Rice University

助けることで助かる時

物凄くお世話になった人に 「どうやって恩返しをしたら良いか分からない」と言ったとき 「To give is to take and to take is to give」と言われてびっくりしたことがある。 「与えると言うことは与えられることであり、与えられると言うことは与える事である」、 とでも訳せば適当かな? まだ10代の学部生の時だった。 以来、その事は良く考えている。 人と言う字は、二人の人がお互いに寄りかかっている象形文字だ、と聞く。 「人間」と言う言葉は、人間性と言うのは人と人との間に生まれると言う意味と理解している。 今回、ストーカーの一件で、物凄く沢山の人に物凄く色々無償の親切を頂いた。 社会福祉や、弁護士や、会計士などの方々に専門知識のご助言を頂いたり、 イベントの際は色々な方がボランティアで警護に当たってくださったり、 暖かい励ましの言葉をかけて下さったり、さりげなく元気づけて下さったり、 沢山の方のご理解と支援を得て、演奏活動を続け、論文の執筆をつづけながら 膨大な時間と労力を要する刑事責任追及と言うことも続けてこられた。 でも、今度は私が与えさせていただく番だ。 誰かの役に立ちたい。 頼られる存在になりたい。 恩返しがしたい。 ストーカーの一件ですごくお世話になった学校の社会福祉の人に勧められて、 学生で困っている人がいたら、ライス大学内の正しい支援施設に案内するボランティアをする。 今週末にトレーニングセッションが始まる。 私ももう被害者から、支援者に、成長しました。

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若い学生が亡くなる時。

この一週間ほどでライス大学の学生が二人亡くなった。 一人は私の属するライス大学音楽科、シェパード・スクールの声楽専攻の4年生。 私も面識がある男の子。 とっても明るい感じで(最近痩せたな~)と思ったのが去年位。 そして今年は見かけなかったが、私ももうあまり学校に行っていなかったので (卒業したのかな)位に思っていた。 5年間も癌ど闘病していたとは全然知らなかった。 先週だった。 もう一人は私が面識が無い中国人の22歳の留学生だが、 たまたま私が属している院生のグループのメンバーだった。 昨日だった。 学生が亡くなると、校長から一斉メールが来る。 タイトルは決まって「悲しいお知らせ(A Sad News)」。 そして学生が何科を専攻する何年生かと言うことが知らされ、 病死の場合は病気と勇敢に前向きに闘病した様子が簡単に知らされ、 大抵「これをきっかけに自分の命の尊さと自分が持っている物のありがたさを再考しよう」 みたいな、できるだけ前向きなメッセージで締めくくられている。 が、毎回文面は違い、校長が面識があった学生の場合はそのエピソードも綴られ きちんと書いている誠実さが伺える。 大抵一年に一回あるかないか、くらいの出来事なので 今回一週間で二つの死があったことはとても異例だった。 昨日のメールはいつものと少し違った。 タイトルと亡くなった学生の専攻と何歳かと言うことはいつもと同じだったのだが 「皆さんの安全は確保されていますので、冷静に日常を続行してください。 詳しい事は追って発表されます」とあったのだ。 何事か、と思った。 そして気が付いたら山の様なドーナッツがそこらじゅうにあった。 そしてスタッフがやたらと多く巡回している。 数時間後、夜に中国から来訪するご両親のためにカードを書く会と言うのがあるので、 出来るだけ出席するように、とメールが来た。 沢山の中国人留学生と、これまた沢山のカウンセリング・スタッフ、 留学生支部のスタッフ、私の属するグループのスタッフ、 校長先生と、そして一般学生が集まっていた。 ライス大学の警察も居た。 「アメリカでは、死者の死因の発表は家族が決めることです。 ですので死因については、スタッフもごく少数以外は知りません。 その代りに、故人の生前の活動や業績について祝い合い、故人を偲んで集まります。 これだけ沢山の友人に集まってもらえたことは個人の人徳を思わせます。 ご両親にご報告します。 また、面識が無かった人もご両親のためにカードを書いてください。 我々はご両親のために最善を尽くす準備をしています。 その一環としてできるだけ沢山の人が故人を想っていることをお知らせしたいと思っています。 心痛はこのような状況の中では普通の反応です。 一人で抱え込まず、友人と話し合ったり、スタッフと相談してください。 私たちはあなたを愛しています。 それを示すために我々スタッフは今日ここに集まっています。 一緒に話し合い、故人を偲んで一緒に食べましょう お通夜の席で食事を共にすることはアメリカでは尊厳を示すことです。 決して無礼ではありません」 と言う説明が留学生支部の支部長から、ゆっくりした英語であり、 続いて校長先生の簡単な挨拶があった。 そしてまたもや、山の様なサンドウィッチが用意してあった。 この人のスピーチには、ここでは割愛したが

