美笑日記1.18:お金とは何ぞや。(独り言)

お金とは、そもそも何ぞや。

瞬間的には何の役にも立たない、抽象的なものです。それではなぜ皆お金儲けに憑りつかれるのか。お金で何が買えると思っているのか。

お金が買える物。それは自分が思い描く未来を現実化する可能性ではないでしょうか。将来に対する安定性・成長性・主体性。特に今の資本主義・物質主義の世の中では、お金で情報量と選択肢が増える事は確かです。

ではそのお金(=将来の約束)と引き換えても人が「今」買いたいものは何か。お金でお金を増やす行為や、上に上げた「安定性、云々」に先払いをする投資は別にして、人に購買欲をもたらすもの…結局それは瞬間的には、「感動」の一言で大きくまとめられるのではないでしょうか。美味しい・楽しい・可笑しい・美しい…そういう瞬間的な満足もありますが、例えば読書や教育や旅行など、自分の見聞を深め、経験をより豊かにするための行為も、自分の感覚や経験の幅を広げると言う意味で「感動」だと思います。

では、お金が未来、感動が現在、だとしたら過去は何なのでしょうか。

過去はストーリーではないか、と思うのです。自分のストーリーに自治権を持つためには、教育や自信や社会的信頼性と発言権が必要です。こういう物を持たない人は「声なきもの」として、自分のストーリーを周りにでっち上げられる危険性を負わせられます。社会的に差別を受ける人々―例えば女性は、「お前はこういうタイプなのだから、こういう消費パターンにはまるはずだ」「これを与えて置けば満足するはずだ」「こういう思考パターンだから今の職業に就いているんだ」と、自分から主張をする場を与えられずに決めつけられてしまいます。そして周りからそういう風に決めつけられ続けると、段々自己成就予言の悪循環にはまりこみ、言われた通りの行動パターン、ストーリーにはめ込まれてしまいます。そこから脱却する為には、購買力というのは駆け引きに仕える武器です。「あなたに好ましい投資が出来るほど大きい資材力を持つ私の過去は、信ずるに値するべきものであるはずだ」となる訳です。

お金は結局、主体性。

私がお金に執着しないのは、お金以外に主体性を持つ手段があるからだと思います。ただし、私の主体性は私の作品(音楽・書き物・教え)の中で完結してしまっていて、社会的に駆け引きに仕えるかというと余り通用しないのですが…( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

1 thought on “美笑日記1.18:お金とは何ぞや。(独り言)”

  1. お疲れ様です。
    お金は天下の回り物。
    あるにこうしたことはないけど、。
    あればあるだけ、なければないなりに。
    誰しも、好きで貧乏やってるわけではないし、
    好きで金持ちやっているわけでもない。
    人は、それぞれの居場所が一番、性に合っているから
    丁度いいす。

    小川久男

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