明鏡日記10.21:旅と旅の間

ヒューストンから帰って来て9日目。そして4日後の早朝にまた次の旅行。

その間に芸術家助成金の申請の締め切りに向けてエッセーを書き書類をまとめなければいけない。来月半ばにある演奏旅行に関するズーム・ミーティングが入ってくる。12月の演奏に関する交渉が飛び交う。そして科学者・社会学者と音楽家の共同体が打ち出す気候変動のグローバルキャンペーンに関する会合の招集が数回かかる。もうずっと先延ばしにしていた健康診断がもうこれ以上先延ばしにできないで、この忙しい時に何度も病院に出向く羽目になったりもする。旅行の度に予約をとってPCR検査もしなければいけない。胸に不安が広がって涙が出そうになる。コロナ禍で冬眠していた所をたたき起こされたような状態。

「弾けてないじゃない!」

ヒューストンから帰った翌朝にリハーサルで頭ごなしに怒鳴りつけられた。来週から始まる海外演奏旅行。2週間ほど前、ツアーに入っていた国が一つCDCの「Recommended not to travel(旅行非勧告)」リストに加わった。航空券も何時まで経っても送られて来ない。(これはキャンセルだな。)ブリュッセルへの旅行が出発の朝にキャンセルになった経験もあったし、ヒューストンではそれなりに忙しかった。それにクラシックじゃない演目をバカにしていたところもある。そこにドタキャンの可能性が加わって、次のツアーのプログラムは私の練習優先順位の最下位になった。(こんなの練習すればすぐ弾ける。)確かに曲のつくりは非常に単純。でも初見仕切れないピアノ・ソロがいくつかあった。ヒューストンから戻ったその晩は楽譜の製本や音起こしに精一杯で、結局練習は出来なかった。そしたら怒鳴られたのである。

「二週間あったのに、どうして練習してないの?ヒューストンに行ってたあ?そんなの私の知ったこっちゃあないわよ!」

非クラシックのこのバンドに代役のピンチヒッターの話しが来た時ためらった理由のもう一つがこのリーダーの切れやすさの噂にある。「あんな屈辱は初めて受けた」と友達がこぼすの聞いた事がある。狭い業界の中で、一時的にこのバンドのピアニストを勤めた知り合いは多い。そして誰も長続きしていない。怒鳴られて自分の血圧が一瞬で急上昇するのを感じるが、できるだけ冷静さを保ち、彼女を観察する。息が浅くなっている。顔が赤くなっている。瞬きが激しい。明らかに彼女自身が物凄いストレスの症状を出している。私も寝不足だったが、彼女もツアーから帰って数日で、翌朝次のツアーに出るという日。その夜にも演奏会がある彼女が、その朝私とリハーサルをしていたのは、私が前夜までヒューストンだったからだ。

MIT(マサチューセツ工科大学)の発表するLiving Wage Calculatorというのがある。それによるとロサンジェルスのLiving Wage(生活に必要な最低賃金)は年間37,000㌦。フリーランスの演奏家としてその年収を得るのは至難の技だ。足りないのはお金だけではない。時間。睡眠。安定。保険。そして社会的評価の実感。将来の見通し。彼女も苦しいのだ。そして苦しい音楽家同志でお互いをより追いつめるのは全く逆効果だ。

「不安な気持ちにしてごめんなさいね。私もこの仕事以外にも色々責任があるし、この演目の練習の優先順位が今まで低かったのはそれなりに理由が在ったの。そしてあなたにそんな風に怒鳴られたら弾けるものも弾けなくなっちゃう。それはあなたも嫌でしょ?でも、安心して。私は絶対弾けるから。ちょっとトイレに行ってくるから、気持ちを静めてね。」

ショパン・コンクールで華々しく脚光を浴びる20代の若手ピアニストたちを横目で見ながら、(練習時間さえあれば…)(学生時代にバイトに追われていなければ…)(いつもフルコンで演奏出来ていれば…)と一瞬自己憐憫の情に駆られる。(無理だ...こんな条件で自己ベストを出せるはずがない…)

でも、頭を振る。それぞれの立場にそれぞれの困難がある。世界的評価はプレッシャーに成り得る。そして名声は社会の枠組みや市場の都合に自由を奪われる可能性でもある。私は自由に主体性を持って、自分が信じる音楽人生を送れている。そしてヒューストンでクラリネット奏者の佐々木麻衣子さんとも確認し合ったのだけれど、私達は明らかに音楽家として進歩している。より成りたい人間・音楽家に近づけて来ている

「さすがマキコ!って思ったんだよ」麻衣子さんはそう言ってくれた。「会場はずっとざわついていた。お子様も多かったし、演技中にもテラスに出入りする人が絶え間なかった。でも、マキコさんがモンポ―を弾き始めたら会場が静まったんだよ。気が付いてた?」私は、リハーサルでは完璧にノリノリだったラプソディー・イン・ブルーが、本番で乗り切れなくて音がこぼしてしまったりして非常に不本意で悔しかったのだけれど、麻衣子さんはそう言ってくれた。そして確かに前日のリハーサルの私達のラプソディーインブルーはそんじょそこらではめったに聴けない、かっこいいラプソディー・イン・ブルーだったのだ。「マキコさんは音楽人生で何回本番踏んできているの?何百回?もしかしたらそれ以上?その中で不本意な演奏は本当に一握りでしょ?もっと自分の経験と修行に自信を持って。大丈夫、マキコは大丈夫!」

麻衣子さん、ありがとう。

音楽人生、万歳。

デュオの幸せ

1 thought on “明鏡日記10.21:旅と旅の間”

  1. お疲れ様です。

    フリーランスとはいえ、ピアニストでは生活が成り立ちませんね。
    これは、驚きでした。
    しかし、ピアニストが、天命とあれば、それに殉ずるしかありません。

    生きることに希望を与えるのは、ピアニストの使命です。
    行きつ戻りつ、迷いながらも、信じた道を歩いてください。

    小川久男

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