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昨日の夜、物凄い達成感と共についに博士論文の2章目を完成した! そして今日、論文指導の先生との面会があった。 非常に適格な、アドヴァイスを沢山頂いたので、ここで覚書。 1.When ideas are big, sentences should be short. (語る概念の大きさに、文章の長さを反比例させる) 大きな概念について語る時、概念その物と概念に対する形容などを同じ文章に居れてしまうと、読者は何度もその文章を読み返して理解しようと努力する。そうするとその概念がどのように論点の後先につながっているのか忘れてしまう。分かりにくい事こそ、簡潔に言い切る。 2. Be very concise/precise on the background context to the immediately related parts. (歴史や文化の背景の描写や説明は、自分の論点に直接的に関係のあるものに限る) 例えば私は暗譜の起源を語る時、農業革命、工業革命、中産・ブルジョア階級の社会的進出、啓蒙主義、個人主義、ロマン派思想、自然主義、と言うことを全て大まかに説明してから、「音楽でも、自然主義の哲学に乗っ取って、理論では無く感覚的に楽しめる音楽が好まれるようになる。さらに、個人主義の思想に乗っ取り、一人でも演奏可能なピアノが好まれる。貴族社会崩壊、さらに農業革命と工業革命の結果としての人口の都市密集などにより中産・ブルジョア階級の社会進出、さらにそれに伴う演奏会様式の変容…」と言う風に論理を展開する。 こうなってしまう理由は、自分自身がそういう歴史的背景に対する知識が浅く、自分が発見解明していく過程をそのまま順を追って書いているからなのだが、こうすると読者は「自分は暗譜の歴史について読んでいるつもりだったのに、なぜ筆者は19世紀の社会変動について書き連ねているんだ…?」と途方に暮れてしまう。さらに「こんなこともう知ってるよ~」と言う読者も居るかもしれないし、あるいはそういう事を全然知らなくって「あんたはそう思っているかも知れないけれど、この連鎖的社会変動が歴史的絶対事実だと言う証拠はどこにあるのよ~!」と思う人も居るかも知れない。後者を満足させるだけの情報量にページ数を費やす余裕はこの博士論文では無い。そして前者の読者にはこの情報は全く不要。と、言うことでこの歴史的背景の大まかな説明は全て割愛! …と教授に言い渡されて、私は口をとんがらせてしまった。そして私の反論。 私はこの論文を書き始めるまで、こういう19世紀ヨーロッパの社会的背景について本当に知識が浅かった。私には自分の論点を展開する上で、背景について勉強する必要性があった。私の論文テーマは私と似た様な音楽教育を受けてきた人たちに需要が高い情報を提供している。彼らが読むことを想定するならば、この背景をこの論文に居れることは(学術論文的には蛇足でも)許容されても良いのじゃないか? …教授は優しい人なので、私の不満げな顔を見て、一生懸命考えたうえで、こういう提案をしてくれた。 それなら、論理展開の順番をさかさまにしてみたらどうか? 例えば、『19世紀前半の演奏会様式は(云々)だった。なぜならば背景に個人主義(あるいは自然主義、ロマン主義、云々)があったからである』 よし!これならできる。 書き直すのはちょっと面倒だし時間もかかるが、これならできるぞ~。 3. Always be clear about how each point you’re making relates to your thesis 論文に触れる全ての点と自分の最終論点との関連性をいつも明確に提示する 上の歴史的背景でもちょっと触れたが、兎に角「暗譜の起源・発展を語る上でこの情報は見逃せない!」と言うアピールを常にすることによって、読者を論理の展開に乗せて、飽きさせない。方向性をしっかりと提示することによって、読者が安心して次の文章へ読みたい気持ちを募らせるようにする。 4. Every point…
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博士論文を書く作業と言うのは色々と挑戦が多い。 意外だったのは寂しさ。 (自分は何て意思が弱いんだ!どうして論文書く時間にFacebookばっかり見ちゃうんだ!) と一時期本気で嘆いていたが、 勉強パートナーが幸い見つかり、一緒に勉強するようになって一気に解決した。 時々息抜きで冗談を言い合ったりする以外は ただ隣に座ってそれぞれ文献を読んだり、激しくタイプしたりしているだけなのだが、 安心するのだろうか…スっごく捗る。ありがたい。 次に挑戦は細微にこだわりすぎるあまり、大きな論理を見失ってしまう現象。 これは自覚すること、そして論文の専門家に読んでもらって批評してもらうしかない。 そして文献のあまりの多さ。 読めば読むほど新しい見解が増えていき、自分の中でまとまりが無くなってしまう。 どこまで読めば良いのか、どこからが読み過ぎなのか、と言うことを見極める勇気が、 非常に重要だけれど、重要度に比例して中々困難。 さらに、言いたい事が決まっている時、 自分では頭の中でもう嫌と言うほど反芻した事実を、 今までそんな事思ってもみなかった読者にきちんと伝わるように筋立てて書き出す、 と言うのは、中々難しかったり、逆に簡単すぎて退屈だったり。 それを律儀にこなすのも挑戦。 こう言う挑戦の一つ一つが時々、気持ちを弱らせてしまったりする。 そういう時の一番の応援は美味しいお食事を楽しく友人と談笑しながら頂くこと。 誘われて(ああ、でも論文が…)とか思いながら、 それでも約束の時間になって無理やり外に出ると、 頭の中がもやもやして、友人を見つけた時の笑顔もいつもの半分くらいなのを 自分でも自覚したりする。 それが、メニューを読みながら色々な料理を想像していくと、段々楽しくなって来て、 ついに料理がでて、それが美味だったときに、パッともやもやが晴れて (おいし~!!!!)と一気に元気になる。 食のパワー、そしてそういう食に誘ってくれる友情のパワーは素晴らしい! 皆、いつもありがとう!
