コロナ日記67:音楽業界の現状と先行き

  • NIHと組んでワクチンを製造中のModerna:8人中8人ともCovid-19に対する抗体を作ったと発表。
  • 3月以降のアメリカの国境厳戒令は無期延期の予定
  • カリフォルニア州:不法移民も経済救済に応募可能になる。
これは...梅?

私が高校時代を過ごしたNJの郊外にあるKean Universityが3日前、音楽部・経済学部・サステイナビリティ学・演劇など、比較的専攻学生が少ない部門の閉鎖を発表した。教授陣たちには寝耳に水だったそうで、憤懣の抗議がSNSで上がっている。一方学校側は2000万ドルの赤字の一部がこれで費用削減できる、としている。音楽家の中では「悪い前例だ。絶対に抗議し続けなければいけない。」と強気の発言が多い。

私は天邪鬼なのだろうか…

このニュースを受けて回りが怒りをらわにした投稿を次々と発表し、抗議の手紙を送りつけることを音楽家仲間に激励し合っている時に(待てよ...)と思ってしまう。私は、物事の良し悪しというのは、明確ではない、特にリアルタイムでは分かり得ない事が多いと思っている。それが周囲に私を面倒くさい人間にしてしまうことも分かっているし、私だって素直に怒れたらどんなに良いか、と思う時もある。でも、視点や意見の多様さが、狂騒や暴動を防ぐときもある、とも思う。

私は元々、音楽専攻の数が多すぎる、という意見だった。

音楽産業の需要と供給のバランスは崩れている。業界の競争率は非人間的だ。更に、仮にも音楽専攻で大学を卒業した者が大人になってから夢を断念するのと、大学受験に失敗して別の専攻の勉強をするのでは、本人にとってどちらの方がより生産的な人生だろうか?これから更に音楽産業は経済的に苦しい時代が予想される。今音楽の学位を取って卒業した人は一体どんな音楽活動をしようというのだ?そんな中、大学本体の安泰化を図るために、小さい部門、そして将来性の少ない専攻を犠牲にするのは仕方のないことなのではないか?

私は音楽がもっと一般の人々の日常的な活動の一部となるべきだと思っている。そうする事によって、個人レヴェルでも社会全体でも幸福感と健康の向上が図れると思う。私たちはもっと口笛を吹き、鼻歌を歌い、楽器を練習し、踊り、合奏・合唱をするべきだと思う。でも、音楽を生業とする者が多すぎると、ここで専門家と非専門家の線引きを明確にしようという動きが強くなりすぎる。

専門家は少なくて良い。その代わり、数少ない専門家の生活は社会的に保障され、一般社会からその存在意義を尊重されるべきだ。そして数少ない専門家は圧倒的にその専門性に於いて優れているべきだ。

ちなみに私はこのピアニストと同時期に同じ学校に行きました。

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