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今日は朝練!

だんだん、生活が自分のものになってくる。 引っ越し、完了! 荷物を全て片づけて、小さな自分なりのこだわりをあちこちにしてみました。 いつも素敵なプレゼントをしてくれる、幼馴染のみっちゃんのママから頂いた 書道の大書の練習書きの大きな紙をクロゼットのドアに貼ってみたり、 私のNYの大好きなお友達の画伯が、まだ絵を勉強中に描いた絵を LAに引っ越し記念にと郵送してくださったのを、玄関にかけたり、 そうやってこの小さなスペースをマイホームにしてみました。 仮住まいですが、でも幸せに、生産的に、活動的に、創造力豊かに生活するために 住環境にも心を籠めようと思ったのです。 優先順位の問題ですよね。 小さいころ繰り返し読んだ本の中でも特に好きだったミヒャエル・エンデのモモ。 その中の登場人物の一人、道路掃除夫のベッポのこんな言葉を思い出します。 「なあ、モモ、とっても長い道路を受け持つことがよくあるんだ。おっそろしく長くて。これじゃとてもやりきれない、こう、思ってしまう。」 彼はしばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへってない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息が切れて、動けなくなってしまう。こういうやりかたは、いかんのだ。」 ここで彼はしばらく考えこみます。それからやおらさきにつづけます。 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけを考えるんだ、いつもただつぎのことだけをな。」 またひとやすみして、考えこみ、それから、 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」 そしてまた長い休みをとってから、 「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶ終わっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからん。」 彼はひとりうなずいて、こうむすびます。 「これがだいじなんだ。」         ~「モモ」第一部第4章“無口なおじいさんとおしゃべりな若もの”より~ 今朝は朝一から練習! 久しぶりに朝は丸々練習できます! 楽しみ。頑張るぞ。

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現代曲のアイデンティティー

先週末はライス大学で台湾の伝統音楽・楽器・奏者・作曲家が招待され、 西洋現代音楽と共演をすると言うシンポジウムが開かれた。 私も3日3番のシンポジウムの中日の夜に行われた演奏会で演奏した。 (詳しくはこちらのHP:http://music.rice.edu/21C/) 博士論文のスピーチコンクールの中でも言ったことだが、 暗譜の伝統が定着した1890年ごろには、 リサイタルのフォーマットや、 弾かれるレパートリー(バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、など) が型にはまり、今でもそのまま受け継がれている。 暗譜は歴史的に偉大な作曲家をあがめる態度の一貫として伝統化した側面がある。 しかし、この歴史と伝統の重圧のおかげで、それ以降の発展がいつも 逆光を浴びるかのようかすんでしまったのも事実だ。 それまでは 『音楽はいつも進化しているもので、新しい音楽の方が古い音楽より優れているのは当たり前』 と言う考えだったのが、いつの間にかバッハからロマン派までの作曲で停滞しまった。 例えば、ライプチヒで演奏された作曲の中ですでに死去した作曲家の作品は 1782年には11パーセントだったのに対し、1870年には76パーセントになっていた。 これは聴衆や主催者だけの責任ではない。 作曲家が「自己表現」「まだ誰も試したことのないユニークな作法」を追求するあまり、 聴衆とのコミュニケーションを蔑ろにした結果でもある。 そんな中でアジア人の作った現代曲に焦点を当てたシンポジウムはマイナー中のマイナー。 しかしその反体制的な態度の表明としての意義、 さらにアジア人としての西洋音楽におけるアイデンティティーを探し求めるものには ありがたいシンポジウムとなったと思う。

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スピーチ・コンテストで優勝しました!

