美笑日記3.28:再会の喜び

日曜日に日本からロサンジェルスに戻ってきて3日目の昨晩、演奏会がありました。一か月おきに演奏させて頂いている近所の高齢者施設です。気心知れた聴衆という意味では気安さもありますが、演奏は演奏。更にこの高齢者施設は引退した教育者専用—要するに自他ともに認める知識人。そして地域の芸術団体に献金やボランティア活動などを通じて何十年と支えてきている方々も多いコミュニティーです。その上今回は新曲ラヴェルのソナチネを準備して来ていました。3楽章からなるとは言え短い作品ですが、繊細な曲想と細かい指回りが慣れないピアノだとちょっと曲者。

時差のせいでしょうか。それともたるみ…?普段は開演30分前には会場入りしているのですが、今回は入浴していてハッと気が付いたらすでに開演30分前。慌てて支度をして、10分運転し、髪の毛が乾ききらないまま息せきってビルの玄関に到着したのが開演15分前。上りのエレベーターは各階で最上階の演奏会場に向かう入居者の方々が乗り込んできます。歩行器を使われている方も数名いらっしゃるので、一階で乗り込んだ私は次第に後方の隅へと移動していました。皆それぞれ朗らかに挨拶しながら混んできたエレベーターの中で会話を始めます。

「あなた、今夜の演奏会に行く?…そう、そうよね。ああ、あなたも?もちろん私も行くわ!She is my FAVORITE pianist!(私の一番お気に入りのピアニストだし!)」

発言者はもちろん私が同じエレベーターに乗り込んでいることに気が付いていないのです。でも同乗者の中には気が付いている人もいて、私の顔を見てニコニコしています。

(んんん、困った…無視するわけにもいかない…そして…おおお!どうしよう…嬉しくなってしまった…)

「Thank you…!」

私がお礼を言った瞬間、ご婦人はパッとこちらを振り向き、その後手に持っていたプログラムでさっと顔を隠して「オーマイゴッド!How embarrassing (なんて恥ずかしい)!!」…エレベーター中が笑いに包まれました。

そして会場には記録的な参加者がいらしてくださいました。事務の人が印刷して下さるプログラムが足りなくなったのは7年前にここでの演奏を始めて以来、初めてのことです。集まった方々の体温で会場が熱気に包まれ、汗ばむほどです。

そういう沢山の人々の温かい思いに包まれて、私は決して完璧とは言えないまでも非常に心を込めて演奏を送り出す行為を満喫することができました。

私は、自分が奏者として何をしたいのかがだんだん見極められてきた気がしています。音楽学生のころはむさぼるようにできるだけ沢山の曲目と演奏会をこなしてくるために必死でした。どれだけ短い時間にどれだけ多くの音・曲・演奏を詰みこめるか…それは私個人の強迫観念というよりは競争の激しい音楽産業の中で若手が直面する試金石としてまかり通っている狂詩曲だったような気がします。でもそういうめくらめっぽうのチャレンジは一番大事なことを見失う危険性がある、と今大人になって思います。

私はなぜ弾くのか。これから何のために弾くのか。…私は永遠が垣間見れる瞬間を創り出したい。そして全ての人や時空や出来事の関係性というものを感覚的に共体験したい。例えば19世紀フランス音楽に日本古来の美的感覚が織り込まれている、さらにその曲の演奏に21世紀の在米日本人である私の世界観や死生観が織り込まれている、ということの不思議さと当たり前。無関係に思えるものが実は全て根底で繋がっているということ安心と、だから個人として自覚するべき責任。

弾く意義が明確化してきた今、もう弾かなくて良い曲がある。技巧を見せびらかすための曲。流行りすたりがある曲。一部の価値観に媚びる曲。その中で私が惹かれていくのがバッハとか、古典へのノスタルジアや、東洋や自然を始めとする西洋以外の美的感覚を探求する19世紀以降の作品。そんな私の中で今、ラヴェルのソナチネは私の想いを忠実に反映してくれて、やろうとしていることを叶えてくれる曲です。

次の演奏は4月の13日17日です。

スタンフォード大学構内で見かけた桜。

…ところで、ここまでお読みくださっている読者の皆さんに質問です。

前回のブログ「3月大冒険総まとめ(前半)」の続きに当たる後半の部分を書くべきか、はたまた私のブログはこれから誰のためにどういう内容で発信していくべきなのか迷っています。

まず、表面的な3月大冒険総まとめの後半を書くべきかどうかに関して。あれを書いたのは備忘録の用途と共に、時差ぼけと旅疲れでボケ~っとなっている自分が何とかできた唯一の生産的行為が、旅の反芻を文章に起こすという行為だったためです。でも、箇条書きは読みにくかったのではないでしょうか?それにああいうのは読み物としてどうなのでしょうか?

更に後半を書くことへのためらいは、日本滞在最後の一週間は、それまでの仕事中心の旅に比べてプライヴェートな集会が多く、ブログはプロ活動なのか個人的行為なのか、ちょっと迷うところがあるからです。まあ、私の様な音楽を精神修行の道とする者にとってプロとプライヴェーとの分け目は限りなく薄いのですが… 私のプライヴェートなお友達で(イニシャルのみでもあなたのブログで言及されるのはちょっと…)という方はご遠慮なくメッセージをください。逆に(いや、こういう形で我々の交友の記録が残るのは嬉しい)という方がいらっしゃればそれも大事なインプットとさせていただきます。

更にこのブログが誰のためのどういう内容なものにするべきか、ということに関して。

もともと2009年にこのブログを書き始めたきっかけはタングルウッド音楽祭の研修生としての体験や学びや出会いあんまりキラキラしていて(私一人の思い出とするにはもったいない!)という思いからです。タングルウッドが終わった後は今度は「コルバーン音楽学校という特殊な音楽学生生活が…」さらに、コルバーン卒業後は、「ライス大学での音楽博士課程生活が…、」そして博士課程習得後は「音楽人生という特殊な道での修行過程が…」と書き続けてきました。でも文体も内容も一貫性に欠くこのブログ、これからは誰の何のために書くべきなのか…

こういうことを考え、人生の整理をする年頃なのかもしれません。

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *