演奏会の出来で、文字通り一喜一憂する。 そして今夜は一喜、一輝! 千葉県の美浜文化ホールは小さいホールで収容150席くらいなのですが、 ピアノとホールの愛称が良く、音がきらきら面白いように転がって、 それにパリ訪問をきっかけに次々と重ねた発見が良かったのでしょう、 自分で言うのもなんですが、みなとみらいからは何枚か皮の剥けた演奏となりました。 勿論、パリでの見聞の一つ一つがインスピレーションになったであろうことも忘れてはいけません。 色々な方との出会い、そしてご支援に恵まれて、今日の一輝、一喜。 ありがとうございます。
パリから戻ってきました。 マレーシアのKuala Lumpur 経由で長旅でしたが、そのほとんどを爆睡して過ごしました。 今日は明日の美浜でのリサイタルに向けての練習日です! パジャマも着替えずに練習しています。 それで、そう言うときに起こる発見が又一つ。 私は間違えていた。 日本人、そして東洋人として西洋音楽を専門としていく上で、 「東洋人」と言うのが何なのか、自分のアイデンティティーについて考えたいと思い 組んでみた今年のプログラム、西洋音楽の描く東洋、「ピアノで奏でる東洋」。 でも、人が自分をどう見ているか気にしてみたところで、 「自分」がどういう人間なのか絶対分かりえないのと同じで、 西洋人が歴史上、東洋のイメージをどう発展させてきたか勉強しても、 自分が西洋音楽を専門する上での自分のアイデンティティーはちっとも明確にはなりません。 その代わり分かったのは、 自分のその質疑の元々が結構東洋人としての自分のコンプレックスを反映するものであったこと、 さらに、「東洋」のイメージは結構西洋音楽上、モテモテだった、と言うことです。 もう一つ分かったことがあります。 それは、東洋を描いたフランス印象派の音楽に物語りや感情移入を求めてはいけない、と言うこと。 これ等のレパートリーは『におい』や『味』と似たようなもので、 五感に訴え、曲の中での変化も在りえますが、発展性は無い、禅問答のようなものです。 でも、美しい。 浮世絵に、 その浮世絵が描かれた同じ時代に生きた日本人は色々な物語を見出し、 感情移入したかもしれませんが、 そう言う浮世絵を購入し、それを通じて漠然と東洋を夢見た西洋人には 浮世絵やそう言う東洋のイメージと言うのはむしろ自然現象のような 憧憬の対象でも、感情移入の対象では無かったのではないでしょうか? もともとドビュッシーを始めとする象徴派、印象派の作品は 発展性、物語性、叙情性を目的としていないところが在ります。 まあ、そんなところです。 つらつら。 時差があるから、時間の感覚が狂っています。 もっとずっと練習できると思っていたらもう5時20分! 音だしは9時まで。後ちょっとがんばります!
今日の午後は学会での発表がありました。 私のテーマは「プロコフィエフの3つのオレンジへの恋に置けるオリエンタリズム」です。 20分と言う時間制限、パワーポイントが上手くできるか、など色々心配で、 朝はホテルで2回、タイマーをかけて練習し、 自分のペーパーを読んで事実確認をしたりして過ごしました。 でも、自分のヴェランダからの景色が余り嬉しくて、 スカイプで何度も家族や友達に見せていたり、 お風呂に浸かって居たりブログを書いたりしていたら、 二回通し稽古をしたところで、もう会場に向かう時間が来てしまいました。 私のパネルは13時半から15時までに4人が話しをします。 始めの発表はオランダ人のとても素晴らしそうな年配の女性で、 トピックは「人間の起源―キリスト教、ユダヤ教、イスラム教におけるアダムとイブの比較検討」です。 とても面白かった。自分がもうすぐ発表することを忘れるくらい面白かったです。 そして、この人の発表からいろいろ学びました。 勿論、その発表のトピックについても感心することは沢山あったのですが、 発表の仕方についても。 まず、この人は物語を語るテンポで話しをしました。 物語を語るテンポは、会話のテンポよりも、スピーチのテンポよりもずっと遅く、 抑揚を豊かにする余裕、相手の想像力を掻き立てる『間』を持ったテンポです。 私はホテルの部屋で練習しているときに 「20分でいかに多くの情報を盛り込むか」 と競争のように喋っていましたが、これは撤回! それから、この人は丁寧に皆が絶対知っている常識的な情報を説明し、 それを発展して言ってその人の提示する見解に到達する、と言う方法を取りました。 私は「皆がすでに知っていることを『教授』するように言ってしまうと、 皆、馬鹿にされたような感じで、気分が悪いのでは」と心配していましたが、 そうではない、と分かりました。 