(私は一体今まで何度アテネに降り立ったのだろう)
…今回のギリシャ訪問で、にわかにそんな思いに駆られました。
ギリシャに本社を持つ豪華客船のゲストアーティストとして1997年から2006年まで何度も契約しました。一週間に一度か二度独奏会をする以外は乗客扱いで、その上ギャラも当時の私には十分に思えました。アテネ空港に近いピレウス港からの出発で、毎回一か月前後の契約。ギリシャとトルコの島々を巡る行程が主でしたが、イスラエルやエジプトまで行ったこともあります。フランス・イタリア・スペインなどの南欧州の港を巡った後、大西洋を横断しカリブ海の島々を巡ったり、アマゾン河を昇って南米の国々を回ったこともあります。
一番最初に言葉を交わした現地ギリシャ人は、1997年私の最初の豪華客船アルバイト出航の最初の停泊地、ロドス島の船場で出会ったご老人です。今から思うと釣りでもしていたのでしょうか?桟橋に腰掛け海に向かって両足を下ろし、座っておられました。私はなぜ彼の隣に座ろうと思ったのでしょう…時差でぼーっとしていたのかもしれません。黙って二人で隣り合わせて座ってしばらくして、彼が口を開きました。「ヤポニャ?」(「日本人」という意味だろう)と思った私は、老人と同じ声音でゆっくりと「Yep」と首を縦に振りながら肯定した後、「Greek?」と英語で尋ねました。まあ、このご老人がギリシャ人なのは一目瞭然なのですが、でも相手が自分に興味を示してくれたらこちらも同じく興味を示すのが礼儀だと思ったのです。老人は少しも動じずに「Yep」と同じく肯定してくれ、その後二人でしばし隣り合わせで座っていました。それだけのたわいもない話しなのですが、私の中ではほんわかとあたたかい思い出なのです。
何が記憶に残り、何が忘れ去られていくのか…こういう思い出を思い返す度に不思議に思います。
ご縁というのは不思議な物。もう豪華客船の仕事も、ギリシャに来ることもないだろうと思って10年以上経ったとき、野の君の携わる学会がギリシャのスペツェス島で毎夏恒例で始まり、その上学会参加者のための演奏会のご招待を受けたりしてまたギリシャに来るようになりました。今回は7月7日から12日までスペツェス島での学会に参加し、12日の夜から18日の朝までアテネでヤマハのグランドピアノがあるAirbnbに宿泊して半日仕事・半日観光の日々をゆっくりと楽しむ旅程です。今日はその2週間の旅の最終日。ゆっくり反芻しながらまとめてみました。
スペツェス島でのハイライト①:独奏会「ピアノに聴く革命」
スペツェス島に関しては前回2022年に綴りましたので、今回はハイライト二つに絞ります。
学会の会場が音楽祭の会場として使われるようになったこともあり、今年新しく新品のヤマハのグランドピアノが寄贈されていました。島について試弾に直行。歩いて2分で海岸の気温や湿度の変化が激しい環境の中「新品のヤマハ」と聞かされていても安心はしていませんでしたが、試弾してホッとします。弾きごたえがしっかり。調律も安定している。これなら大丈夫です!到着した日曜日の午後から火曜の夜の本番までは、調律を狂わせないように練習は最低限。アップライトの練習室で指鳴らしや音確認をし、会場では音響やピアノに慣れることに集中します。会場は床も壁も、高い高い天井も全て石造り。残響はそれに見合ってありますが、でも思ったほどではありません。
今回はホスト側から演奏会のテーマに関してリクエストが出ていました。「ギリシャとの関係性、特にスペツェス島出身でギリシャ独立戦争のヒロイン、ラスカリーナ・ブーブリーナに絡めて頂けると…」。
ブーブリーナ(1771~1825)はギリシャ国外ではほとんど知られていないようですが、19世紀初頭に女性として世界で初めて海軍司令官となった女傑です。二人の結婚相手と死に別れ、その結果大資産家となりましたが、その資産の多くを投げうって軍艦を造り、海軍を自ら率いてオットマン帝国にかなりの打撃を与えました。彼女はベートーヴェンより一歳年下、死去もベートーヴェンの二年前と、全くの同世代です。これもあって「ピアノに聴く革命」の演目を準備したのです。
