「あなたには英語の名前はないの?」
まだ渡米したばかりの90年代にはそう聞いてくる人もいました。日本語の名前は覚えられない、発音できない。知名度を上げるためにも英語の名前を選んだほうが良いのでは?「マキコ」の音に近い「マギー」など、考えた事が無い訳ではないのです。私の事を「ああ、お寿司ね!マキ!」と呼ぶ人もいましたが、何だか安っぽく妥協に感じられました。
私は自分の名前が好きです。「真実の希望の子」という普通の読み方も好きですが、「まことにまれな子」とも読める事実も好きです。だから英語の名前を選ばなかった。「ハニー」とか「スウィーティー」とか「パンプキン」「スウィーティーパイ」「シュガー」などの甘い物を相手の愛称にして愛情表現するアメリカ流のやり方も嫌いで、「私の名前はマキコです」といつも正していました。可愛くなかったとは思いますが、自分なりに一人の人間としてまともに扱ってもらいたくて必死でした。
その私が今考えている改名は「Cassandra(カサンドラ)」です。
カサンドラというのはギリシャ神話に出てくる王女です。太陽の神アポロに見染められ、予知能力を与えられます。が、アポロの求愛を拒み(など、理由は色々なバージョンがあるようですが)、予知能力はあるものの誰にも信じてもらえないという呪いをかけられることになります。
なぜ私がカサンドラへの改名を考えているか。
私は今、気候変動について詰め込み勉強をしています。そして、自分でもびっくりするのですが、二晩に一晩位、悪い夢を見ています。私は今、未来をかなり悲観しています。もし私が本当に気候変動のダメージを訴える社会運動家になるのであれば、私は人が聞きたくない事を言い続ける人にならなければいけない。
私は今まで音楽の治癒効果を謳ってきました。音楽の効用は心地よい情報です。でも今までの私の活動の規模ではそれだけで終わりです。本当に効果的に非常事態の音楽効用を実践するためには、そういう教育や習慣づけの必要性を行政や社会に訴え、教育現場や政治政策・医療現場・社会福祉などの協力を国際的に得ることが必要となります。
気候変動の影響で社会の均衡や人々の日常生活が乱される可能性を考察した場合、音楽は上手く使えば強力なツールに成り得る。例えば音楽は簡単な情報を記憶に留めるのに役立ちます。文盲率が高い地域でも必要な情報を効果的に広めることができます。更にパブロフの犬的な条件反射を即するのにも効果的です。例えば「この音を聞いたらすぐに逃げる」など。大勢の人間の動作を統一する効果もあります。単純作業や肉体作業を長く続ける必要がある場合(例えば氾濫した水をバケツリレーする、など)、「皆で歌いながら作業をする」という知識と習慣があるだけで、約20パーセント人はより長く・早く作業を続けることができます。更に、音楽は苦痛感知を軽減する効果があり、例えば音楽は手術中の麻酔・手術後の鎮痛剤の必要性が減らす事が分かっています。自然災害などで医療が行き渡らない際、苦痛やストレスを多大に緩和する事が出来ます。医者は一度に一人の患者しか診る事が出来ませんが、音楽は瞬間的に沢山の人に効果を及ぼす事が出来ます。そして歌を歌う事なら大抵の人が出来るのです。
何よりも大事なのは、音楽が人の共感力と一体感を高めるという事です。水・食料・燃料・居住可能地域など、生きていくために必要な資源が激減した時に「弱肉強食・適者生存」ではなく「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という人間の威厳と精神を保つ為に役立ちます。
「カサンドラのジレンマ」という物が在ります。人が聞きたくない予言をする⇒バカにされ、信じてもらえない。人が聞きたくない予言をして受け入れられる⇒予言の忠告に従ったため予言そのものが当たらなくなる。どっちにせよ損する、というジレンマです。
気候変動の警告を大声で叫ぶことは、はっきり言って損な役回りだと思います。それでも良いと腹をくくらなければ本気でできない事だと思います。だから改名を考えています。犬養毅は首相になる時、遺書を書いたそうです。その頃の政治家はそれが当たり前だったというのを、孫の犬養道子の回想録で読んで感銘を受けた記憶が在ります。私は今、それを思い出しながら改名を考えています。
お疲れ様です。
社会活動家へ転身するのも一計です。
たった一度の人生ですから。
とは言え、辛酸をなめて現今のピアニストがあります。
この経験値が財産です。
財産をどのように使うかは、自分次第です。
小川久男
ありがとうございます。
熟考中です。
真希子
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