音楽人生

高熱を伴う風邪との、のんびりバトル…

今年の流行感染は記録破りのようで、ニュースでも盛んに 「手を洗いましょう、病気の時は自分のためだけではなく、他の人に移さないためにも家に居ましょう!」 と繰り返している。 私もすっかりと風邪を引いてしまった。 悪寒。非常にはっきりと色の付いた痰の絡んだ咳が腹筋を痛めつけるくらい続けて出る。 脳みそまで出てくるのではと思えるような、いつまでもつながっている濃い鼻水。 そして背中の悪寒とは正反対の顔のほてり。 食欲の減退。 練習をしようと思っても何だか力が入らない。 歩くとちょっと酔っ払っているよう。 まだ学期始め。 凄く強いプレッシャーがあるわけではない。 この酔っ払った気分を楽しんで、いやと言うほど寝て、ゆっくりしてみよう。

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新年の始まり!

1月5日(土)の夜にNJでのリサイタル、帰宅後荷造り。 1月6日(日)の早朝、ヒューストンに向けて出発。 1月7日(月)2013年私の博士課程3年目の春学期、開始。 1月7日はちょうど7草粥の日。暦にも合って、今年は快速、でも順調にスタート!のつもりでしたが… 今年のNJはニュースにも上るくらいのインフルエンザの流行だったのです。 そして1月6日のリサイタルを主催してくれたお宅のご主人がまさに悪寒と高熱の真っ只中だったのです。 「マキコじゃなかったらキャンセルしてたよ」 と、おでこに汗をかきながら言われたら、やっぱり感謝するしかありません。 そして「多分プログラムの途中に失礼して別室で休みながら聞かせてもらうね」と言う言葉に反して、 プログラムの最初から最後まで身を乗り出して聞いてくださり、 レセプションでも感極まってハグなんかされてしまった暁には インフルエンザが移っても本望!と思うしかありません。 それでも、努力はしたのです。 このご主人だけでなく、移動中は不特定多数の人と間接的に色々な物を共有しています。 うがい、手洗い、休息、水分補給、ヴィタミンC摂取、体温を高く保持して、ポジティブ思考… その努力もむなしく(あれ~?)と思い始めたのは 火曜日の朝の勉強を終え、クラスが終わった正午くらい。 気温が15度もあるのに、そして厚着をしているのに、何だか体の中から寒い。 そして体のあちこちが痛い。 顔を触ると熱い。 学校終わって、予約のあった歯医者にはそれでも行って、練習を割愛して4時に帰宅。 おうどんを作って、あったかくしながら宿題の「カルメン」のDVDを観て (今学期はビゼーの『カルメン』、ヴェルディの『オテロ』、ストラウスの『エレクトラ』とベルグの『ヴォツェック』と言う4つのオペラを集中的に勉強し比較検討するクラスを取っています) そして7時にすみやかに就寝。 12時間睡眠して、今朝は復活です。 まだちょっとふらつきますが、もう熱は無いと思います。 今日は自分に優しく、一つ一つのことを大事に、ゆっくり心をこめてこなしていきます。

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2013年、明けましておめでとうございます。

ヒューストンにあるライス大学で博士課程3年生の秋学期を無事終了した私は、去年に引き続き私の第二の故郷、NYで年を越します。10年くらい前から始めた、老若男女入り混じる音楽家で集まって新年を室内楽演奏で迎える会に参加し、ブランデンブルグ協奏曲5番やバッハのフルートソナタなど和やかに共演し、ご馳走を頂きながら年を越して、毎年音楽人生をこうして歩んでいる幸せと決意を新たにお正月を迎えるのです。子供の頃家族とおせちで祝ったお正月が懐かしくないと言えばうそになりますが、この新しい伝統も私はとても気に入っています。

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ヒューストンでクリスマス

今まで私は年末年始はNYで過ごしてきた。 2006年から2010年までロサンジェルスに居た時も、2010年以降ヒューストンに越してきてからも、これはいつも決まっていた。13の時に日本に家族が帰った後私を引き取って面倒を見てくれたアメリカ人老夫婦がもう80代、90代とずいぶん年を取って来て、せめてクリスマスは一緒に祝いたかったのと、NYはやはり私の拠点で友達も多いし、コンサートも、仕事もあったからだ。 でもヒューストン3年目にして、こちらにも一緒にクリスマスを祝いたい人間関係が発展し、また友達の結婚式が29日に在ったりで、今年は12月30日までヒューストン、そして大晦日にNYでNew Year’s Eve Concertで演奏して、12月5日にリサイタルを開き、学校が始まる前日、1月6日にヒューストンに戻ってくる、と言うスケジュールに落ち着いた。 そうすると、また色々な機会が発展するものである。毎年恒例で、でも私はNY滞在のため失礼していたヒューストンの日本人会のクリスマス・パーティーで1時間の演奏を提供することになった。ドビュッシー生誕150年の締めくくり、特に日本人会のために日本、そして東洋の影響を強く表現する「黄金の魚」(映像第二巻より)、そして曲集『版画』から「Pagodes」など、そしてクリスマスのお祝いを盛り上げるため、ショパンの「華麗なる円舞曲」。さらに、今学期ルネッサンス音楽の勉強を通じて考察したクラシック音楽とキリスト教の関係と、クリスマスと言う祝日のキリスト教のルーツを尊重して、バッハのカンタータ「羊は草を食む」のペトリによる編曲、などのプログラムを演奏した。 そして昨日は相棒の家族と親戚のクリスマス。お昼を食べたあと、クリスマス・プレゼントの交換。そして相棒とデュエットで音楽を添えた。 日本の年末年始が恋しいけれど、でもこちらでも元気で楽しく、音楽いっぱいにお祝いしています。

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絵の具について

絵描きの友達についてアート用品の店に行く機会があった。 友達は色々なメーカーの絵の具の文字通り色々ある色の選択に時間をかけている。 絵の具はチューブの中で見える色と、紙に塗ってみた色と、それが乾いた色は全て皆違う。 メーカーごとに、絵の具のチューブの外に絵の具が塗ってあったり、その色の後ろに印刷されたメーカーのロゴがどれくらい浮き出て見えるかでそれぞれの色の透明性が見えるようになっていたりと工夫がなされているのだが、その絵の具をどの薬品で溶いて使うか、どういうキャンバスを使うか、どれくらいの厚さでその絵の具を塗るかなど、全ての要素が出てくる色を左右する。値段だってピンからキリまで。絵描きにとっては絵の具の選択も真剣勝負である。 1900年初期までは絵の具は自然の色素を使うしかなかったそうだ。それは貴重で、色によっては非常に高かったらしい(特に青が高かった)。貧乏な絵描きは2色か3色を混ぜたり、重ね塗りしたりして、欲しい色の印象を与える工夫をしたそうだ。スポンサーがいて、好きな色を買うお金があった絵描きでも多くて7色か8色で絵を描いたらしい。今は科学的にもっとずっと色素の密度が高く、自然と同じ色の絵の具が作れるらしい。他の事も学んだ。たとえば、赤いバラの花の絵を描こうと思っても、ただ赤を塗れば良いと言うものでは無いらしい。赤の後ろに何色を塗るかで、上の赤がどういう風に見えるか、大きく変わるらしい。だから最初にカンバスに金を塗り、青で花びらを描き、その上に赤を塗ったりするらしい。 絵を書くのにも、色素についての歴史や科学や、光について、視覚について、色々深いんだなあ。ぜんぜん知らない世界でした。とても面白かった。

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