出発前々日に同じ演目で演奏した際のヴィデオをここにシェアします。(トークは抜いてあります。)
自分の命を投げうっても守りたい独立国家とは、国民性とは、何なのか?民主主義とはどうあるべきなのか?人間のあるべき姿は何なのか。
- 0:00 バッハ 平均律集第一巻二番、前奏曲とフーガ、ハ短調
- バッハと古代ギリシャ(ピタゴラス・天球の音楽)や科学革命、
- 3:16 モーツァルト ソナタ16番、K.545、ハ長調一楽章
- モーツァルトと宮廷音楽・啓蒙主義、
- 7:32 ベートーヴェン ソナタ3番、Op. 2-3, ハ長調一楽章
- ベートーヴェンと産業革命と個人主義、
- 18:45 マーガレット・ボンヅ ”Troubled Water” (黒人霊歌「Wade in the Water」のピアノ独奏用編曲)
- 黒人霊歌をピアノ独奏曲にアレンジした曲で古代文明から存在した奴隷制と「人間みな平等」の矛盾
- 26:19 ラヴェル 「大海の中の小舟」
- 「水に流す」?海で繋がる価値観・文化・国々。我々はどこに向かっているのか?
「物理学者の皆さんは私よりもよくご存知でしょうが、音は光や熱と同じようにエネルギーです。このエネルギーを我々人類は石器時代から社会のためにいろいろと活用してきました。今私は音楽家として、このエネルギーをどう有効活用するべきなのか、さまざまな専門家との協議や共同研究を通じて問題提示をしています。皆さんも一緒に考えてください。」というイントロで始めた今回の独奏会。演奏会の晩を過ぎても学会中ずっとご飯や散歩の時間に沢山の方々にご質問やご提案を受ける、良い会話の糸口になりました。
スペツェス島でのハイライト②:『ソクラテスの弁明』の観劇
学会の主催で、ギリシャ人の役者さんたちによるプラトン著「ソクラテスの弁明」の演劇を鑑賞しました。ソクラテスは「政治に貢献しない」「哲学によって青年たちを腐敗させている」「賢者よりも自分を賢いと主張する」などの罪で裁判にかけられ、妥協や謝罪を拒み、死刑を受け入れます。この裁判劇でのソクラテスの弁明がソクラテスの哲学を語るモノローグとなっています。
- 「自分が何も知らないということを自覚しているだけ、自分の無知を自覚しない、あるいは知っているふりをしている賢者よりも、自分は賢い
- 「正義に反することは、刑罰を受けることよりも大きな禍だ。」
- 「正義のために戦うならば、公人ではなく私人として生きるべき」
私は2019年にもこの劇を同じ役者さんで観ています。前回は「良い教養体験をした」という自己肯定と、役者さんたちの熱演を満足に感じてニコニコしていました。しかし今回は非常に胸迫るものがあると同時に、死ぬことでしか潔癖を証明できない社会構造の不毛さが現在でも至るところである気がして暗澹たる思いもしたのです。年月を経て私の視点が変わったのか、それとも来る大統領選や、希望が見出しにくい環境危機や紛争などの社会状況の泥沼化が私の視点を変えたのでしょうか?
アテネでのハイライト①:ヤマハのグランド付きペントハウスAirbnb
旅が大好きな私ですが、3日以上練習しないと落ち着かなくなってきます。でも今回は野の君がピアノ付きAirbnbを掘り出してきてくれて「アテネでゆっくりしよう」と誘ってくれたのです。限りなく予想可能が安心なホテルと対照的に、Airbnbはびっくりが多いです。到着してみて今回のびっくりは全てポジティブ!4階建てのアパートの最上階のペントハウス。大きなバルコニーにはハンモックとハーブガーデンとろうそくやソファやコーヒーテーブルがあり、キッチンもリビングもとても清潔でデザインも素敵!同じアパートの一階下に住んでいるホストのタソス氏は音楽学校を出たピアニスト。そのタソスさん所有のヤマハのグランドはしっかりとしたアクションで練習しがいがあります。
このAirbnbに泊まるためだけにアテネに来たくなるくらい素敵なんです!しかもお値段もホテルよりお手頃!
