リサイタルが昨晩だったのが信じられないほど、今日のオフデーは充実していました! まず朝、学部生の頃の先輩だった同じピアニストのDavidの家にお邪魔しました。 彼はアメリカ人ですが、亡お父さんがフランス人だった関係でもうパリ在住15年目くらいです。 彼とは本当に腹を割って音楽人生について語り合えます。 一年に一回会うか会わないかなのがお互い信じられないほど、 考えている題目が共通していて、すぐに話しが通じ合う。 色々な都合上、2時間半くらいしか一緒に居られなかったのですが、 「ピアノを弾く上でのインスピレーションと知識の量は比例するか、半比例するか」とか、 「演奏と練習のバランス」とか、ピアノ・トピックで物凄く盛り上がりました。 その後、学会(正式には今日が開会です。昨日の私の演奏会は前夜祭でした)の登録手続き。 参加者が一杯集まっていて、昨日の演奏会に来てくださった方や、お手伝いくださった教授などや、 その方々にまた紹介していただく面白い研究者たちが居て、楽しいひと時でした。 そのあと2時間ほど、ルーブルの周りを散策。 パリは凄い!本当に凄い! そして幼馴染の美知子ちゃんとチュルリー公園を歩きながら、 これも色々お話をしました。 観覧車にも乗りました。 パリは凄い!上から見ても、凄い! 19時からは学会開会のパーティー。 Hotel de Ville(パリ市庁舎)が会場で (中は金キラ金!彫刻がそこらじゅうにあり、装飾がそこらじゅうに施されている)、 ソルボンヌの学長が挨拶する、凄いものでした。 何しろ、参加者が1500人! そして20時からはAu Pied de Cochonでご馳走! ロブスターや、2種類の蟹や、2種類の海老などが蒸されたものを 物凄く一所懸命食べてしまいました。 幸せな一日でした。
今朝買った全粒紛のバゲットが余りにも美味しくて、嬉しくて、 朝食に半分も食べてしまって、でもまだ残り半分残っているのに、 練習に没頭していてふと気がついたらお昼時。 私の必食、ヨーグルトと果物をスーパーに買いに行こうと外出したら、 家から一つ通りを隔てたところに今朝バゲットを買ったのとは違うパン屋の前で 15人位人が行列をなしている。 パンを買うつもりは全然無かったのだけれど、好奇心は抑えきれない! 列が出来るのは、美味しいからか、安いからか、それとも両方か!? 3ユーロで小さなバゲットの中に野菜のマリネがはさんでいるのをゲット! 食べながら書いていますが、とても美味。 ちなみにヨーグルトとグレープフルーツとバナナと人参と安かったアヴォガドも 無事にそこからほんの一分歩いたところに発見したスーパーでゲットしました。 今朝の練習は快心! 久しぶりに一日を練習に捧げるつもりで、 そう言う日だけ達せられる没頭状態に入り込み、 あることに気がつきました。 私は博士課程総合試験の音楽史全般の勉強のため、 さらにこの前ブログ「『ピアノで奏でる東洋』を弾き終えて」で書いた様に 今回の選曲は初めてテーマのコンセプトが実際の曲に先立ちして行われたリサイタル、 と言うこともあり、 それぞれの曲を受け止めることばかりに集中して音楽に対して受け身になり、 音楽を使って自己表現する、したい、と言う積極的な姿勢を忘れていました。 音楽には作曲する、演奏する、そして聴く、と言う大きく分けて三つの関わり方がありますが、 そのどの行為に置いても受容する部分と、働きかける部分があると思います。 作曲ではそれまでの過去の音楽をどう受け止め、そしてそれに対して自分が何を書くか。 演奏では楽譜をどう読み、それをどう演奏するか。 そして聴く、と言う行為に置いては作曲され、演奏されて現実化した音楽に受け止め、 そこに自分個人は何を見出すか。 でも最近私は楽譜を読むことに一生懸命になって、 それを使って自分が何を訴えたいかと言うことに注意を払うのを忘れていたのかも知れません。 大発見!明日に向かって頑張ります。 (バゲット・サンドウィッチは完食!これからフルーツとヨーグルトを頂きます)
パリ2日目の早朝です。 土曜日の横須賀ゆかりのピアニストグループ「スカぴあ」による 今年3年目の横須賀芸術劇場ベイサイドポケットでの ソロ・連弾・一台6手・1台八手・2台4手・2台8手2台16手の 2時半開演9時終演のマラソンコンサート(大盛況!)の翌朝 日曜日の6時半にパリに向けて家を出発。 成田-マレーシア(7時間)、マレーシアで乗り継ぎ(7時間)、マレーシア-パリ(12時間半)。 道中は、自分でもそのふてぶてしさが嬉しくなるほど 爆睡とがり勉を繰り返し、とても有効利用することが出来ました。 その長さは事前には懸念していましたが、案ずるより産むが安し。 むしろ自分に課題を与えて(この場合は出来るだけ多くの睡眠と、勉強) 集中した方が時間が早く、楽に流れてくれるようデス。 そしてパリ入りが月曜日の早朝(パリ時間)6時半。 