米日財団が2000年から主催しているUS-ジャパン・リーダーシップ・プログラムというプログラムがあります。日本が目覚ましい戦後の高度経済成長を遂げ、アメリカの経済を脅かす経済大国とのし上って来た1980年、民主主義の経済大国の同盟と協力体制を確固たるものにするためまず米日財団がNPOとして創立されました。その後、日米の絆を深めるためには個人間の友情と相互理解が必須だという事で米日財団が総力を挙げて開始したのが、US-Japan Leadership Program, 頭文字を取ってUSJLP,です。
私自身は2017年に米日財団主催のUS-Japan Leadership Programのメンバーとして受け入れて頂きました。毎年日米合わせて20人ほど選抜される合格者に加えて頂けたら、二年間は「デリゲート」として、偶数の都市は日本(京都―広島ー東京)、奇数の都市はシアトルで開かれる一週間の合宿に参加する事が、生涯このコミュニティーへのメンバーシップを約束される「フェロー」となる条件として提示されます。一年目のデリゲートとして京都で開かれた初日のオープニングディナーでは、プログラムの創立者だった政治学者のGeorge Packardが「日米のトップの様々な分野で国境を超えたコラボや対話で世界を平和へと導くことを理想としています」とスピーチをされたことが今でも心に残っています。私の同期には、この会合のすぐあとにマッカーサー「天才賞」を授賞し、二年後にはピュリツァー賞に輝いたアメリカの黒人の歴史と教育差別を専門とするジャーナリストのニコール・ハナ・ジョーンズや、日本のトランスジェンダー活動家で東京レインボープライドの共同代表理事や日本オリンピック委員会の理事も務められた杉山文野と言った有名人の他に、軍・政治・学界・メディア・教育・医療など様々な分野の代表として世界で活躍する人々で眩しいばかりでした。私はたまたま在外が長い日本人だったこと、そしてアメリカ在住の応募者は大抵東海岸か西海岸に住んでいたのに対し、私は応募当時ライス大学にまだ在籍しており「ヒューストンに住む日本人ピアニストのミスマッチが面白い!」と選考員の印象に残ったために有利だったことは、合格して数年後に知りました。(デリゲート一年生の一週間を終えた直後に私はロサンジェルスに引っ越し、西海岸組に加わってしまったのですが…)この時同期だったメンバーに医者なのに学校に戻りMBAを取り直して起業をし、医療改革を目指して頑張る3人の内一人に「医療でも音楽でもその産業に問題意識を持ち改善しようと思ったら、その産業で飯を食っていては出来ない」と言われた事がその後の私の動向を方向付ける大きな動機となりました。
二年目の2018年は#MeTooが話題沸騰の時期の会合となりました。私は#MeTooのパネルの最中に身も蓋もなく慟哭してしまいました。自分の体験を語って人前であんな風に泣いたのは後にも先にもこの時だけです。「弱い」とか「感情的」とか思われてもこのコミュニティーからは見放されても、それでもこの影響力を持つ人々に音楽界の現状を知ってもらいたいと思ったのです。でもUSJLPの仲間は、それを「勇気ある行為だ」と評価して立って拍手をしてくれました。その時は「慰めているだけだ」と思いました。でも5年経って、あの時私が大泣きをするのを目撃した人達は、皆私との友情を尊重してくれているし、私がやっている事に関心を寄せて応援してくれている。その事が私をどれだけ勇気づけているか、計り知れません。
先週、毎年恒例のUSJLP会に3日間参加して来ました。新入生もOB・OGも、皆それぞれ人類や地球の将来のために一生懸命な熱血人たちです。色々な事に興味を持って、真剣にチャレンジを重ね、そしてシェアする事に喜びを感じる太っ腹な人達です。合格からの6年を経て振り返ってみると、今私が意義と誇りを感じて手掛けている活動の多くが元をたどればUSJLPが学びやネットワークのきっかけを作ってくれたことがほとんどです。感謝の念に堪えません。
お疲れ様です。
世の中、凄い人がいるのものだ。
其れも、身近に。
本尊の実相は、ピアニストを含め、とてつもなく偉大な人間であった。
恐れ多いことだ。
小川久男