音楽人生

Cortina D'Ampezzoの音楽祭より

山中にあるスキーリゾート、Cortina D’Ampezzoで毎年開かれている音楽祭、 Dino Cianiよりこんにちは。 ここではインターネットが非常に少なく、 カフェではあったりするのですが、カフェに行っている暇がない! 日中はレッスンと練習、そして公開レッスンの聴講。 夜は演奏会(自分の演奏も、客演もいます)と、その後の打ち上げ。 そして合間はいつも他の参加者との交流があります。 睡眠はもちろん、食事、トイレ、シャワー、の時間のねん出さえ難しい。 大変、大変充実した時間です。 昨晩はチック・コリアと言うジャズピアニストの演奏会がありました。 今夜は弦楽四重奏。 そして聴講するレッスンも、毎日ある自分のレッスンも、 すべてが大変刺激的で、一日2時間限定の練習時間に物凄く集中して、燃えます。 来てよかった! しかし、ブログは怠っていて、ごめんなさい。

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スペイン最終日:休暇と言うこと、余裕と言うこと。

今、私の左横のキッチンでは、グランタン風シチューがぐつぐつ煮えています。 スペイン一日目にチーズに合わせて買った大きな丸いしっかりとした固い発酵パン。 あんまり美味しかったのでかなり食べたのですが、それでもあんまり大きくて、 4分の一残ってしまった分はもう固くて歯が立たない。 チーズもほぼ毎日楽しんで食べたのですが、とても強いチーズが多く、 ちょびっとずつ食べるので少しずつ、強いものから残っています。 そしてチーズ屋のおじさんとそのお店が大好きで、一昨日戻って、 その際買ったヤギのミルクとヨーグルト。 これらの残り物を全部有効利用すべく、 私は今、バターで玉ねぎとマッシュルームを炒め、 その上にヤギのミルクを入れて固いパンを煮込み、 最後にブルーチーズとその他数種のチーズのかけらを全部溶かして入れて、 頂こう、としているのです。 ああ、幸せ。味見も楽しい、ぐつぐつの音も楽しい、 麻衣子さんに料理の経過を感動を込めていちいち報告するのも楽しい。 今日の私たちが寝坊したあとしたことは、 ただ単純に絵葉書を買い、郵便局を探して切手を買った、それだけです。 でも道中、足の向くまま、気の向くままで 惹かれるものあれば必ず足を延ばして堪能し、感想を交わしあい、 そうやって素晴らしい陽気の中をテクテクと歩いて、 その過程が本当にうれしい。 練習しない生活と言うのは、本番に向けていない生活と言うの、はこんなに余裕があるものか! これが明日で終わらなければ、逆にどうやって時間を使っていいか戸惑ってしまうのですが、 今日だけの一時休符だから、思う存分楽しめる。 さあ、グラタン風シチュー、いい具合! 麻衣子さんはきっと感嘆してくれる! スペイン最後の日も、最高の一日!! 明日の夜はヴェニスです。

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スペインの素晴らしさ!

スペインは2007年の夏以来。 しかもその時はヒホンと言う海岸街だったので、今回のマドリッドとは随分違います。 マドリッドは光の街!と言うのが最初の印象です。 人々の笑顔も、スペイン語の快活さもまぶしいのですが、 何よりお日様がキラキラして、 背の高さが都市の歴史をかんじさせる木々も パリと同じくらい歴史深く、装飾が多いけれど、フランスとは明らかに違う建築物も すべてが朗らかに「ようこそマドリッドへ!」と言う感じ。 実に明るい。 英語がしゃべれない人々も、私たちがしゃべる英語を理解してくれ、スペイン語で返してくれて そして立派に会話が成り立ってしまう。 そう言うのが楽しい。実に旅の醍醐味。 そして今日のハイライトはお昼のピクニック用に入ったチーズ屋さん。 「英語はちょっとしか喋れないけど。。。頑張る」と言ってくれたおじさんに 「私たちはスペインのいろいろな味のチーズが食べたい」と言って いろいろおじさんが自慢そうに食べさせてくれる味見にいちいち感動して、 私たちの感動ぶりにおじさんも感動してくれて、 負けてくれたのか何なのか芸術的に思える3種類のチーズが実に安くてまた感動して。 あ、もちろんリハーサルもしているし、ほかの参加者の演奏も拝聴しに出向き、 ネットワーキングもしています。 ご心配なく!