前回2007年にパリに来た際、友達に紹介されて顔なじみになったナジムが 今はアパートの短期貸し・借りのビジネスを経営していると言うことで、 4時半まで滞在先に落ち着けない私のために休める部屋を手配してくれました。 パリ市内でスーツケースと共に現れた私のことを歓迎してくれ、 「パリで一番美味しいクロワッサン」をご馳走してくれた後(外はパリパリ!中はしっかり!) 風呂桶付きの広いアパートに連れて行ってくれました。 仮眠を取り、風呂桶につかり、束の間の散歩とカフェ… とやっている内に時間は流れ、21日までの滞在先に。 パリの淵、メトロ1番の終点に近いところにあるアパートですが、 ピアノが在って、練習できる、と言うことで友達の友達の紹介でここに泊まります。 行ってみてびっくり。 パリははNYよりさらに家賃の高い世界でも有数の都市、と聞いていたから ピアノがやっと入っているようなところを想像していたら大間違い! 玄関入ってすぐが居間兼寝室の広々としたスペースで、 そこを入っていくと防音工事の施された練習室が!! しかもこの「練習室」ヨガが出来るくらい広く(10畳位) ヤマハのグランドが片隅に収まっています。 明日からの練習が楽しみになってしまいました。 一時間弱指鳴らしをしたら、パリの私のパリ滞在の発起人、学会のVIP、 そして今度の私の演奏の広報などを幅広く手伝ってくれているパリ在住の私の幼馴染 などが集まってお夕食会です。 パリ最古のカフェ・プロコープ(1686年創立)です。 テリーヌの前菜にマスの一匹まるごとムニエル(ポテト添え)。 マスは火の通し加減が申し分無く、レモンがほんのりで疲れた体が一口で癒されました。 時差でやっぱり早朝目が冷めてしまったものの、優しい家族とのスカイプや きっぱりとシャワーを浴びた時の気持ちよさ、 そして思いついてお使いして近所のパン屋で買った全粒紛バゲットの美味しさに感動して 今日の一日練習は幸先が良いです。 ゆっくり基本練習から久しぶりにじっくりやって 明日の演奏会に備えます。 ところで、パリの大学街私の演奏会を広報してくれています。 それにしても、何故この写真!? http://www.macite-u.com/concert-de-piano-avec-makiko-hirata-a-la-maison-du-japon/ カフェの前で幼馴染の美知子ちゃんと撮った写真を貼り付けます。
去年の「音で描く絵」で ドビュッシーのイメージを彷彿とさせる音楽と ムソルグスキーの「展覧会の絵」を並べて演奏した時も反響が大きかったです。 「展覧会の絵」の叙情に圧倒された感情的な感想が多く、 今年も多くの聴衆の方に「あれをCDにして下さい」と言うリクエストを受けました。 私は実は「展覧会」に関しては、ライヴで聴衆と一体となって盛り上がることには意義を感じるものの、 一人で淋しくスタジオ録音するのにはあまりにも向かない曲だ、と思っているのですが… しかし、今年の「ピアノで奏でる東洋」には全く違った反響がありました。 数日経ってから私の毎年恒例の演奏活動にずっといらしてくださっている聴衆の方々から 長い、熟考の後をうかがわせるメールを何本か頂いているのです。 日本人の、特に戦後育った団塊の世代の、アイデンティティーと言うものを 真摯に問いかけるメールもありました。 私に「束の間の日本を味わってください」とほうずきと風鈴を送ってくださったご夫婦もいらっしゃいます。 (嬉しくて、感激いたしました) 逆に「音楽を聴くときはその理論や歴史的背景の裏付けよりもその日のその時の自分の「心」で何が聞こえるか、を大事にしたい。その為には演奏前の解説は講義的なものではなく、聴く人のイメージを膨らませるものが良いのでは」と言うメールも頂きました。(こう言う辛口の感想と言うのはとっても言いにくいもの。それを敢えて言ってくださったのは、本当に私のこと、そして音楽のことを考えてくださっているからだ、ととても感謝しています。) 私はリサイタルのプログラムを決める場合、大体弾きたい曲が何曲かあって (これは『これを食べたい!』と思う気持ちと同じようなもので、 説明のつかない、強い欲求である場合が多いです) その数曲に共通するポイントでテーマを見出し、それにまつわる曲をさらに足して 二時間のプログラムをデザインします。 しかし今回は自分の長年のテーマで在った 「東洋人として弾く西洋音楽&西洋音楽の描く東洋」の意義と美学を問いかける、 と言うコンセプトが先立ちして、それから曲を決め始めました。 従って、選曲を始める前には知らなかった曲の方が多いですし、 自分が特に今弾きたいと思わない曲でも、プログラムの主旨に必要と判断して入れた曲もありました。 私は普段は余り論理的な人間では在りません。 理性より感性で動くことが多いし、必然的に私の演奏もそうなります。 そう言う自分を良しとしたからこそ、音楽と言う専門を選んだ、とも言えます。 