すでに知っていることをまず言ってもらうと安心します。 そして新しく提示される見解をすでに知っている事実に結びつけていってもらうと良く分かります。 逆に、新しい情報が次から次へと来ると、疲れてすぐ聞きたくなくなっちゃう、と良く分かりました。 次に、南アフリカから来た若めの女性が 北アフリカに口伝えで伝承されているハイエナと狼の昔話の進化について喋りました。 この人は、皆で早めに来てパワーポイントの確認を一人づつした時に、 私にとても親切にしてくれた人で、ひそかに応援していたのですが、 南アフリカのアクセントが強く、 しかもあがってしまっていたのか、声がひっくり返ってしまって、 ちょっとかわいそうでした。 それからパワーポイントにびっしり一杯書いてあって、 その人の講義を聞きながら読むのは絶対に不可能な情報量で、 これも良くなかった。 その次がいよいよ私の番です! 私は取りあえず、大きな声できちんと発音して喋ろうと思ってそれに集中しました。 私のトピックは音楽が関わっていてすでに変り種だし、 それだけでも皆ちょっと喰らい付いてくれたようです。 そしてオペラの中から例を幾つかヴィデオ・クリップにして持って行ったのも良かったようです。 ただし、会場に私のコンピューターを接続するスピーカーが無く、 パリの、冷房が無く、窓が開け放ってある部屋で道路の騒音が飛び込んでくる教室で、 私のコンピューター内蔵のスピーカーは余りにもか弱く、 皆耳の後ろに手を当てて、一生懸命聞いてくれました。 それだけで、もう嬉しかったです。 午後はお土産のお買い物。 そして、その後の夕食は最初の晩のProcope! 私のリサイタルを特別喜んでくれた、一番前に座っていた理事会の秘書の方や、 発起人のK氏や、 K氏のご紹介でこの学会で初めてお会いした日本の教授で…
昨日は朝は練習と荷造り、 そしてお昼にピアノ付きの借りていたアパートを引き払い (そのアパートの持ち主が旅先から帰ってくるので) パリの中心地(マドレーヌ広場)にある4.3星ホテルに移りました。 部屋には大きなバスタブと、ヴェランダが付いていて、 ヴェランダからはマドレーヌ聖堂と、マドレーヌ広場、そして遠くにはエッフェル塔も見えます。 そして、私がパリの街を歩きながら見上げては恋焦がれた、 小さなヴェランダの上の小さなテーブルと2脚の椅子も! 嬉しい!! 今、そのヴェランダでお紅茶を飲みながらこのブログを書いています。 ホテルに移った後は荷物だけ降ろして、 ドビュッシーの生家があるパリから電車で20分ほどの郊外、サン・ジェルマン・アン・レーに。 パリはとても凝縮されている、人口密度の高い都市なので、 東京のようにやはり込み合った郊外が延々と続くと思いきや、違うのです! Givernyに行ったときもびっくりしましたが、 Parisからでると草木の生い茂る、ほとんど田舎! Saint Germain en Layeはヘンリー4世のお城もあって、 その前には大きな、物凄くきれいな公園が広がっています。 天気の良い日曜日で、この駅で降りた人は多く、その沢山が公園に足を向けていましたが、 でも、それらの大衆を全部吸収して、 まだゆっくりと人を気にすることなく歩き回り、 皆がゆったりとピクニックできる大きさとデザインです。 ドビュッシーの生家の展示室は生憎日曜で休館でしたが、 ドビュッシーは本当の中産階級に生まれたんだな、と実感できる家並みでした。 一戸建て、と言うよりは日本の小さな住宅街の一軒、と言う感じ。 隣り合わせの家の壁がくっつきあってずらりと何軒も連なっている町並み。 でも、とても可愛いです。 その後、ノートルダム聖堂で6時半からのミサに出席しました。 ノートルダム聖堂と言うのは建設に100年以上かかっている大聖堂で、 音楽史上の最初の部分で特に重要だった場所です。 楽譜の記法がはっきりと設立された、対位法の最初の発展がここを中心に起こった、など。 私はそこでのミサにどうしても出席したかった。 オルガンも、聴きたかった。 しかし、最終的に一生の思い出になるのははきっと 私の前の列に座ったきれいな黒人のお姉さんのことだと思います。 だってミサは全部フランス語だし(歌は時々ラテン語)、 それにこのお姉さんは1時間強のミサの間に実に15個ほどの飴を食べたのです。 はじめはその包み紙をゆっくりとはがす音が気になって気が付いたのですが、 小さな葡萄色の硬い飴をこのお姉さんは飲み込んでいるかのように次々と口に入れるのです。 一個の飴が口に入ったその瞬間に次の飴の包み紙をはがし始めている風です。 