博士論文

暗譜演奏の起源・簡単だから暗譜する!?

昨日、「射撃場ー応戦の覚悟」と言うタイトルで、 私が射撃場で実際にハンドガンを撃っている瞬間の写真と共にブログをアップしたらば 読者数が倍増した。 ありがとうございます! けれども、これは長期戦なのです。 短距離型、集中・没頭型、単細胞人間の私には本当に辛いのだけれども、 この一件は多分捜査に一年、法廷で一年、少なくとも2年はかかる長丁場になる。 その間、私はこの一件だけに全てを集中することは出来ない。 それだってある意味、ストーカーとストーカーの起こした事件に負けることになる。 だってその間の自分の音楽人生を犠牲にすることになる訳だから。 私は自分の練習も、演奏も、演奏旅行も、論文執筆・博士号取得も、 今まで以上に続けていきます! そうすることで、ストーカーに勝って見せる! と、言うことで、今日は私の博士論文の大体のこれからの筋を。 第一章目はもう大体書き終わったのだけれど、 記憶と記録の反比例と言うテーマで、文学と比較検討しながら 即興演奏と暗譜演奏の反比例について言及しました。 記譜法が発展・確率し、印刷の技術、楽譜の市場拡大と言う風に 「音楽の記録」である楽譜がより多く配布されることによって 文字通りに楽譜を再現する、と言う行為が広まり、 それが暗譜と言う奏法へとつながっていきます。 第二章目では 「簡単だから暗譜する」と言う時代と現象について話します。 ピアノは、楽譜を見ると鍵盤が見えず、鍵盤を見ると楽譜が見えない構造になっています。 この事実一つを取っても、暗譜には利点があることが明確になります。 さらにこの時代の演奏会のフォーマットも、今に比べると奏者がよっぽど楽な形式でした。 演奏会などの娯楽は非常に乏しい時代です。 そう言うイベントがあると、老若男女、皆集まるんです。 来た人皆が公平に楽しめるように、この時代のショーはヴァラエティーに富んでいました。 一つの演奏会で、交響曲も、協奏曲も、オペラのアリアも、即興演奏も ぜ~んぶ聞けちゃうんです。 お子様ランチのように色々盛り付けて、 「嫌いな物もあるかもしれないけれど、少なくとも一品はすきでしょう」という感じ。 中には音楽演奏の合間にお笑い芸人や手品師や、 小さな劇団まで出演することもあったようです。 そうなると当然、いくらソリストとして出演しても、 出番も持ち曲も少ない。楽になります。 更に、当時は音楽に「崇高さ」や「複雑さ」を求める人は少なかった。 一般受けする娯楽性の方がよほど大事だったんです。 そうなると、曲そのものも即興演奏と間違われる様なものになります。 即興演奏と間違われる、と言うのはどう言うことか。 工程式に従った、奇抜性や複雑さに欠けるもの、と言う意味です。 ベートーヴェンがモーツァルトに会見を申し込んだときの有名な逸話がありますね。 ウィーンに来た若いベートーヴェンがモーツァルトの前で即興演奏をする。 モーツァルトは 「即興演奏のふりをしているが、これは前もって練習して暗譜した曲だな」と思い、 適当にあしらおうとする。 それを察したベートーヴェンが 「テーマをください。それに乗せて即興してお見せしましょう」 と申し出て、実際にモーツァルトをうならせ、認められる、と言う逸話。 この逸話は実は今では事実無根とされているのですが、 (オットーと言う筆者のモーツァルトの伝記に出てくる話しです。) 大事な事は、この時代は即興演奏と暗譜演奏の区別がつかなかった、と言うことです。 実際、同じ類の話しは他にも一杯あるんです。 ベートーヴェンの即興演奏に一番近いとされる曲が作品77の幻想曲。 […]

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起業家としての音楽家。

William Weberと言う学者が、私のリサーチに浮上してきた。 こういう人である。 http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-41028-4.html 「音楽学者」ではなく、「歴史家」。 でも、音楽社会史を専門としている。 私がこの人の名前を最初に見つけたのは、 New Yorker Magazineの記事でこういう記述を発見したとき。 「ライプチヒの演奏曲目ですでに死去した作曲家の曲の演奏の統計。 1782 11パーセント、 1830 約50パーセント(ウィーンでは74パーセント) 1860年代から70年代 69パーセントから94パーセント」 この統計にWilliam Weberの名前がついていて、(面白い!)と思って調べたのだ。 今読んでいるのは、『起業家としての音楽家、1700-1914』と言う本。 この本は彼の著書では無く、彼が監修した、自分の記事も含む色々な学者の記事の総集なのだが、 「音楽産業に於ける女性起業家」と言うセクションまである。 クラシックで難しいのは、イメージ的に 「大衆受けしない、崇高な精神的極み」と言うのが売り、と言うこと。 大衆受けしないことを宣伝文句にしているのに、売る対象は大衆と言うジレンマ。 その中でどのように成功者が成功するか。 本人の努力だけではなく、社会背景などとの偶然の一致と言う場合もある。 例えば工業革命で、機械に人間性を奪われてしまうような危機感に見舞われている社会に対し、 機械(ピアノ)を自在に操って自己表現する戦士、と言う構図に上手く乗ったリスト。 貴族社会の崩壊後、新しく出現した中産階級に於いて、 いつ「ブルジョア」階級から追放、あるいは落ちぶれるか冷や冷やしている大衆に どこで拍手をするのか、どういう言動が演奏会の礼儀にかなっているのか、 演奏会の文化に精通することで、ブルジョア階級のメンバーシップが確認できたのである。 そして、ベートーヴェン。 発注されて曲を書くのでは無い。 貴族や権力者を喜ばせるためでは無い。 全く媚びない、自己表現。 しかし、その長―い交響曲を聴くことで、 聴衆はベートーヴェンが象徴する「自由な自己表現」の概念に賛同しながら、 自分は窮屈にそれを受け入れる側に回る。 またもや、ジレンマ。 面白い! 面白い! ワクワク。楽しいです。

