Rice University

やる事はどっさりなんですけど。。。

色々在って、わたしの今学期の時間割は最終的にこんな風になった。 月曜日 11ー12時、聴音のクラス(11名)を教える 2-7時、オーケストラのリハーサル(大抵はこの中の一時間程度を見学する。ピアノ・パートがある時は弾く) 3時半ー5時半、ピアノを教える 7時ー 、ピアノ会(私のピアノの教授、Brian Connellyのクラスのピアニストたちが集まり、弾きあいっこ) 火曜日 9時25分ー10時40分、Bibliography (図書館でのリサーチ方法のクラス) 10時50-12時10分 『中世の音楽』と言うクラス(超難しくて、宿題も多いので有名、でも教授が素晴らしい) 4時ーレッスン 水曜日 11-12時、聴音のクラスを教える 2-7時、オーケストラのリハーサル 木曜日、 9時25分ー10時40分、Bibliography 10時50分ー12;10『中世の音楽』 3時半ー5時、ピアノを教える 金曜日 11-12時、聴音を教える 12-1時半 指揮のクラス 2-7、オーケストラのリハーサル。 この『中世の音楽』のクラスは、去年取った人たちがみんな宿題の多さと試験勉強の大変さに悲鳴を上げていたので、私は避けるつもりだったのだが、今になって博士号取得のための口頭・筆記試験の準備にいかに協力な助っ人が諭され、学期がはじまって1週間半経ってから急遽飛び入りしたものである。おかげで追いつくべき宿題がどっさり。。。先週末の3連休のうち2日は缶詰になってキリスト教が広まる背景となったヨーロッパの歴史、初期キリスト教の式典のやり方、当時の生活など、私に取ってはまったく未知の世界について約150ページ読む羽目になってしまった。 聴音のクラスを教えるのも、中々の挑戦である。私は記憶に在る限りいつも絶対音感を持っていた。絶対音感と言うのは、ピッチがある音なら何でもすぐに「ラです」とか「レのシャープです」とか、いえる能力の事です。これがあるために、聴音のクラスはとても有利で、大抵免除されていた。しかし、今このクラスを教える運命になって初めて「この和音とこの和音の響きが違うのは、その背景、方向性、そして音楽における役割がこう、こう、こうであるからで」と説明しなければいけず、改めて絶対音感がいかに私を『音痴(文字通り音の白痴)』にしていたかと思い知っている。良い戒め。大変だけれど、良い勉強になります。そして生徒はしどろもどろの私を一生懸命フォローしてくれる。「こういう風に説明してくれたら分かりやすいです」とか、あとクラスが終わった後にそっと「あそこは次回はこういう例で説明して見たらどうでしょう」とか、何だかみんな物凄く気遣って、優しくしてくれるのである。涙、涙。 指揮は楽しい!David Choと言うユタ・シンフォニーの副指揮を去年まで勤めていた韓国系の指揮者だが、腰が低く、人当たりがよいのに、物凄い出来る人、と言う感じ。とても楽しい。 そして来週はゴールドベルグのリサイタル。私の学校生活は非常に充実している。前の様に頻繁にブログ更新できないかも知れませんが、ご心配なく。『便りの無いのはよい便り」と思ってゆったり見守って下さい。

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ちょっと多忙です。

ブログ更新、少し間が開いてしまった。 結構多忙に過ごしている。 本格的に授業などが始まる前に、と友達と先学期以来4ヶ月ぶりの会話もある。 これは、勿論正式に昼食や夕食などを食べながら、と言うのもあるが、 学校の廊下で立ち止まって、しばし立ち話、と言うのも多い。 さらに、新居にまつわる、新しい家具や日常雑貨の購入、片付け、もろもろの手間。 そして、「新学期の抱負」、例えば毎週末土曜日・日曜日と2万歩以上歩く等、を頑張ってこなしてしまう。 その上学校は始まってはいるから、それなりに宿題も、クラスもある。 そして今学期から担当する聴音の授業の準備、 さらにゴールドベルグのCDの最終プロダクションに関するもろもろ、などなど。 と、言うわけなのです。 熱は知恵熱のように、派手に出て、そしてウソの様に引いてしまいました。 元気いっぱいで頑張っています。

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頑張れ、私の免疫力!

リサーチ方法のクラスと、総譜をピアノで弾くための勉強のクラス、 火曜日はこの学年度最初のクラスの日だった。 その後午後は久しぶりに練習して、夜は日本人会開催の総領事公邸での集まりに参加。 とても楽しい充実した一日を終えたと思ったら。。。 その夜中、すごい悪寒で目が覚めたのである。 みんなが暑さに文句を言うヒューストンの8月の熱帯夜に寒いぼが立っている。 冬用にクロゼットにしまいこんだ毛布を引っ張り出して、パジャマの重ね着をし、 生姜湯を作ってビタミンCの錠剤と一緒に飲んだ。 そしてベッドを見下ろしながら (明日は11時から聴音のクラスを教えなければいけない。絶対休めない。 よし、これは病原菌と私の免疫力のバトルだ!絶対勝つぞ!!) と自分にハッパをかけて、意を決してベッドにもぐりこんだ。 それからはほぼ毎時間、暑すぎたり、寒かったりで目が覚め、 その度に兎に角水分とビタミンCを摂取、 そして汗にぬれたり、寒いぼ立てたりしている自分の肌を拭ったり、こすったり。。。 そして兎に角、目を硬く閉じて、一生懸命寝た! 今朝はとりあえず高熱は下がった様である。 微熱の感触はあるし、波乱万丈の一夜を終えて、ぐったりとしただるさは残るが、 兎に角私は勝って、晴れて11時のクラスを教えに行った。 一時間教え終わって、そのままとんぼ返りでベッドにもぐりこみ、眠ることしばし。 起きたら夕食時。しかし、昼食も取っていないのに、まったく食欲が無い。 そういえば朝食もオレンジ一個だった。 う~ん、これはやせるかも! 早く、良くなりたい。