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なぜ、緊張するのか。

すでに伝説のホロヴィッツも 本番前はガタガタ震えるほど緊張していたらしい。 ラドゥ・ルプの緊張ぶりはNYフィルとの共演前の楽屋で、 手を伸ばせば届く距離で実際目撃したことがある。 「忘れたらどうしよう?忘れたら、どこから弾き直せばよいんだ?」 と、独り言のように共演者の内田光子に訴えかけながら (モーツァルトの二台のピアノのための協奏曲だった) うろうろと歩き回っていた。 本番前の緊張は本当に孤独に感じる。 誰にも分かってもらえない、と思ってしまう。 吐いたり、下痢をしたり、本当に死んだ方がまし、と思ったりする。 しかし、こういうヴィデオを見ると、(みんな同じなんだな)と分かる。 アルゲリッチの本番前のヴィデオだ。 最近公開された、アルゲリッチの娘が制作したドキュメンタリーからのクリップ。 始めはフランス語やドイツ語でアルゲリッチが独り言を言っているが、 その内日本語のアナウンスで(ああ、日本での演奏会なんだな)と分かり、 その頃からすべてが英語になる。 「熱があると思う」 「すごい眠気」 「今日は本当に弾きたくない」 とか、文句たれたれ。 なぜ、こんなに苦しみながらそれでも演奏を続けるのか? 生贄の様な自己犠牲、と感じるときもある。 この「自己犠牲」「生贄」の構図はベートーヴェンが定着させたのでは、 と私は論文への研究を進めるにしたがって、思い始めている。 もともとバッハ(の平均律集)は旧約聖書、 そしてベートーヴェン(のピアノ・ソナタ集)は新約聖書、 と言うことは古くから言われてきた。 しかしベートーヴェン=イエス・キリスト、と言うのは 難聴に苦しみながら、一時は自殺まで考えたが、 しかし芸術のために、自分にしか書けない曲を作曲するために、 余生を作曲に捧げることを決意したとしたためる、 俗に日本語では「ハイリゲンシュタットの遺書」と知られる文書と その文書に形作られたベートーヴェンのイメージから来るのでは、 と私は思っている。 そのいかにも19世紀ドイツ・ロマン派的な「苦しみながらも邁進!」の図が理想とされ、 今の音楽家、特に19世紀の作曲や作曲家を主に勉強するピアニストに 引き継がれているのではないか? しかし、これは本当に音楽のためなのか? 緊張につぶされて、自分のベストが演奏会で尽くせない。 燃え尽き症候群に犯される。 または、自分がやっていることが世界の平和に影響を及ぼすかのような誇大妄想に陥り、 そのためにはどんなわがままも通してしまうような人間になる。 このクリップの最後のアルゲリッチの娘のナレーションに身をつまされる。 「子供のころから母の演奏を見るたびに極度の緊張を経験しました。 無事終われ、早く終われ、とそれだけを念じ、 演奏が終わるときにはぐったりの疲れ切っていました」。 自分の家族を思ってしまう。 私の世界一の応援団。 いつも、ありがとう。

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生活、諸々

ピアニストの生活は練習に集中…だったらどんなに楽か!! 例えば今日。 7時半に起床してからこっち正直に精力的・生産的に動いていたつもりだったのに… まだ一音も弾いてない! まだ一語も論文書いてない! なぜ? なぜ!!?? 代わりにしたこと。 お恥ずかしながら今までずっと「あけましておめでとうございます」だったHP更新。 http://makiko-piano.wix.com/makiko-hirata 6月にクラリネット奏者で我が心の友の佐々木麻衣子さんと予定している ジョイント・リサイタルの会場打診。 (メール3通、電話2本) 今年の日本のリサイタル『南欧の愛と幻想』のチラシ最終チェック。 (8月22日と30日にみなとみらいと千葉・美浜文化ホールにて!) 我が愛おしの妹が頑張って素晴らしいデザインをしてくれ、 我が最強の助っ人であるお父母が印刷委託を担当してくれ、 まさに平田家合作のチラシ! 来秋の演奏会の打診のメールもたくさん対処。 私は本当に単細胞人間なのである。 一日単位でも『ながら』が苦手。 朝起きて、夜寝るまで論文執筆!とか 朝起きて、夜寝るまで練習!とか そう言うのが好き。 でも、そう言う時間にかまけた作業はやっぱり子供の時・学生の時に許される特権。 相棒との共同生活を始め、社会人としての責務もあり、 そしてありがたいことに演奏の機会を頂けるピアニストの身としては すべてを効率よくこなす技術を身に着けなければ… 幸いなことに沢山の方々の支援を得て、 何とかよちよち歩きを始めている、少し遅ればせ社会人、です。

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