読書、「笑いと忘却の書」


9    練習
10    図書館で録音聴く、総譜勉強
11;30 オケのリハーサル
12;30 昼食、寮に戻る
1;30  リハーサル・コーチング(Singing Sepia)
4    読書
5    友達とおしゃべり、夕食
7    リハーサル (”Sallie Chisum Remembers Billy the Kid” by Andre Previn)
7;30  練習
私は、ベッドに入ってから眠りにつくまで何でもいいから活字を読む癖が在る。
読まないと眠れない。
普段は本の虫で、寸暇を惜しんで読んでいるが、
タングルウッドに来てからは時間よりも気持ちの余裕が無くて、
就寝前のわずかな時間だけの限られた読書になっていた。
飲み会の後などは数行で目が閉じてきてしまう。
それでも、最初の数週間でカポーティの「カメレオンの為の音楽」を読破したが、
そのあと読み始めたミラン・クンデラの「笑いと忘却の書」は遅遅として、今までなかなか進まなかった。
それが、この数日で一気に読み進み、もうすぐ終わりそうで、勿体ない。
研修生たちはこの頃皆読書に熱心だ。
読書のイメージとはかなりかけ離れたキャラの人までが、
バスの中や、リハーサルの中休みの時、あるいはキャンパスのベンチに座って、本を読んでる。
皆、このスケジュール、プレッシャー、環境、そして毎日顔を合わせる同僚に
愛着も感じるが、同時に疲れて来てもいる。
そして逃げ場所が無いから、観念的に読書で、頭の中だけでも別のスペースに行こうとするのか。
特に、明日から4日に渡って始まる現代曲フェスティバルの準備のプロセスは
かなり忍耐と、根性を要するものだ。
あまりに抽象的で、めくらめっぽう次の音を追うだけしかないような曲もある。
作曲家の要求があまりにも楽器の性質に合っていず、弾くのが不可能なような曲もある。
それを非常に限られた時間で、なんとかコンサートまで仕上げなければいけない。
ほぼ毎日あるリハーサルとコーチングでは、同僚、指揮者、そして作曲家から色々注文をつけられる。
演奏家の選択、人格、芸術性の余地がどんどん狭まってくる。
現代曲が大好きだ、と言う研修生もいるが、選曲の自由がここでは演奏家には無い。
その上に、こう弾け、こう考えろ、ここで息をしろ、ここで腕を動かせ、と
やたらと色々な人からやたらと色々なアドヴァイスを受ける。
色々な疑問、不満をこらえて、演奏会でベストを尽くすべく、みんな頑張っている。
そして本の中の世界が救いとなる。
クンデラは、ずっと昔に「存在の耐えがたき軽さ」を読んで、すごく好きだったが、
この本も似た意味でとても共感する。
一応小説なのだが、登場人物のドラマを使って、
ちょっとずつ世界を、人間性を、言葉の意味を、解明していく。
日常的なヒューマン・ドラマが突然、非常に一般的な哲学に結び付いていく。
お腹がすいている人がおにぎりを食べるように、一言、一言に感激してしまう。
皆で「これもいつか、楽しく思い出すエピソードになるよ。」と言いあって励まし合っている。
現代曲の作曲家は独創的であることを、とても強く追及する。
でも、常識が無いところで音楽を創ろうとするから、
演奏家との間に何も共通に理解する物が無い。
作曲家はその新しい音楽観を提示する側だから良いかも知れないが、
演奏家はその新しい音楽観を受け取って、取得して、聴衆に提示しなければいけない。
作曲家に提示された音楽観に同調できない場合、演奏家はどうすればいいのか。
問題は、今の世の中作曲家が演奏せず、演奏家が作曲しない、と言うことに在る。
と言うことで、私はここで宣言するが、作曲をすることにします。