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ヒューストン第一日目

日曜日、とても素晴らしいヒューストンでの第一日目を迎えることが出来た。 朝、前の晩遅くについて、ほとんどそのままになっていた荷物を少し解いた後、 10時に学校で月曜日から教え始める聴音のクラスについて担当の教授とミーティング。 女流作曲家として前から噂を聞いていた台湾人の教授。 去年はフルブライト交換留学生として台湾に台湾の土着音楽を学びに行っていて居らず、初対面となる。 同じ内容の別のクラスを同時進行で教えることになるわけだが、 彼女が監督で、私は彼女に指導(の指導)を受ける形に成る。 これから一年一緒にお仕事をする上で、聴音指導に限らず、色々刺激を受けられるだろう。 楽しみ。 12時に新居の、ライス大学の修士・博士課程の生徒のためのアパートで 注意事項などの簡単な説明会がある。 思いがけない再会がいくつもあり、喜び合って、そのまま軽く一緒に昼食をする。 私がロサンジェルスで研究生として在籍していたコルバーンから何人もの新入生があり、 とても嬉しい再会。 午後は、ルームメートを通じて新しく出会った、統計学の修士の生徒たちに誘われて、 近くのスーパーまで食料の買出しに出て、映画館に直行。 「The Rise of the Planet of Apes」を見る。 特撮もストーリーもとても奇抜で、とても楽しむ。 一瞬、自分が日本に居るのか、NYに居るのか、ヒューストンに居るのか、 ぜんぜん関係無くなってしまう。 その後、プライヴェートで教えている12歳、10歳、5歳の姉妹の家族に夕食によばれる。 この姉妹の下にさらに、3歳と1歳の男の子が居る、大家族。 お父さんはライスの会計学の教授。 お母さんは教育学で修士を納めたゆったりとした美人。 子供たちはお客さんで大はしゃぎでみんなで一斉にしゃべりかけてくる。 それにまったく動じずに手作りのパンや、家庭菜園のサラダでもてなしてくれた。 私は5人の子供にモテモテで、引っ張りだこになり、にやけっぱなしだった。 とても、とても充実した、楽しい一日目だった。

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今だから笑えること

博士課程一年目が終わって、何だかとっても気持ちにゆとりができた。 昨日は朝一でジムに行って、いつものルーティーンどおりのせわしないエクササイズでは無く 運動用着に着替えて、そのまま表を散歩することにした。 ライスのキャンパスの周り一周は美しい並木道になっていて ジョギングや散歩の人が目立つ。 私はまだ一度も一周したことが無かったし、外はあまりにも完璧な天気で 室内でいつもどおりの運動するのには忍びなかったのだ。 歩いていると、この一年の学校生活の事が色々思い出されてきて、 反省点などと共にそのときは余裕が無かったけど、 今思い出すと笑いがこみ上げてくる場面がいくつも頭に浮かぶ。 例えば。 学期最後の週。 みんなペーパーなどの追い込みで目の色が変わっていて、 図書館も深夜を過ぎてもかなり混んでいた。 コンピューターのキーボードを打つ音だけがチャカチャカと鳴り響いている。 そんな中、疑いの余地無く、はっきりと誰かが「ぷーーー」とおならをした。 でも、誰も笑わない。 私も(誰かおならしたなー)と無関心の極みである。 今思い出すと、どうしても何度も笑ってしまう。 その全体的な無関心と、その割と高めのおならの音のコンビネーションがとっても可笑しい。 それから。 ちょうど中間のころ。 みんなが急ぎ足でキャンパス内を行きかっている中。 芝生の上でリスが下の足を投げ出して、 幼児がするような「えんこ」の形で一心不乱に木の実を食べているのを見た。 私はそんなに無防備で無邪気なリスの姿は見たことが無い。 今でも思い出すから、ある程度心に残ったのだと思うけれど、その時は無感動だった。 今やっとキャンパスがいかに小動物にとっても安全な、のどかな環境であるか、思いが及ぶ。 私はこの一年、 自分でも「今、自分は目が三角になっているなあ」とはっきり自覚するほど 余裕の無い日々が続いた。 小さな思いやりや工夫さえもケチって毎日を過ごしていたと思う。 でも、余裕と言うのは気持ちの持ちよう、そして人生観だと思う。 私がしているのは音楽の勉強であって、一秒一刻がかかわる人命救助では、無い。 それに、私が音楽を勉強しているのは、音楽が人間を人間たらしめる 余裕や、ゆとりや、お互いへの共感、そう言った物を強調できると信じているからではないか? その私自身が、音楽の勉強のために、そういうゆとりをなくしてしまったら、まったく本末転倒である。 来年は、もっと笑おう。 来年はもっと、自分の周りを気遣ろう。 来年は音楽魂を忘れることなく、もっと喜んで勉強しよう。

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