「絶対に終わりだ!」と思ったところで奏者をねぎらうつもりで思いっきり拍手をしたらば 他のだ~れも拍手をしておらず、なぜか白い眼で見られて恥ずかしくなった… クラシックの音楽会でこういう経験をした人は少なくないと思う。 なぜ、楽章の終わりで拍手をしてはいけないのか? なぜ、ジャズなどでは難所の終わりは拍手でねぎらうのに、クラシックではしないのか? オペラだってアリアの終わりに、オケがまだ演奏していても拍手が起こるのに? 本当に拍手は皆がする時だけしかしちゃいけないのか? この事を歴史的に検証した面白い記事を見つけたので、要約します。 Robert Ricks “Are Our Audiences ‘Skeered (Scared) to Clap?’”A Brief Survey of Applause Practices,” Journal of the Conductor’s Guild 16, no. 2 (1995): 66-75 モーツァルトやハイドンが生きた古典派の時代(1750-1825)は 楽章の終わりで拍手するのが当たり前だっただけではなく、 交響曲の一楽章だけを演奏したり、 また全楽章を通すときでも聴衆が気に入った楽章のアンコールを要求したりしました。 モーツァルトの交響曲「パリ」は パリでの演奏の際、全楽章とも終わる度に拍手で迎えられたのですが、 2楽章の拍手が少なかったためにモーツァルトは新しい2楽章を書き直しました。 この1楽章と終楽章は、楽章演奏中に聴衆が拍手することを期待し、 その様に書いた、とも言っています。(父への手紙の中) ベートーヴェンの有名な第九もスケルツォの楽章のティンパにの箇所で 聴衆が興奮のあまり我慢しきれずに拍手を始めたそうです。 1882年ににブラームスの交響曲第一番を指揮したハンス・フォン・ビュローは 第三楽章の拍手が最初の二楽章より少ない事に不満を覚え、 勝手にもう一度第三楽章を演奏しなおしたそうです。 19世紀のパリでは奏者が「サクラ」をしばし起用しました。 勿論、バイト料を払って、です。 サクラの効果は絶大で、時には曲の正直な評価が全く分からなくなるほどでした。 サクラが払えない奏者ように、ハンドルを回すと拍手に似た音が出る 「拍手マシーン」なるものまであったようです。 一方、メンデルスゾーンやシューマンなどは楽章終了の度に起こる拍手を嫌い、 それもあって楽章と楽章の間にトランジションの音楽を書いたようです。 有名なメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も一楽章と2楽章がつながってますね。 ワーグナーもこのような拍手で自分の芸術が邪魔されることを嫌いました。