アテネでのハイライト②:ファーマーズ・マーケット
地域の農家が農産物を持ちより直接消費者に販売するファーマーズ・マーケット。仲介者がいない分消費者はお手頃なお値段で新鮮な物が手に入りますし、長距離搬送されない分、地域経済の支援にも、環境負担軽減にもなります。我々はロサンジェルスでも毎週利用していますし、旅先での楽しみの一つです。
到着した晩、近所のコンビニの様な小さなスーパーで水を大量に買い込んだ際、レジのお兄ちゃんにファーマーズマーケットの場所を尋ねておきました。蛍光色のような黄緑色に染められた髪をモホーク刈りにしている特徴のある20代のお兄ちゃんは、意外に流暢な英語で物知りに丁寧に教えてくれました。
翌日は朝一でいざ!
「ニーハオ!」
物色していると販売のおじさんたちが声をかけてきます。LAで「ニーハオ」と言われたら(人種差別だ)とムッとしますが、ここでの陽気なおじさんたちの声音に悪い気はしません。「カリメ~ラ!(おはよう!)」我々はギリシャ語で返します。トマトが赤い!試食させてくれるスイカがジューシーで甘い!アテネに到着した翌日に沢山の種類のオリーブや、日本でもアメリカでも見たことがない薄い色のオクラ(小さくて生食でも甘い!)、光るような黄緑のブドウ、甘酸っぱい汁たっぷりのスモモやチェリーなどを買い込みました。(でも短期滞在だしな~。)きゅうりを二本差しだしたら、売り手のおじさんが「え?オンリー?2本だけ?」すごくびっくりされてしまいました。(こんな小売り、迷惑だったかしら)…首をすくめて謝る姿勢になったらば「ノープロブレム!ギフト・フロム・ミー!OK?バイバ~イ!」たかが40円ほどのことなのですが、ものすごく嬉しくなってしまいました。(これはきっと忘れないな~)…こういう気持ちの時いつも思います。
Airbnbの良いところはおうちごはんができること。これでかなり節約ができるし、地域の食材を使って簡単なサラダにしたらそんじょそこらの観光客相手のレストランよりおいしかったりするんです。ファーマーズマーケットで買い込んだ帰りに昨日のコンビニスーパーで水を買い足したら昨日の黄緑モホーク兄ちゃんが「ファーマーズマーケットにはちゃんと行けた?」こういうのもAirbnbの醍醐味です。
アテネでのハイライト③:アクロポリスと夕焼け
アテネには多分12回くらい来ている私ですが、実はアクロポリスには一度も行ったことがありませんでした。観光とか観光地よりも、実際の人々の生活や営みに興味があったこと。それに加え、20代でギリシャに来始めたころは貧乏学生で、その後も貧乏癖が中々抜けず、アテネ中から見える高台にあるアクロポリスを近くで見るためだけに20ユーロを払うのは馬鹿らしい気がしたからです。野の君も似た者同士で、二人ともアクロポリスはいつも下界から見上げるだけで終わっていました。
でも二人で突然思い立って急遽行くことにしたのは、我々がだんだん貧乏学生癖から抜け出してきているからでしょうか?そして行ってみて本当に良かったのです。
アテネは暑い!最高気温が38度くらいです。そしてアクロポリスは高台まで登ります。我々は18時に予約を取っていきました。8時に閉まるまで2時間じっくり探索。丁度よかったです。
アクロポリス目掛けて昇っていく途中に円形劇場があります。紀元161年の建設。立派なものです。今でも演奏会場として使用されています。
プロピュライアと太陽
アテネの現在の日の入りは8時40分。6時半ごろアクロポリスに登頂した我々は日陰を求めて移動します。そうするとツアー客やガイドさんたちが我々の日陰をシェアするべく陣取ってきて、いやおうなしにガイドさんの説明を聴く羽目になります。ナイス!
