2017年に炎上した#MeToo。2020年に警察によるジョージ・フロイド氏の暴行・殺害動画で世界が立ち上がったBLM。そういう背景もあり、最近のアメリカのコンサートプログラムにはこぞって女性や有色人種の作曲家の作品が取り上げられるようになっています。しかしどう後付けで平等化を試みても、不平等の歴史的背景が消せるわけではない。むしろ過去をうやむやにする危険性すら孕んでいます。...という事で、私は今敢えて、クラシックの大作曲家が女性をテーマにして描いた作品をまとめた独奏会の演目を打ち出しました。今週の水曜日、10月26日の夜が皮切りです。
1. J.S. Bach ト長調のアリア、アンナ・マグダレーナの音楽手帳(1725)より(リピート付きで5分強)
アンナ・マグダレーナ(1701‐1760)はヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の二人目の妻です。音楽家の家系に生まれた彼女は、自身もソプラノ歌手として若いころから活躍。雇われ先の宮廷で、カぺルマイスターを務めていた寡のバッハに見染められ、1721年に結婚。その後も歌手としてプロ活動を続けながら、夫の作品の写譜をも務めました。音楽という共通項に恵まれた二人の結婚は仲睦まじかったようで、バッハは「アンナ・マグダレーナの為の音楽手帳」と題された曲集(他の作曲家の作品を含む)を1722年と1725年にアンナに献呈し、その他にも数々の曲を彼女に捧げています。後にゴルトベルグ変奏曲の主題となるアリアは、アンナ・マグダレーナの為の音楽手帳の二冊目、1725年版に収録された一曲です。
音楽に恵まれたアンナ・マグダレーナの人生は、しかし苦難が無かったわけではありません。アンナより16歳年上だったバッハには、13年連れ添ったのち死去した最初の妻マリア・バーバラとの間に生れた4人の子どもがすでに居ました。アンナが嫁入り当初、それぞれ13歳、11歳、6歳、そして5歳です。この子らの世話をしながら、アンナは13人の子どもを産み、その内7人を幼少時に亡くします。バッハの死去後は、収入の術がないアンナは、お嫁に行かなかった数人の娘たちとともに大方世間に忘れ去られ、文無し状態で亡くなり、無名墓地に埋葬されたそうです。
2.ベートーヴェン「エリーゼの為に」(1810)(3分強)
ベートーヴェンの死後40年間出版されなかったこの曲の献呈相手「エリーゼ」が実際は誰だったのかに関しては諸説があります。ある学者によると、主題テーマはエリーゼの名前を綴っているという説さえあります。(レのシャープは、ミのフラットでもあり、ミのフラットのドイツ音名は「エス」なので、主題の最初の5音は『E-S-E-S-E』だから、という事です。)センチメンタルな曲風が想像力を掻き立てますが、史実は全く分かっていないこの曲。しかし、惚れやすかったベートーヴェンの強い結婚願望や、1810年時にはもうすでにかなり難聴が進行しており、それも多くの相手や相手の家族に求愛を拒まれる理由になったことなどを考えると、この曲風がより悲し気に聞こえてきます。
なお、ベートーヴェンはその作品の多くを女性に献呈しています。この女性たちに焦点を充てたプログラム企画も大変面白いと思うのですが、今回の演目はもう少しポピュラーで短い曲、そして色々な時代様式のピアノ曲のヴァライエティーを重んじています。
3. シューベルト作曲(1814)・リスト編曲(1838)「糸をつむぐグレートヒエン』(4分)
マリアに祈る時の決まり文句「アヴェ・マリア」の「アヴェ」の語源は実は蛇の誘惑に負けるエヴァを逆に綴った言葉、という学説について教えてくれた中世音楽専門の学者は、私の博士論文の指導教官でした。理性的でない・誘惑に負けやすい・その上男性を悪の道へとそそのかす、という女性蔑視の根源に旧約聖書の最初の女性、エヴァが居ます。そしてグレートヒエンは、ゲートの「ファウスト」でファウストに誘惑され、妊娠して捨てられ、生まれた子を殺した罪で死刑となるヒロインです。誰が誰を誘惑して絶体絶命へと追いやっているのか。シューベルトの歌曲は糸を紡ぎなが主体性を奪われた女性の悲劇を嘆くグレートヒエンの独白にシューベルトが曲を付けた胸に迫る一曲です。「私の安らぎは去った /心も重い /二度と安らぎを見出せない /もう二度と /あの人がいなければ /墓の中も同然 /そんな世界なんて /ただいまわしいだけ /私の哀れな頭は正気を失い /私の哀れな心は引き裂かれた」
