ベートーヴェンの26番、作品81a「告別」


このソナタは、1809年にフランス軍のウィーン攻撃を逃れて5月4日に田舎に避難した、ベートーヴェンの理解者でありパトロン、そして唯一の作曲の弟子でもあったルドルフ大公の出発、不在そして再会に触発されて、1810年に完成した作品である。そのまま、
一楽章~「さようなら(Das Lebewohl(独)、Les Adieux(仏))」、
二楽章~「不在(Abwesenheit (独)、L’Absence (仏))」
三楽章~「再会(Das Wiedersehen (独)、Le Routour(仏)」
のタイトルが付いていて、1810年一月の大公の帰還の際、献呈されている。
1808年の暮れにウィーンで、交響曲の第5番「運命」と、第六番「田園」、そして合唱幻想曲(作品80)の3大作品の初演を含む、4時間に及ぶオール・ベートーヴェン・プログラムの演奏会が在った。しかし、リハーサル中にあまりに熱狂的なベートーヴェン(耳もかなり遠くなり始めていた頃である)を「この男は指揮をするべきではない」とオーケストラ奏者がボイコットし、ベートーヴェンは控え室でリハーサルを聴く羽目になったのはこのコンサートでは無く、その一つ前、11月15日の演奏会だが、この12月22日の演奏会も、さんざんな結果だったようだ。オケ奏者は間違えを立て続けに犯し、ベートーヴェンは演奏を途中で一旦止めて、弾きなおしを要求したり、聴衆も完璧では無い演奏で提示された、当時にすれば非常に斬新的な交響曲をどう受け止めたらいいのか、戸惑ったであろう。
このようなハプニングを経て、それまでは歴史上珍しくフリーランスで成功していたベートーヴェンは、ナポレオンの弟であるヴェストーハーレン国王の雇われ楽長になる、と突然宣言をする。ウィーン音楽愛好家有志達は慌てふためき、ベートーヴェンをウィーンに引き留めるべく、3人の貴族がお金を出し合って、ヴェストハーレン国王の提示する金額の7倍以上の終身年金を約束する。その3人の貴族の一人にも、「告別」のルドルフ大公が在った。
この曲はベートーヴェンには珍しく、物語性がある。
ベートーヴェンはこの当時の作曲家には珍しく、オペラは「フィデリオ」一つしか書いていないし、その製作には非常に苦労して校正に校正を重ね、10年以上かける難産となっている。一般に有名な、題名のあるピアノソナタの数々、例えば「悲愴」、「月光」、「熱情」、「テンペスト」等も、ベートーヴェン本人が付けたわけでは無く、またタイトルがあるからと言ってこのソナタの様にはっきりとしたストーリー性があるわけではない。もしかしたら、ベートーヴェンは音楽と文学要素を混ぜることは苦手なのかも知れない。このピアノ・ソナタも、他のソナタに比べて、造りが一見単純に見えるが、しかしだから演奏家にかかってくる部分が多くなってくる。前にブログでこの曲の事を書いたときに、「劇的要素が多いことを発見した」と書いたが、練習するにつれて、だからじゃあどう演奏すればいいのか、と言うのがだんだん見えてくる。それは、語尾、あるいは文章の最後をどう抑揚をつけるか、と言うことだと思う。
セリフを言うとき、一番最初の発音、と言うのはとても大事だと思う。
どういう声音を使うか、声量はどれくらいか、どれくらいはっきりした発音にするか、全てが発音の最初の瞬間にいろいろな情報を観客に伝える。しかし、文章をどう終わらせるか、と言うことはより大事だと思う。文章の終わり方によって、質問なのか、はっきりとしたアイディアを提示している文章なのか、自信があるのか、無いのか、いろいろな性格付けができる。ぶっきらぼうなのか、照れ屋なのか、という違いはしゃべり始めでは絶対言い分けられないが、文章の終わりでならはっきりと匂わせることができる。
等など、考察しながら練習中。お楽しみに。