アクロポリスは神殿の建設が始まった紀元前6世紀ごろからベネツィア軍の砲撃によって破壊される1687年まで、それぞれの社会背景の中で様々な役割を担って活用されてきた。1975年から、そこら中に散らばる大理石をパズルのようにはめ合わせる気の遠くなるような『修復』作業が現在に至るまで続いている。
アクロポリスのふもとの丘で、沢山の人々と一緒に夕焼けを観ました。丘はつるつるの大理石で滑りやすい。「ここに足を置いて」「次はここ」見知らぬ他人が、手を差し伸べて転ばないようにいろいろ指導してくれます。
夕焼けまでの数十分いろいろ物思いにふけりました。遠くで教会の鐘の音や、読経の様な聖歌の歌声がスピーカーから聞こえてきます。
最後の日光が建物の影に隠れた時、自然とみんなが拍手を始めました。これもきっと忘れないな~。
今回訪れたビザンティン博物館でも考古学博物館でも思いましたが、本当に我々は建設し破壊し、建設し破壊し、何をやっているのでしょう。文化の違いは尊重こそするべきですが、古代ギリシャも古代エジプトも(考古学博物館ではこの二つの古代文明の比較検討のような形の展示がありました)、数千年を経てみれば違いよりも似たところの方が目立ったりします。何千年も前の古代文明の像は埴輪のようであったりもします。「人間みな兄弟」はどこに行ったの?
音楽にしたって同じです。古代ギリシャも古代エジプトも日本もアフリカも基本的に笛と太鼓と弦楽器。私なんかに言わせてしまうと大体みんな一緒です。
そしてみんな、突き動かされるように自然やお互いを絵に描いたり、彫刻で再現したり、詩に読んだり、歌に歌ったりしている。自分の想いや存在を知ってほしい。お互いを、世界を理解したい。そうやって天文学や哲学や宗教や数学や、いろいろな観点から研究や観察や熟考を重ねる。それはやっぱり慈しむということなのではないのか。それならなんで、出した答えが完全一致しなかったからといっていがみ合ったりしてしまうんだろう。
今回の旅行のハイライト:旅は道連れ
若いころは一人旅を好んでいました。自分に対する先入観を持った人々や、自分が育った環境や知っている社会から距離を置いて、自分というものを独立した個人として見極めるために、一人旅は当時の私にとって必要でした。20代の私の世界はスマホが世界に存在する前。地図を読み、人に聞いて、目的地までたどり着きました。インターネットだって探さなければ旅先ではなかったし、ましてや客船に乗り込んでしまえば皆無でした。だから旅先では自分の過去や日常を完全に断ち切ることができたんです。そんな状況で、私は沢山の楽譜と本と広辞苑や漢和辞典をスーツケースに積み込んで、重量オーバーの荷物をうんうんと引っ張りながら公共交通機関で世界を旅してまわりました。
そんな私が今では野の君の道連れが何よりも心地よくなったのは、どういうわけでしょう。私も、世界も、旅行事情も大きく変わりました。
今回の旅行は企画段階から予約の手違いや、飛行機の遅延や、思いがけないハプニングも沢山あったのです。EUの入国審査の時では野の君で長い行列の前に走って行って「乗り継ぎが間に合わないので」と二人で行列の前の人々に頼み込みました。カナダの空港ではスーツケースを転がしながら二人で猛ダッシュしました。一人がタクシーを拾う間、もう一人がその夜のホテルの予約をスマホで取るという臨機応変のアクロバットもこなしました。
私はどちらかと言うとソクラテスのように、自分の信条に反するをすることを強いられるくらいなら、喧嘩や絶交した方がまし、と思う人間です。私は憎まれっ子だったし、それでも良いと強がって生きてきました。そんな私には、こういうパートナーシップが現実にあるとは想像もできなかった。想像もできなかったのに巡り合えたのは、奇跡に近いと思います。野の君とは、お互い庇いあい、助け合い、励ましあい、そして喜び合ってどこまでも行けます。一緒の年月を重ねれば重ねるほど、喜びが倍増し、不安や困難が軽減し続ける確信が深まります。そして私の様な人間でも野の君の様な人に巡り合えてこういうパートナーシップが築けるのなら、世界平和だってあり得るんじゃないか、と思います。
感謝を込めて。ギリシャ最終日より。