その私がこう言うプログラムを行ったのには幾つか理由があります。 1. 博士課程に置ける私の勉強が集大成を迎えている。 2. 「東洋人の自分が何故西洋音楽を専門にしているのか」と言う問題に真正面から向き合い、ある程度方を付ける良い機会だと思った。 3. 今はまだ大学院生の身分。図書館などに無限のアクセスがある。そう言うときに珍しいものを弾いておかないと、これからの人生がどういう展開になるか分からない。 だから選曲の上で私は今までより数倍、もしかしたら数十倍の時間とエネルギーをかけて 色々な時代の作曲家の色々な東洋に関する曲を勉強し、 さらに「Orientalism」、「Exoticism」と言った社会学・文化学にも少し足を踏み入れました。 その結果選んだ今回の曲たちは、私にとってはどれも一つの「代表」であり、 それぞれの曲が何を代表しているのか語らずには居られない、 そうしなければ割愛した曲たち、作曲家たちに申し訳ない、と言う強迫観念もありました。 そしてそう言う大きなテーマを2時間で完結させる、と言う無理。 私のトークはいつもにも増して、凝縮された「講義的」なものになったと思います。 私は「ピアニスト」としては勉強しすぎたのかも知れません。 でも私は僭越でも敢えて 「ピアノは私に取ってはあくまでも手段。 私が目指しているのはピアノの練習、音楽の勉強を通じて人間として向上すること」 と言い切ってみたいと思います。 運動選手のように練習に専念して(作曲家の伝記や時代背景には詳しくなくても) 完璧に近い演奏をする若手が多く進出する中、 勉強、研究、そして考えることに多大な時間とエネルギーを費やすやり方が 遠回りでは無いか、と焦ることも在ります。 特に今年は学会での研究発表の準備や、 9月下旬に控えた博士課程総合試験の受験勉強も同時進行で進めており、 本番では不本意なミスも多発させてしまいました。 でも私は、大きなことに目を据えて前進した時、 それぞれの曲を完璧に弾きこなすこと、と言う小さな目標の積み重ねで前進した時より 最終的にはより大きな成長を遂げられ、…
昨日の真夜中近く、高速道路を走っていたら、突然車が減速した。 運転一年生の私だが、ちゃんとあわてずに路肩まで車を転がして、ハザード・ランプを付ける。 そして、保険のサーヴィスの一部である「ロードサイド・アシスタント」に電話をし、レッカー車の依頼。 路肩は車一台がぎりぎり止まれる幅。 幸い私のマツダは小さいけれど、トラックだったら、はみ出しちゃう。 しかも、そこは文字通りの高速。 町の上を駆け巡る、銀河鉄道の用な道路で、車がビュービュー通るたびに心細げにフラフラゆれる。 トラックは真夜中特有の豪快さで、バンバン飛ばしている。 すれすれ。 でも、私に何ができると言うのだ。 取りあえず、道路側の運転席から路肩側の助手席に移り、シートベルトを締め、そして車に鍵をかける。 その後はレッカー車を待つ間、静かにコンピューターで勉強用のファイルの整理を始めてみた。 ずっと(しなきゃ)と思っていて、手が回っていなかった用件である。 出来ることを、出来るように確実にする。 そう言う自分をひそかに誇らしく思いながら、カシャカシャ高速の路肩でコンピューター操作。 30分で来るはずだった保険会社のレッカー車は結局来なかった。 1時間半待っていた間に止まって私の様子伺いと御用聞きをしに来たレッカー車は4台。 その中には、いかにも違法の危しげなドライヴァーも、本当に親身な州のサーヴィスドライヴァーも居た。 保険会社と契約していたレッカー車会社の「我々のサーヴィスは無料だが、彼等はお金を取るぞ!」 と言う脅しに乗ってしまい、「そう言うわけなので…」と断ったら 「分かった。でも、じゃあ、そのレッカー車が来るまで一緒に居てあげよう」と言って、 レッカー車特有の警報ライトをギンギン灯して30分一緒に居てくれたドライヴァーも居た。 最終的に、私の携帯パソコンの電源が尽きてしまい、 真夜中を過ぎ、携帯電話の電源も残りわずかとなり、 私は最後に止まったレッカー車にお願いして家まで引っ張ってもらった。 そして今日は修理工場巡り。 レッカー車三台に依頼して、3つの修理工場に査定してもらい、値段の違いにびっくりしつつ、 結局一日かかって、最終的な修理をお願い。 タイミング・ベルトなるものが切れてしまっていて、多分エンジンに破損が来ているそうである。 思いがけない経費だが、しかし思いもしなかった社会勉強をし、 スリルに満ちた一晩と、それにも動じずにちゃんとそれなりに行動を進められる自分に満足。 人生一瞬先は闇である。 しかし何があろうとも、 私の音楽人生に置けるゴールは一つ一つの演奏会を懇親こめて一所懸命弾くこと、 そして音楽の修行・勉強をじりじりと進めて行くことである。 それにしても、車を持つと本当に生活が大きく変わるものである。 一言で言えば、社会との接点が増える、であろう。