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タイマーとストップウォッチの使い方

何をしてよいかわからない空白の時間に慣れからついしてしまう行動。 英語ではDefaultと言うのだが、日本語訳を今グーグルしても分からなかった。 この一時間(午前中、一日)が空いている。 何しよう―じゃ、練習しよう、とこうなるのである。 今まではこれで問題なかったのだが、 そろそろ論文に本腰を入れないと、と言うプレッシャーを感じながら、 これはもう脱出しないと、と思い始めている。 練習もしなきゃいけないのだ。 11月7日に始まるテキサス州の作曲家5人の曲を取り上げる独奏会の譜読みが まだまだ気を抜ける段階ではない。 と、言うかかなり拍車をかけないと。 でも、論文も、私の車が破損され、ストーカーが刑事問題にまで発展した 6月12日の夜から、ほとんど何も書いていない。 勿論、演奏旅行で2か月、 NY-スペイン―イタリアー日本ーハワイとずっと動き回っていたほか、 ストーカー対処で警察や検事や社会福祉の人々とのミーティングに1日取られたり、 ヒューストンに帰ってきてからすでに4回、 イベントに音楽を添えさせていただいたり、オケの鍵盤パートを担当したり、 その打ち合わせやリハーサルがあったり、 またストーカー関連の被害損失額を埋めるために教える時間を増やしたり、 言い訳はいくらでもできるのだけれど、 でも、最終的には書いたか、書かなかったの問題。 文化革命の際にも、紙に書いた鍵盤で練習を続けたピアニストもいる。 紙も与えられない牢屋でトイレットペーパーに物書く人もいる。 要するにするか、しないかの問題だ。 と、言うことで宣言。 これからは練習にも、論文にも、タイマーとストップウォッチを導入。 1日3時間ずつを目標に、でも頭がお留守になり始めたらその時間は数えないで、 自分に厳しく、見張りを入れるためのタイマーとストップウォッチ。 両方とも、だらだら捗らない時間を削るための工夫です。 今日から開始。 確かにストップウォッチを付けるといつもより集中して、気合が入る。

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クララの練習法―

今日のブログはReinhard Kopiez氏による「Suffering for her Art: The Chronic Pain Syndrom of Pianist Clara Wieck-Schumann」(2010)を参考に書いています。 クララ・シューマン(1819-1896)は3時間以上練習をしなかったらしい。 同世代の同じような超絶技巧の神童たち、例えばクレメンティやチェルニーは子供時代から8時間以上の練習が日課だったと言うのに、である。大人のカーくブレナーは12時間、ヘンゼルに至っては16時間の練習が日課だった言う記述もあるようだ。 しかし、クララは父親の指導のもと、練習時間と同じ時間が散歩やストレッチの運動に充てられ、 そしてオペラ鑑賞や観劇、演奏会鑑賞に積極的に連れていかれた。 (その代り学校は「時間の無駄」と言う理由で数年で辞めさせられている) それなのに1857年くらいから演奏が不可能になるくらいの苦痛に何度も見舞われ、 1873年の12月から1875年の3月までは演奏を全く休み治療に専念している。 なぜか。 色々考えられる。 1.使いすぎによるケガ、と言う説 夫ロバート・シューマンが自殺未遂の後精神病院に入れられた1854年からあと、 クララは7人の子供を養うために演奏活動を活発にした。 ブラームスの第一協奏曲など、クララにとっては全く新しい超絶技巧を沢山取り入れた曲を練習し始めた。 2.何等かの感染による炎症、と言う説。 3.精神的なもの 面白いのは、どんなに演奏会が増えても、クララは3時間以上は練習しなかったようだ。 教えや子供の世話、家計の管理など、できなかった、と言うのが現実かも知れない。 しかしそれでも物凄い数の、初演を含む演奏をこなし、 膨大なレパートリーを自分の物にしていた。 肉体的苦痛が演奏に伴うようになったあと彼女は 「練習はピアニッシモで」とか「今日はメゾフォルテで」と言った記述を沢山残している。 演奏時と同じように弾くことが『練習』ではない、と戒められる気持ちである。

