれ手にしていた楽器は皆、古来のシンプルな楽器です。大事なのは心だ。楽器や会場や成功じゃない。大事なのは心、大事なのは心、大事なのは心..

7 thoughts on “演奏道中記10.19:地域社会に根付いた音楽活動”

  1. お疲れ様です。

    功成り名を遂げ、故郷に錦を飾るもあり。
    一隅を照らすもまたあり。
    それもこれも、今を生きる自分です。
    ピアニストの原点に戻れば、すべてが必然です。

    小川久男

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