音楽

この頃良くされる注意、覚書

「歌や、弦と共演する時は、クレッシェンドは彼らの少しあとから始め、 デクレッシェンドは彼らの少し前から始める。 いつも、ピアノの方が音量的に圧倒しやすい立場にあることを念頭に、 相手を下から持ち上げてあげるつもりで弾く。」  -レヴァインの口癖、と色々な先生から言われる。 「(特にセクションからセクションへのつなぎの部分で) クレッシェンド=音量と共に、タイミングも幅を広げていく感じで、大きくしていく デクレッシェンド=音量と共に、タイミングも幅を狭めていく感じで小さくして行き、すっと終わる」 ―エマニュエル・アックス 「曲を聴くとき(あるいは曲を頭の中で聴いて、構想を練る時)、 メロディーから聞いて、ハーモニーを埋めて、最後にベースを聴くのでは無く、 最初にベースを聴いて、それからハーモニー、そしてメロディーを付け足すと、 構造がよりクリアにわかる、方向性のはっきりとした演奏になる」 -私の学友のジョン 「ギリシャの建築物の円柱と言うのは、等間隔に見えるけれども 実は等間隔に見えるように微妙にずらしてあるんだよ。 拍も同じで、大事なのは機械的に等間隔にあることではなく、 等間隔に感じられ、音楽的に拠り所となる、と言うことなんだよね。」 私の先生、ジョン・ペリー 「歌曲では、歌詞が音楽を触発しているので、そのように歌わなければいけません。 歌詞が付いていないところでも、 想像力を働かせて、歌詞がある個所と同じくらいの意図をもって弾いて下さい」 ―Phyllis Curtin、声楽家

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Claude Frankについて

Claude Frank(クロード・フランク)氏は、シュナーベルや、カール・ウルリッヒと言った巨匠たちと勉強した、 自分自身もすでに伝説的なピアニストで、 1990年に再出版された彼のベートーヴェン・全32のソナタの録音は アメリカのレコード・ガイドによって第一位に選ばれた。 特にドイツ物によって一目置かれている。 私は去年の夏にも別の音楽祭で、彼の演奏を聴き、公開レッスンで稽古をつけてもらっている。 その時から、私も年をとったらああいう音楽家になりたい、と言うあるあこがれも混じった目標として 大変尊敬の念を持って、宝物のような気持ちで思ってこの一年来た。 今回、その気持ちがまた強くなった。 フランク氏はすでに84歳だ。 今でも、フィラデルフィアにあるカーティス音楽院や、イエール大学で精力的に教えているが、 近年、少し物忘れが多くなって、例えば数年前に亡くなった奥さんのことを探しまわったり、 自分の受け持ちの生徒の演奏に感動して 「あなたは素晴らしいピアニストだ!一体誰に師事をしているのかい?」 と、本気で質問してしまったりする。 去年に比べて、今年のレッスンはもっとこと細かいディーテールに及び、 口調もよりはっきりしていて、なんだか前より元気になったような感じを受けたが、 それでもベートーヴェンの31番目のソナタを演奏したピアニストの、一楽章のレッスンが終わった所で 「さあ、次の楽章をちょっとやろう」 と言って28番目のソナタの2楽章について、指示を出し始めてしまった一瞬もあった。 そういう自分自身に対する不安とか、体の不都合などもあるだろうに、 まったくそういうことを感じさせずに、嬉嬉として音楽についてしゃべり続け、 実に緻密な稽古を、ホールの次の使用者が入ってくるまで、いつまでもつけてくれる。 指の関節はリュウマチの為に硬直して、変な角度でおり曲がっている。 それなのに、演奏会でも、レッスン中にデモンストレーションする時でも 弾き始めると、実に美しい音で、実に美しい音楽をかもしだす。 それぞれの曲にこうあってほしいと言うイメージがあまりにも確固として彼の中に在って だから指が動かなくても、そのために少々ミスタッチがあっても その音楽はゆるぎなく聞き手に明確に伝わるんだと思う。 私の前にベートーヴェンの31番目(作品110)のソナタを弾いたイングリッドは 楽譜をよく読んだ真面目な演奏をして、「もう少し表現を誇張してごらん」と言われていたが、 私は反対に 「セクション毎に、聴衆に分かるくらい、テンポや音量や音色を変えてしまうのは、やりすぎだよ。分からないくらい変化をつけて、聴衆に (何が起こったか分からないが、感動した)と思わせるのが本当だ。 そこの違いを間違えないで。」 と言われ、その節度の中でどう表現豊かに弾くか、と言うことについて厳しく言われ続けた。 モーツァルトの指示には厳しく一時一句従うのだが、 その指示の一つ一つをどう解釈して読むか、 どこまで強調するか、それとも控え目にするのか、一瞬のタイミング、どの個所で拍の頭に弾くか、お尻で弾くか、 どこで息をするか、どこで句読点を入れるか、どこからどこまでを一息で弾ききるか、 私が弾く途中、ずっとうなり続け、歌い、拍を数え、 「Beautiful, beautiful」 と叫び続け、「Forte! Now, piano!」 としゃがれ声をありったけ張り上げて私に3回通させた。 レッスンの後で、 「この曲は一番難しい曲の一つだ。モーツァルトの中では一番ロマン派的な表現を使っているが 節度を超えるとモーツァルトでなくなってしまう」 と言っていた。 昨日に引き続き、今朝もフランク氏による公開レッスンが在った。 今日はデイビッドがベートーヴェンの最後のソナタを弾いた。 その演奏に同じようにレッスンをつけるフランク氏を見ていて、私は涙が出てきてしまった。