4. シューベルト作曲(1825)・リスト編曲(1838)「アヴェ・マリア」(5分強)
聖母は文化を超えた理想女性像です。そしてシューベルトの「アヴェ・マリア」は数多くあるアヴェ・マリアの中でも一番有名になりました。が、その理想化されたマリア像が現実の女性の社会的立場に及ぼして来た副作用は複雑です。
5. シューマン作曲(1840)・リスト編曲(1848)「献呈」(4分)
結婚前夜ロバート・シューマンが、新婦となるクララ・ヴィークに送った9曲の歌曲集の第一曲目です。リュッケルトの詩の二番目の歌詞は「あなたは私の安らぎ、私の和み、/あなたは天から私に授けられたもの。/あなたが私を愛することは、/私を高めてくれる /あなたの眼差しは私を輝かせる。/あなたが愛することで私は高められる、/私の善良な守護神よ、/私のより良い私よ!」とあり、ゲートのグレートヒエンと正反対の歌詞となっているのが興味深いです。また、曲の最後のコーダの部分でシューベルトの「アヴェ・マリア」が引用されています。
6.ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」(1899)(7分弱)
意味深に聞こえるタイトルですが、歴史上実在した王女の死を追悼した曲というより、過去や、歴史上の「お姫様」が彷彿させるイメージ、更には16・17世紀スペインの宮廷で踊られたゆっくりとした行進舞踏曲「パヴァ―ㇴ」を偲んで書かれた曲です。ラヴェルが「ヴェラスケスの描く王女がパヴァーヌを踊っているイメージで作曲した」といったという逸話もあり、右の絵がよく引き合いに出されます。
6.ラヴェル「マメールロワ(マザーグース)曲集」より『パゴダの女王レドロネット』(1910)(3分強)
賢くありながら魔女の呪いで醜い女の子にされてしまったライドロネット女王は、同じく呪いで緑の蛇にされてしまった聡明な王子と、最後にめでたしめでたしで結ばれます。ここにあるパゴダは従来の五重塔ではなく首振り人形の事だそうですが、なんにせよラヴェルの曲風はステレオタイプ的な「東洋的」五音階系で書かれています。「美女」「ブス」「異国風」…こういう分類が、いかに分類される対象を非人間化しているか...分類する側に悪気がなくても、される側には個性や主体性、そして分類する側との対等性、は許されません。それが女性差別・人種差別です。
6.ドビュッシー「前奏曲集2巻目」(1913)より『水の精オンディーㇴ』(3分半)
挿絵画家アーサー・ラッカムが描く、水の精オンディーヌに触発されたこの曲は波のさざ波や、水しぶき、水に反射する光などが気まぐれにコロコロと曲風を変える、スケルツァンド(『冗談めかして』)の表記がぴったりの曲風となっています。
しかし、アンデルセンの人魚姫の題材ともなっている水の精の伝説は悲劇的な結末が一般的です。ラッカムが挿絵を描いたドイツの作家フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケ(1777-1843)の童話も、複雑な人間関係の中で水の精が付きつけられる無慈悲な選択が、当時の女性の社会的立場を反映した作品となっています。ドビュッシーは童話を読んでからこの曲を書いたのでしょうか?
7.ドビュッシー「前奏曲集一巻」(1910)より8番『亜麻色の髪の乙女』(3分弱)
余りにも有名なこの曲。どんな解説も蛇足になるような素朴さが特徴的です。
お疲れ様です。
それぞれの曲目の背景から作曲者の性向が窺えます。
クラッシック音楽は、五線譜の再現と、
時代背景を知ることで、
立体的な音の階層が綾錦となるように想います。
小川久男