明鏡日記11.8:人が人を威圧するという現象

10月25日から11月3日まで書いた『演奏道中日記カリブ海編』シリーズはお蔭様で多くの反響を頂きました。昔の生徒さんやしばらくぶりのお友達からメールで沢山のコメントや応援が私の元に届きました。ありがとうございました。豪華客船の生活や海から見る景色、カリブ海の島々、毎晩の豪勢なグルメ饗宴、などと共に、『バンドリーダー』の横柄ぶりについて多くの反響を頂きました。(あるある!)的な反響だったのか(理解を超える)(信じられない!)的な反響だったのか、いささか計り知れぬところがありますが、バンドリーダーの横暴は私にとっては新しい経験ではありませんでした。

ガチャンッ!...と電話を切られたことがあります。

ピアニストほやほや卵の20代。私は大学院で自分の勉強の傍ら、楽典などの授業も教え、更に演奏のキャリアも歩み始めて天手古舞の時期でした。そんな時、お世話に成っていた指揮者からかかって来た電話でした。「来週の演奏会に起用してやる」という通達の電話に「リハーサルが予定されている時間に授業を教えなければいけないので、生憎ですがお断りさせて下さい。」とお返事をしたら切られてしまったのです。(電話線の不都合かもしれない…)と早まる心拍を無視しながら急いで折り返し電話をしたら、向こうの受話器が上がった瞬間から怒鳴られました。「お前の様な新人に演奏の機会をやる指揮者が業界に何人居ると思っているんだ!お前は私に対して頭が上がらないはずだ!私のいう事は何でも無条件で聞くのが礼儀だ!今までいくつ演奏の機会を与えてやったと思っているんだ!なんて恩知らずなんだ!私の演奏会は何を差し置いても最優先にするのが当たり前だろう!」…そしてまたガチャンッと切られてしまいました。この指揮者はリハーサル中に誰彼構わずよく怒鳴っていました。「お前の代わりはいくらでもいるんだ!」「不満なら今すぐやめろ!」今から思い返すと当たり前なのですが、この指揮者はセクハラの常習犯でもありました。顔を右手と左手で痛いほどの力で挟み、唇を合わせてくるのです。自分より40か50年上の指揮者です。びっくりします。滑稽な体形のちんちくりんで私より背が低い人だったので恐怖心はありませんでしたが、どう反応すれば良い物か困窮しました。強張っている私に「そんなに怖がることは無いだろう。私はお前を気にかけてやっているんだ。愛情表現だよ」と。私に対してはそこまででしたが、それ以上の事を強制された女性奏者がいた事を知った時には疑いの余地は無いと思いました。

豪華客船のバンドリーダーが、今回私と言う代役が必要になったのは、レギュラーのピアニストが協奏曲の演奏と重なっていたからです。豪華客船の仕事の話しがトリオに来たのは一か月前。ピアニストのオケとの共演はもう一年ほど前から決まっていた話しでした。「このトリオの事を気にしているのは、やっぱり私だけなのね。トリオを大事に思っているのなら自分の演奏会なんてキャンセルしても良かったはずよ...」とバンドリーダーがチェリストにこぼしているのが聞こえてきた時、上の指揮者のエピソードを思い出しました。(何を差し置いても自分を最優先に...)の態度。当時の私にとって大学の授業を任せてもらえるという事は非常な誇りでも重大な責任でもありました。ドタキャンは考えられなかったのです。同じくクラシック業界で演奏の業績を積もうとしている若い奏者にとって、オケと協奏曲の独奏を出来る機会はのどから手が出るほど欲しいものです。でもバンドリーダーに言わせると「地方のアマチュアオーケストラを私達のトリオに優先したのよ!あんなオケと共演して何になるって言うのよ!どんな将来性があるっていうのよ!」と言う事に成ります。

セクハラ・パワハラの根拠は『愛情』勘違い!?

私は一般的に「音楽の治癒効果」を謳っていますが、同時に音楽業界の病的な側面に関しても体験も学術的な理解もあるつもりです。2018年のMIRA(Music Industry Research Association)のアンケート結果では67.1%の女性音楽家がセクハラの経験があると回答しています(アメリカ国内のアンケートです)。私の経験や観察から言うと、実際は—特に東洋人女性の間ではーもっとセクハラの被害者は多いし、大抵の女性は一回とか一人からの被害ではなく、大小数えきれないほどのセクハラを経験していると思います。

人間は誰でも必要とされたり、価値を認めてもらったり、愛情を受けることを必要としています。これは共同体から外れてしまうと生きていけないという原始的な生存本能に直結した、切実なニーズです。これを弄ぶのがセクハラやパワハラだと思います。ややこしいのは、セクハラやパワハラをしている方も実は、この生存本能に直結した切実なニーズに突き動かされてこういう言動に走ってしまう、という事では無いかと思います。

音楽だけでなく、親子関係・教育機関・職場など、人間の価値判断が行われる場面ではどこでも、愛情や評価をかけた必死の心理取引が行われているのだと思います。ただ、音楽の様に幼児期からの厳しい訓練が必要な分野では、音楽能力の評価をそのまま愛情だと勘違いして成長してしまう人が多い。その事実だけでも、セクハラやパワハラを増長する温床になると思います。