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クローデ・フランクに聴いてもらう

今日は本当にいろいろあった日だった。 9-  練習 10- Phyllis Curtain(声楽家) の公開レッスンの伴奏 12- 友達と食事 12:30- 練習 2-  クローデ・フランクの公開レッスン(モーツァルトのロンドをレッスンしてもらった) 4-  図書館で勉強 5-  声楽家コーチングの伴奏 6-  食事、練習 7;30-メンデルスゾーン三重奏のドレス・リハーサル 8:45-ボストン交響楽団、レヴァイン指揮、チャイコフスキー交響曲6番&ピアノ協奏曲(ブロンフマン) ハイライトは何と言ってもクローデ・フランクの公開レッスンだ。 3;30に終了のはずを大幅に延長して、1時間以上の稽古をつけてもらった。 なんという優しい人、そして、なんという激しい音楽根性! それからブロンフマンのチャイコの協奏曲も物凄かった。 ブロンフマンには実は5月に公開レッスンで、 ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲を聴いてもらう機会があった。 そのことも、クローデ・フランクの公開レッスンのことも 書きたいことは山ほどあるのだが、もうくたくたに疲れ果てているので、 明日書きます。 何しろ、とっても良い日だった。 ジェームス・レヴァインのチャイコフスキー交響曲6番の緊張感は物凄かった。 野外コンサートとは思えないほど、聴衆がピーンと緊張して 固唾をのんで聴いているのがわかる空気だった。

