死にゆく人を見守る、と言うこと。


私のアメリカン・ファーザーが92歳の大往生を遂げるべく準備をしている。
心臓が悪くなって最近入退院を繰り返し、
先々週にまたもや水が溜まって入院した際に私のアメリカン・マザーのジョーンと話し合い
「もう退屈だ。もう良い」と二人で決めて、
治療・投薬・食事を拒否し、今はホスピスで鎮静剤だけを投与してもらって死を待っている。
そのプロセスに立ち会うために帰省している。
エドはもう発声も困難だが、私が行くと笑いかけ、ジョーンが行くとキスを求める。
でも、目を開けるのも意思の力、という感じで、後は昏々と眠っている。
むしろケアが必要なのはジョーンである。
エドの死後に備えて、一人では無い事を私や息子や友人との会話で確認し、
経理関係、家関係、車、電気・ガス・水道、通信、諸々の準備を整え、
自分の独立した余生を計画しなければいけない。
感情的な、不安とか、孤独とか、そう言うのを差し引いても、これは大変な作業である。
生まれてきたら避けては通れない過程だ。
私はジョーンとエドの生きざまと死にざまを見せてもらうことで、
さまざまな事を教わっているのだ、と思う。
しっかり立ち会う。
エドには運転を教えてもらった。
免許を取る時も一緒についてきてくれた。
私の演奏会の時は楽屋で手を包んで温めてくれた。
エドは親日家で日本語を少し話し、読み書きも出来た。
16歳でホームステーを始めてしばらくしたある日、
学校から帰ってきたらテレビに張り紙がしてあった。
「テレビは、だめ。れんしゅうは、はい」と書いてあった。
大笑いしたのを覚えている。
下校後いつもおやつを食べながらテレビの前で数時間ぼーっと過ごしてしまう私を
心配していたのだろう。
英語がまだ不自由な私は高校の宿題がいつも一人では終えられなかった。
だって渡米して3年目の私に古い英語でシェークスピアやベオウルフを読め、と言っても無理!
私が学校に行っている間にエドが(もう引退していた)その日の英語の宿題を
私のために予習して、ダイジェスト版を作って、私の机の上にさりげなく置いてくれていた。
それを毎日やってくれた。
当時はまだ家にコンピューターが無くて、全て手書きだった。
どうやって電車でマンハッタンに一人で行けるか、教えてくれたのもエドだった。
予行練習を一緒にやってくれて、
クライスラービルディングで豪勢なお昼をごちそうしてくれた。
大学に上がってからもちょくちょく帰って来て栄養補給をさせてもらった。
そんな時、よく長い散歩に一緒に出掛けた。
そして「美」の定義とか、「生命とは何か」とか、そう言うトピックで色々話した。
物理学者で、Semi conductorを作ったり、NASAになんだかパーツを収めたりして、
その講義などで戦後間も無い日本を含む、世界中を出張した人だった。
でも、私が知っているエドはもう引退後で、穏やかで朗らかでいつもリラックスしていた。
色々お世話になった。
本当に育ててもらった。