そして、あ!その一個をその豊満な胸の谷間に落としてしまいました。 そうしたら、あ!臆すること無く右手を自分のシャツの中に突っ込んで20秒ほどその飴を探し、 あ!食べてしまいました。 強烈な印象です。 観光スポットでもあるこの教会、 沢山の国から沢山の信者と非・信者が出席したミサだったと思います。 私のようなもぐりは聖歌も全然歌えず、どこで立つかも、どこで座るかも、見よう見まね。 でも、そんな観光客の分まで頑張る決意を誇示するかのように、 私の左前のめがねの純朴そうな男性は大きな声で言葉をはっきりと発音しながら歌い、 私たちにお手本を示すがごとく、堂々と座り、堂々と立ち、大きな十字を切り、 頑張ってミサに参加をしていました。 そして聖体拝領の前の隣人に挨拶をするやつ。…
「パリの郊外と言うのも絶対見ておくべきだ」と言う発起人K氏の強いお勧めにより 今日美知子さんと、 美知子さんのお友達のS氏(車を出してくださってありがとうございました) に連れて行って頂いて、 クロード・モネ(1840-1926) が1883年から43年間に亡くなるまで住んだと言う、 パリ郊外、車で一時間くらいのところにある、お家とお庭に行って来ました。 偶然、一年の中でも最善の時に当たったようです。 庭中に花が咲き乱れ、 庭の中にある池にはちょうどモネの絵そっくりそのままに睡蓮が咲き、 その庭は早足で歩いても15分はかかる広大なもので、 一つの理想郷となっています。 こんな中で生活していたら、本当に良い人になれるし、 こんなに沢山の花が咲き乱れていたら、絵を描かずには居られないよね、 と美知子ちゃんと話しました。 あんまりにも美しく、季節の移り変わりで刻一刻と変わっていく庭と暮らしていたら、 そのそれぞれの美しい瞬間を何とか残しておいて上げたい、と思ってしまうのではないでしょうか? 本当に美しいところです。 お天気が晴れ上がった日で、花の時期としても最高、 と言うことで随分込み合っていたのですが、 人々はお互いに本当に寛容で皆で違う言葉でニコニコ笑みを交わしました。 美知子ちゃんとその天国のようなお庭を歩いていたら、 ちょうど歩き始めたくらい、まだ言葉を喋る前くらいの赤ちゃんが 突然私たちの前でお母さんを見上げて、何が可笑しかったのか急にケタケタ笑い始めました。 大人だったら「思い出し笑い」と言う類の笑いでしたが、 赤ちゃんですからその笑いを自制する、と言う事も無く 本当に可笑しそうに、楽しそうに笑うのです。 それにつられて、私も美知子ちゃんも、周りの人たちも一緒に同じように笑い出してしまいました。 このお庭だったから… これもGivernyに行った理由の一つだったのですが、 お庭の中にたたずむ田舎風のお家にはモネの絵のコレクション(の複製)が飾ってあります。 彼自身のものも多く在りますが、他の画家のものも多い。 そして、その半分以上が浮世絵なのです!広重、北斎、写楽… 中にはアメリカ人を描いたものや、不思議な構図の風景画の浮世絵もあります。 どういうルーツでこれだけの浮世絵を手に入れたのか。。。 そして、浮世絵独特の遠近法や構図、、人物描写とか色の使い方を見た後に 彼自身の作品をみると(なるほど!)と思えるものがあるから、不思議です。 Givernyに行った理由の一つは私が今ドビュッシーのピアノ曲を多く手がけているからと、 今回の私のリサイタルのテーマ「ピアノで奏でる東洋」と言う、 西洋音楽の中で東洋と言うものがどう捉えられ、描写されているか、と言うことについて、 印象派の権化であるモネの家に来ることで分かることがあるのでは、と思ったからです。 モネが非常な時間と財産と時間をかけて創り出したこの理想郷。 そう言う浮世離れした、ほとんど個人的な感情を超越している理想郷と、 その当時遠い異国であった東洋に対する憧れ。 この二つにはもしかしたら共通点があるのではないでしょうか? 東洋と言うのは、彼らにとって、なんだったのか。 ドビュッシーもモネも、その生涯に東洋を訪れる機会はありませんでした。 でもむしろ、彼等は東洋を現実的に体験したくは無かったのではないか。 それこそ、『天国』のように絶対分かりえない、 でもだからこそ際限なく夢想する対象、としての異国、東洋。 東洋人としては、ちょっと不思議な感覚です。 帰りにヴェルサイユ宮殿をちょっと覗いて帰りました。 残念ながら中に入る時間は無かったのですが、その大きさを見れただけでも、 そしてその外側(!)に使ってある金箔の量が見れただけでも、 なぜ革命が起こったのか、そして全盛期の王侯貴族の何かが分かるような気がしました。…