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演奏会でのハプニング

まず、今日のスケジュールから 9-11      練習 11-11;30   図書館で楽譜の整理、コピー 11;30-12  ボストン交響楽団、春祭のリハーサル見学(ジェームス・レヴァイン指揮) 12-1      歌手とリハーサル(ショーンベルぐのキャバレー・ミュージック) 1-3:30    講義「晩年シューベルトのライトナーの詩による歌曲」(Griffith) 4-6      メンデルスゾーンの三重奏リハーサル 8-今      Stephen Kocevich(元Bishop)のピアノ独奏会 今晩のリサイタルでハプニングがあった。 演奏中に鍵盤の一つがつっかかって、弾けなくなってしまったのだ。 なぜそういうことが起こるか、と言うことを説明するには、 オザワ・ホールの構造からまず説明しなければいけない。 主に夏の音楽祭用にデザインされたホールなので、 カジュアルなコンサートや、人気のあるプログラムの時は、 後ろの壁が取り払われて、野外にいる人がピクニックをしながら聞けるようになっている。 脇のドアも沢山の幅広いドアで、全部開け放てば風通しが非常に良い。 その代り、湿度や気温の変化はもろに楽器に影響を及ぼす。 ここ2週間青空は時々垣間見る程度で、雨が連続して降り続けたため、 周りの芝生はぬかるみにちょぼちょぼ生えてる感じで、 しかも今晩の演奏会が始まったとたんに雷を伴った大雨がザーっと降ってきたのだ。 それによってハンマーをくるむフェルトが湿気を含んで膨張し、 隣のハンマーとくっつきあって摩擦を起こし、上がり下がりがスムーズでなくなったのだ。 今夜のピアニスト、Mr.Kは、バッハのパルティータ4番でプログラムを始めたのだが コレンテの最中に(あれ、どうしたのかな)と思い始めたところで、ぱっと弾きやめて 聴衆に向かって「この鍵盤が弾けなくなった」と、ポン、ポン、と弾いて見せた。 すぐに客席にいたピアノ調律師が舞台に上がり、問題対処をしたが、 そのあとの演奏はなんだか不完全燃焼で、 弱音、弱音、さらに弱音の「子供の情景」で前半が終わったところで 私たちピアノの研究生の半分はおうちに帰ることにした。 後半は「ディァヴェり変奏曲」で、楽しみにしていたんだけど。 演奏会場のハプニングで一番多いのは、携帯電話だ。 ギャリック・オールソンはリンカーン・センターのリサイタルの最中に携帯が鳴った時 弾き止めてぎょろりと客席をむいて、静かに頭を横に振って見せ、 聴衆を震え上がらせた。 (特に機嫌の悪い日だった、と後から彼の友達に聞かされた) あるオーボエ奏者は曲が始まる一瞬前に客席の携帯が鳴った時、 自分のオーボエを分解して、受話器に見立て 「もしもし、もしもし?」 とやって、大受けしたらしい。 LAのウォルト・ディズニー・コンサート・ホールで一回 アンドレ・シフが演奏会の途中に 聴衆の立てる音(咳、携帯、ものを落とす音)に腹を立て 曲の最中に席を立って退出してしまったことがある。 そのあと主催者が舞台に出てきて 「演奏者の集中を助ける気持ちで、皆静かに聴きましょう」 と言ったことを話し、 しばらくして、シフは演奏を続けたが、私は憤慨した。 演奏者の気迫と言うのは、聴衆にも伝わるもので、 その日のシフは聴衆を全く無視したような舞台マナー、演奏で、 正直咳が多いのもしょうがないかな、と思えたし、 そこで演奏を曲の途中で辞めるなんて、 なんてプロ意識に欠けているんだ、と思ったからだ。 もう一つ、最近のディズニー・ホールのハプニングでは、 ポーランド出身のクリスティアン・ツィメルマンがある。

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最近共感した言葉、その二

「新しい楽器や、新しい音響の中で弾く、と言うのは、新しい共演者と弾くのや、 初めて会った人と会話するのと一緒だね。 向こうが投げかけてくるものを、どう一番良い方法で活かすか、 絶えず耳を澄ましながら、臨機応変に対応して行く」 これは、今私が在籍するコルバーン音楽学校での学友、ライアン君がある日言ったことだ。 もう数年前に言われたことだが、何かにつけて思い出す。 そうなのだ、あまり「こう弾きたい」と言う固定観念に囚われ過ぎると その時の状況、パートナーを一番活かした演奏ができなくなってしまう。 でも、別の時ライアン君はこんなことも言っていた。 「演奏する時は、すでに描いた絵を提示するようなつもりで曲を弾けば、 上がらないんじゃないか、と思うんだけど。 練習のプロセスにおいて、すでに自分の中で曲は完成しているはずなんだから、 ただそれを再現すればいい、と思えば簡単じゃない?」 この言葉も良く思い出すが、こうやって並べてみると、ちょっと矛盾しているような気もする。 う~ん、ライアン君。。。 ちなみにライアン君は私よりもうんと年下のピアニストですが、 18にすでに大学の学位を最優秀成績でゲットしてしまい、そのあとコルバーンに来たツワモノで 私は密に一目置いている。 今日は次の様なスケジュールでした。 9-10:30      練習 10:30-11   図書館で伴奏する曲の歌詞を訳し、録音を聴く 11-11:30   リハーサル 11:30-12:30 歌のコーチング 1:00-2:00  ボランティア主催のランチにお呼ばれする。 2:00-3:30  練習 4-6       メンデルスゾーンのトリオ、リハーサル 6-7:30    夕食、インターネット 7;30-10   練習、友達と弾きあいっこ 10-11    メンデルスゾーンのトリオ、リハーサル ここしばらく、練習する気になれなくて、次第に焦燥感が募ってきていたけれど 今日はかなり乗って練習ができて、とても楽しかった。 このまま日曜日の演奏会に向けて、調子を向上できればいいな、と思います。 日曜日は、変な時間ですが、毎週朝の10時に研究生による演奏会があり、 私は今度の日曜日にルーカス・フォスのソロの曲と、メンデルスゾーンのトリオを弾きます。 トリオも、ずいぶん急ピッチですが、熟してきました。

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