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日曜の朝、起きてベッドでぐずぐず… 寒くなったせいもあるが布団の中で携帯で動画を立て続けに見たり なんとなくまったり過ごしてしまった。 一昔前の私は、目が覚めるとベッドから飛び起きて洗面もそこそこ練習室に向かっていた。 そうしないと早いもの順の練習室、自分の好きなピアノが取られてしまう! 本当に出遅れると、練習室が埋まってしまい、 空き練習室を求めて練習室の周りを巡回したり、廊下に座り込んで待つ羽目になる! 質より量で練習していた。 本当に修行の様な毎日だった。 最近の私からは想像も出来ない… 大変ありがたい事に場数を踏んで経験を積み重ねる幸運に恵まれた私は 良い意味でも悪い意味でも、演奏に向けての準備、そして演奏をする、と言うことに慣れた。 昔は寝る間も削って準備しないと怖くて演奏に臨めなかったが、 今は良い意味で度胸、悪い意味でふてぶてしさが身に付いた。 精神安定剤と言う意味で練習する必要がなくなって、 社交や勉強、そして人生経験のために時間を使えるようになったのは 音楽のためにも良い事だが、 同時に完璧さや技術の向上を求める自分に対する厳しさをもう一度見直さなくては、 と今日、ベッドの中でのぐずぐずの後に、しばし焦燥感を覚えている。 演奏の数が増え、場慣れしたとか言っておきながら、 演奏会をこなす度に、達成感から来るご褒美で自分に休息を許してしまう。 しかし演奏会が増えているので、今では一週間に一回、時にはそれ以上 自分に「休息日」を許してしまっている。 だめだ、こんなんじゃ! 博士論文のリサーチで色々な分野の沢山の論文を読んでいる内に OK Plateauと言う概念について知った。 (日本語では「OK停滞」と訳すようです。http://www.lifehacker.jp/2012/09/120926okplateau.htm) 自分の現状にある程度満足してしまい、現状維持だけで向上心をなくしてしまう状態。 私はそんなのはつまらない! 死ぬまで向上したい! 私の目標は 「死ぬまで毎日、日々のピアノの修行を通じて、 ピアニスト、音楽家、そして人間として少しずつでも上達していく」 今日からそこに「より美しくある事を追及する」を付け加える! 「美しい」と言う基準は曖昧であるけれど、同時に包括的でもある。 人道的な行為を私は、非人道的な行為よりも、美しいと思う。 筋の通った理論、自分の理論を行動に移せる決断力を全て、私は美しい、と思う。 無駄の無い効率の良さ、歯切りの良い物言い、潔い行動力も、美しい。 なぜ最近元気が無いのか、セラピストに相談したら 「記念日症候群」と言う概念について教えてくれた。 自分で意識していなくても、記念日には喪失感に襲われる、と言う現象だ。 そう言えば全く考えもしなかったが、 私が元・婚約者、現ストーカーであるサイコパスと付き合い始めたのは 丁度去年の今頃、ドンピシャである。 でも、言い訳なんて言うのは探せばいつでもいくらでも見つけられるのである。 残るのは、その時々の心理状態では無く、やったかやらなかったか、だけである。 私はちょっとした鬱なんてものは、行動を持って対処する。 寝て回復を待つ、何てことはしない。 受動的な姿勢は、私には美しく思えない。 忍耐力や辛抱強さは美しく在り得るけれど、私は能動的に忍耐する。 私は練習して、論文書いて、演奏活動を続けながら辛抱する。 さあ、気を取り直して! 今日も頑張る!