バンドリーダーは私の音楽学生時代の後輩でした。彼女の神童時代を私は知っています。客船での食事中に彼女が何気なく口にした「私は18歳の時が奏者としてのピークだったと思う。」という発言。更に舞台上から観客に向かってした自己紹介:「子供の頃は地下室に閉じ込められてずっと練習していました。でもクラシックではお客さんは来てくれなかった。そして私は一日3食ご飯を食べたい!だからクラシックを捨てたのです!」ー観客を沸かせるコメディータッチの語り口に、私は胸がつぶれる思いでした。彼女にとっての愛情とは聴衆の拍手とスポットライトなのだと思います。だからそれを脅かす要素は全て死に物狂いで管理しなくてはいけない。自分の過去を知っているピアニスト。演奏の成功を脅かす新人。ミスの可能性。彼女は本番の日、クラシック奏者でもほとんどしないような超ゆっくりのパッセージ練習を何度も何度も楽屋で繰り返していました。彼女は、イエスタデーの演奏でも、舞台恐怖を感じているのだと思います。彼女は確かに私にパワハラをした。でも、その彼女をパワハラに突き動かしたのは、業界とか彼女の受けて来た教育だと思うのです。彼女がどんな演奏をしてもしっかりと彼女を受け止める包容感・安心感を与えなかった世界です。

私の顔を両手で挟んで「ブチュー!」とキスをして来た故ちんちくりん指揮者にとっては、指揮台に上がった時のオケの注目が愛情に感じられていたのかも知れません。だから指揮者としての権威を死守する必要があったのではないか、と思います。その為に奏者を脅かしたり、いじめたりしても、それは固執しなければいけないと彼は誤解してしまっていたのではないでしょうか。

そしてマキコの告白

私がここまで言い切るのは、私もかつて愛情が何たるかを誤解して死に物狂いのパワハラをした張本人だからです。「なんで、あなたは練習しないの?」冷徹にしつこく生徒を問い詰めました。「あなたの親がこの30分のレッスンの為にいくら授業料払っていると思っているの?あなたはそれをどぶに流して、その上私の時間を無駄にしている。」「先週も練習してこなかったわよね?」「あなたは練習しない理由、その深層心理を自分で把握している?」答えの無い質問を際限なくして生徒を何人泣かせたか。「私は音楽に人生の全てを賭けている。その私のレッスンに練習しないでのこのこと来ることがどれだけ私に対する侮辱か、あなた分かる?」私は自分の不透明な音楽人生の将来を正当化・美化するために、生徒をいじめたと思います。

「Sense of Scarcity(欠落感)」は、人のIQを平均17ポイント低下させるそうです。足りないと感じるのは、お金・時間・愛情…何でも良いのです。何とか埋めようとして必死の行動に追い立てる欠落感。その欠落感がどこから来るかと言うと、周りと比べて、なのだそうです。周りに当たり前にある(ように見える)ものが、自分にはない。おかしい。何とかしなければいけない。その焦燥感。羞恥心。怒り。これがその人の視野を狭め、短絡的で非論理的な行動に駆り立ててしまったりするのだそうです。

そして今、私がバンドリーダーやちんちくりんの故「ブチュー」指揮者を冷静に分析できるのは、年の功だけではありません。野の君が、私の演奏や収入や社会的評価がどうであれ、いつもにこにこと包容力と一貫性を持って私を受け止めてくれるからです。それがあるから、私は今バンドリーダーや故「ブチュー」指揮者を可哀想だと思う事が出来ます。そして何とか受け止めてあげたい、と思う。

音楽その物の治癒効果はある。でも音楽教育と業界には革命が必要。

音楽は死に物狂いでするものじゃない。音楽は人生とお互いを愛で合う行為のはずだ。音楽は自分の存在価値を賭けるものじゃない。音楽は見栄を張る為の装飾じゃない。音楽は正直に腹を割って共感しあう手段のはずだ。音楽は競争じゃない。音楽は共鳴だ。

私はピアノバンの資金作りの為に豪華客船でトリオと共演しました。

私はピアノバンの資金作りの為に豪華客船でトリオと共演しました。でも結果的に、ピアノバンの意義を再確認するための対照的なプロジェクトとなった。私は下の写真が宝物です。これは「Music for Autism(自閉症の為の音楽)」というNPOの主催する演奏会の一コマです。自閉症の子供を抱えた家族は中々演奏会に行けません。自閉症児は演奏会の決まりを守れなかったり、拍手の音を苦痛に感じたりしてしまうからです。このNPOは自閉症児やその親兄弟の為に、聴衆が好きなように音楽を楽しめる音楽会を提供しています。その会場で、ある自閉症の男の子が私の弾くアップライトの下に潜り込んできました。その子はずっと床を観て音楽を聴いていたのですが、曲の最後で私に向かってにっこり微笑んでくれたのです。その瞬間は今でも私の勇気と元気の素です。私は豪華客船の拍手喝采よりも、ピアノバンで誰かと心を通い合わせる方を選びます。

1 thought on “明鏡日記11.8:人が人を威圧するという現象”

  1. お疲れ様です。

    富と名声を得たい者は、手段を選びません。
    栄光の椅子は、たった一つ。
    この争奪は、戦争です。
    豊富な戦費と戦略が勝敗を決します。
    戦争にモラルはありません。

    富と名声はあればなお良いけれど、芸術至上主義者であれば、自閉症の児の笑顔ですべてが救済されます。
    迷ったときは、原点に戻ればいいのです。

    小川久男

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