自分のリサーチや論文を、専門外の人に分かり易く、興味をそそるように簡潔に説明する。 この技術は色々実際的な役に立つ。 1.博士論文の最終口頭試問の準備 2.教職の面接 3.研究・執筆の資金協力の要請 4.執筆・研究中の自分の目的意識をより明確にする。 ライス大学で毎年行われている 「90秒論文スピーチ・コンテスト」はその様な目的を掲げている。 昔は「エレヴェーターピッチ・コンテスト」と呼ばれていた。 要するに、どんな相手に向かっても興味を持ってもらえるように 自分の論文の要点を素早く説明するコンクール。 学校をあげてのイヴェントで、参加者は37人。 審査員は色々な教科の教授が50人。 参加を検討する生徒に向けての説明会から始まり、 台本の校正指導、スピーチの演技指導、とここ2週間ほどかなり忙しかった。 かなりの予算がこのイヴェントのために割り出されている。 台本校正や、演技指導の時はかなり突っ込まれたコメントをもらい、 「私の論文の要点からずれる!」など 専門外の人に意見されることに抵抗を感じることもあったりしたが でもこの短いスピーチを練り上げることをほぼ強制される過程で 自分の論文の一般社会へアピールできる意味合いとか 見失いかけていた大きな方向性を見直すきっかけとなった。 進められて、軽い気持ちで出場を決めたけれど、 この一週間はかなり没頭して準備した。 何よりも面白かったのは、スピーチを記憶する、と言うこと。 (これはコンテストのルール) これは楽譜の暗譜とは全然違う。 暗譜よりスピーチの方がずっと楽だが、 しかし記憶がすっぽり抜ける可能性への恐怖は全く同じ。 特に私の場合は暗譜に関してのスピーチになるので、 このスピーチの最中に記憶が抜けたら 「ああ、この人は暗譜が苦手だからこういう論文トピックなのね」 と思われちゃう! 最後の2、3日はピアノよりもスピーチを練習していた。 録音したり、自分のスピーチの様子を録画したり… ジェスチャーを振付して、 忘れやすい個所でそのジェスチャーをすることで記憶を補強できることを発見! これは暗譜にも使える…! さらに、記憶に集中しないで「何を伝えたいか」に集中すること。 そして最大の成果は他の出場者の研究内容を垣間見ることによって 本当に武者震いするような感動を覚えたことだ。 科学専門への女性進出の遅れの原因をグローバル観点から研究する中国人女性。 環境問題が世界中で取り上げられている今、なぜ畜産業の副産物であるメタンガスの弊害(その空気汚染への弊害は車・汽車・船をすべて合わせたより多いそう)が問題にされないのか、研究する菜食主義者。 金とタイタニウムを合わせることによって磁石を作り出し、それを(どうやってかは良く理解できなかったけれど)病気治療に役立たせる研究をしている人。 石油を水圧によってもっと完璧に、完全に取り出す方法を研究している物理学者。 アメリカの歴史においてのカトリック教会の弾圧と、それに影響された国際政治の研究をしている人。 がん細胞の作り出す特殊なタンパク質を簡単に見分けることによって、がん細胞と健康細胞を瞬時に見分けることを目指している人。 医者が患者とのコミュニケーション技術を磨くことが最終的に(医療技術が全く同じでも)治療の成功率を上げることを立証したインド人。 ライス大学に居ることが本当に、本当に誇らしくなった。 …そして、そんな中、私は「人類学部賞」を受賞してしまいました!!! 私は演じることに慣れていたから有利だったし、このスピーチコンテストに優勝したことがそのまま自分の研究・論文の優勢につながるとは夢にも思っていないけれど、でもやっぱり嬉しい! 300ドルまでいただいてしまいました.

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