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本番当日、どれだけの何をいつ食べるか、と言うのは割と切実な問題である。 演奏と言うのは、結構スタミナが居る。 2時間、集中を切らさずにベストを尽くしたい。 その為には肉が良いと言う人、肉はだめと言う人、 炭水化物を推奨する人、炭水化物の中でもパスタ、ピザ、米、パンととても特定する人。 砂糖がダメ、カフェインがダメと言うのは割りと一環している。 水は気を付けてがぼ飲みする。 しかし、食べられるのは余裕がある方らしい。 私はそういう問題は至ってないが、 神経質な人は本番当日食べられない、と言う人もいる。 朝から何も口にしないで本番を乗り切るのはつらいだろう。 大きな本番の前は数週間、食が細る、と言う人もいる。 私にはまったく縁のない問題である。 そしていつ食べるのか、と言うのも問題。 本番直前に食べると、消化に血が回ってしまい、集中が出来ない。 と言うことで本番前の夕食は抜く人が多い。 じゃあ、何時間前なら良いのか、と言うのはすぐにお腹がグーグー言う私には 非常に切実な質問。 本番直前の3時間前なら、と言うのが一般的だが、 しかし本番は大抵2時間。 本番が終わったら最後の食事から5時間。 ペコぺこではないか… と、言うことで私は個人的には本番前の朝食と昼食はかなり食べる。 そして本番直後のお祝いの宴は非常に美味しく沢山いただく。 音楽家に食いしん坊が多いのは、こういう事情があるのである。 昨日は本番成功の後、お祝いで本格派イタリアンをごちそうになりました。 美味しかった~!
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今日はコンサートである。 ヒューストンの様な石油産業や有名な癌治療センターを初めとする病院産業で 経済的に潤っているヒューストンですら貧富の差と、飢えの問題と言うのは如実にある。 飢えている家庭のために、食材を寄付で募り配布するNPO, Target Hungerのためのチャリティーに今夜参加する。 今までも特に2011年の災害の復興支援などではチャリティーで頑張ったりもしたが、 まさかの自分が家庭内虐待と、離別の後のストーカー行為の被害に遭ってしまって 色々な友人、コミュニティー、そして福祉や警察に色々良くしてもらってから特に コミュニティー還元をしたいと強く思い、今回の演奏会に声がかかって喜び勇んだ。 しかし… ストーカーはまだ牢屋に入っていない、仮釈放の身である。 今ここで何か事を起こせば彼の刑期はどんどん重くなるし、 接近禁止令も発令していてしばらく音沙汰は無いのだが、 自分の安全性の問題だけでは無い、主催者・運営スタッフ、 そして何より聴衆の安全の問題でもある。 言うべきか、言わざるべきか。 余計な心配は掛けたくない。 しかし万が一お出ましになったら私一人では対応し切れない。 教えている学校には非常に悩んだ末、 接近禁止令が発令した段階で、言った。 首になる覚悟だった。 接近禁止令が出る前は出没しても、どうしてもらえば良いかがはっきりしない。 しかし、接近禁止令が出た後は、出没したら彼は逮捕の対象となるので、 接近禁止令のコピーを送り、事情を説明した。 そしたら「言ってくれてありがとう。何にも心配せずに教えることに専念してください。 警備には万全を尽くします」と言ってくれた。涙が出るほどうれしかった。 今夜の演奏会は若い音楽家を育成するためのプロジェクトで、 企画・運営もまだ若いトランペット奏者。 私は、私の経験から一人でも多くの人が色々学んでくれれば、と思っているので、 彼に言うことにした。 彼は非常な責任感を持って、接近禁止令の難しい文書を全て読んだらしい。 そして、運営スタッフにとても丁寧な協力要請のメールを書いてくれた。 その上、この音楽家を育成するための法人にも連絡を取ってくれたのである。 法人は、警察がこのイベントに一人警察官をよこすことを要請してくれた。 イベントでこのように警察官にガードとして来てくれることを要請するのは、 時間給を払ってやるのである。 チャリティーイベントなのに… このお金をチャリティーに廻せるのに… やるせない。 悔しい。 …ここでブログを一回終了して、さあ一日を始めましょうと思ったら、 物凄い倦怠感で、自分で焦ってしまった。 どういう風に言葉にするか、と言うのはとっても大事だ。 「やるせない。悔しい」を結論にするのは、良くない。 私は宣言するぞ! 私は絶対にこの経験を活かしてみせる。 私は絶対にこの経験からただでは起き上がらない。 私はこの経験からすでに色々な事を学んでいる。 ―弱い立場の人に同情する人間性。 ―家庭内虐待に関するアメリカの法律と警察・福祉の仕組み。 ―友情とコミュニティーのありがたさ ―そういうありがたい友人たちとコミュニティーに恵まれて、私はこう言う挑戦に遭遇してしまったが全然へこたれていない、自分が思っていたよりも強い人間だ、と言うこと。ふてぶてしく友達と冗談や面白い場面に手放しで大笑いし、音楽活動にますます意義を覚えて活発に演奏の機会を増やし、そして前にも増して人生を謳歌している、と言うことに誇りを覚えるタイプの女だ、と言うこと。それで得た、自信。 さあ、今日の演奏会も大成功にさせるぞ!頑張るぞ!