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書く文化と書かない文化

ハワイではもちろん、海にも行きました。 でも今回のハワイ滞在で一番印象に残ったのは、ハワイ王朝がアメリカに乗っ取られたその歴史と、その意味です。 私は周りの人間が不幸な時に、人間は幸せになれない、と思っています。 そして、世界の資源と言うのは限りあるものだ、と思っています。 貪欲に私欲に走って、一人だけ富を得ても、幸せにはなり得ない。 それは人間のすることではない。 人と言うのは、人が二人寄りかかり合った象形文字です。 『人間』と言う言葉は人の間と書くように、 人間性と言うのは人と人との関係の間にあると思っています。 ところが、今回私が学んだハワイの歴史は ハワイの富を自分の物にしたかったアメリカ人が どうしても正当化できない理由とやり方でハワイ王朝を乗っ取った、と言うものだったのです。 きっとそう言う歴史は植民地のどこにでもあるのでしょう。 アイヌや、沖縄はどうでしょう? 俗にインディアンと呼ばれるアメリカ原住民は? イギリス、ポルトガル、スペインなどに植民地化された南米や東南アジアは? そして、何が侵略する人たちの自己正当化を助長するのか? 私は、他排的な宗教観と、それから『書く』文化ではないか、と思います。 植民地化された国や文化の多くと同じように ハワイ語はもともと文字がありませんでした。 書くと言う行為は文化を強く発展させますが、 同時にとても攻撃的にし、そして他の文化に対して不当な優越感を生み出すように思います。 ソクラテスは(5BC)は、こう言う逸話を残しています。 『エジプトの神、文字の発明家Thuethがエジプトの王Hamusに謁見し、エジプトの人々に文字を提供します。でも王は乗り気ではありません。「文字を知ることによって人々は自分の記憶を使うことを辞め、忘れると言う事を魂に刻む。人々は書いてしまうという行為に安心し、自分自身の中に情報を整理することをしなくなり、常に書いた情報に頼ることになる。お前の提示するものは、叡智のように見えるが、そうではない。ただ記録するという行為は、本当に知ったり学んだりすることではない。でも記録したことで知ったつもりになった人々は、他の人々の重荷となるだろう。』 自分の言った事をわざと言っていないと言ったりして、文書にするまで確約をしたことにならない、まさにアメリカに代表される、資本主義の文化です。わざとウソをついておいて「書いて署名することを求めなかった」と相手のせいにする。 私がこの逸話を読んだのは、私の博士論文『暗譜の起源』のリサーチの際です。 西洋音楽も、その音楽を聴いたことが無い人でも楽譜さえ読めればその音楽を再現できるという世界一正確な記譜法を歴史上初めて、そして長い事唯一、発明した音楽です。その為に偉大な発展を遂げたのですが、同時に他の文化の音楽を蝕む結果にもなりました。ハワイ王朝の王族たちの多くは楽器を演奏し、作曲をしています。ヨーロッパの貴族や王族と同じように。しかし、それは西洋音楽の様式で行われています。 ハワイ王朝の悲劇は、王朝が19世紀半ばから、涙ぐるしい努力をしてその憲法や文化を西洋化させることにより、欧米に独立国家として認められようとしたにも関わらず、最終的にアメリカに乗っ取られた、と言うことだと思います。まるで改宗したユダヤ人が、それでもその宗教ではなく血筋のために迫害されてしまったように。ハワイ王朝とその国家はアルファベットをハワイ語に応用し、教育を受け、イギリスやフランスの王族などからは、同じ王族としてしかるべき扱いを受けていました。有色民族としては、初めてだったのではないでしょうか?でも、結局乗っ取られてしまった。その際に、非暴力的な、実に正当な自己防衛をしたのですが、それも完全に無視される形となりました。 その西洋化は、Iolani Palaceの写真からもお分かりいただけると思います。建築家もみんなヨーロッパ人。家具も調度品も、一流とされる欧米の物を調達して作ってあります。大きさこそ私がこの夏マドリッドやベルギーやコーペンハ―ゲンなどで見たものには劣りますが、中は本当に品の高い、素晴らしい王宮です。 文字を他の文化から学んで自分の言語に取り入れた文化、もともと自分で言葉を記録するという行為に能動的でなかった文化と言うのは、私には優しい、自然主義的、運命に対しておおらかに受動的な文化に一般的に見えます。日本もそうでした。日本の鎖国がいかに日本を守ったか。 西洋音楽をやっていることが、時々悲しくなります。 書く、と言う行為が思想を発展させたり、飛びぬけた思考能力の持ち主に特別な力を与えたりします。それは良いのですが、同時に書かない、と言うことにも利点と美徳がある、と言うことをいまこそ見直し、書く文化ではなかったためにこの世界で弱者と成ってしまった文化を見直すのは、良い事だと思います。 私にとってそれはどういうことか。 即興演奏と民族音楽にもう少し触れてみることです。

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