ノン・クラシックのレパートリーに挑戦中!
月曜日からヒューストンなのですが、ヒューストンのアジアソサイエティーで演奏予定のレパートリーがそもそもジャズ的要素を多く入れた選曲が多かったのです。ガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーは有名です。今回はクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんとクラリネットとピアノの為のデュオバージョンを演奏します。その他ジョーセフ・ホロヴィッツのクラリネットソナタ。この二楽章は2017年の9月ハリケーン・ハーヴィーの洪水の際、二人で籠城していたアパートでこの録音を作り、沢山の人に見て頂きました。
私はラプソディー・イン・ブルーを最初に弾いたのは23歳の時、オーケストラとピアノ独奏のオリジナルバージョンでした。その時は私はガーシュウィンを弾くという事すら妥協を超えた「客に媚びを売る最低」な「売春」「身売り」の様な気がしていたのです。でも今はそうは全然思いません。私はラプソディー・イン・ブルーは芸術的な最高傑作だとは決して思いません。でも楽しい曲だと思うし、少なくとも心身の健康に害を及ぼす事はない。
私の態度が軟化したのは、脳神経科学をやったせいでもあるし、音楽史や音楽美学の背景にある哲学史の無理に気が付いたせいもあります。それからまあ、正直になったというのもあると思います。私だって、ガチガチ硬派のクラシック音楽学生になる前は、「ナウシカ」や「宇宙戦艦ヤマト」や「ロッキー」や「銀河鉄道の夜」のテーマなんかを大喜びでピアノで弾いていたのです。
何のためにピアノを弾くのか。
私は音楽で人により健康に幸せになってもらいたい。でもジャンクフードが一瞬美味しく感じても長期的には健康に害するのと同じく、生態的や精神的に悪影響を及ぼす音楽というのは私はあると思います。その線引きはどこなのか。
「カリブ海の海賊」や「ゲーム・オブ・スローンズ」などある種のゲーム音楽の様に、アップビートやベースラインの攻撃的な繰り返しで心拍数や血圧を上げる曲は、私は個人的に夜眠れなくなります。今はこういう曲はまとめて朝練のみに限り、できるだけ弱音で練習しています。
でも私は非クラシックに対して拒絶反応を起こしているわけでは、決してありません。今こうして色々なジャンルの曲を練習していて私は魂がこもっている曲はジャンルが何でも鳥肌が立ったり涙が出たりうっとりしたりします。例えば私はルイス・アームストロングが歌う「What a Wonderful World」は涙がでるし、自分で練習していてもうっとりします。
それに今私が「体に悪い」とこき下ろしている曲だって、私は練習を始めればそれなりに楽しいのです。単純なのに、なぜ弾けない?なぜ弾きにくい?私は今まで一音一音楽譜に忠実に音を再現する訓練を集中的に受けて来たせいで、適当に和音とメロディーのつじつまを合わせて後を楽ちんにごまかす事が出来ないのです。そうすると、こういう譜は本当に弾きにくい。そして、チャレンジはいつも楽しいです。
お疲れ様です。
芸術家とは因果な生業です。
クラッシックのピアニストとあればなおのことです。
曲学阿世でなければ、現世で名誉と巨万のは得られません。
画家に版元、音楽家は?
小川久男