中休み、映画鑑賞

昨晩は、家族で映画鑑賞をしました。 最近、日本での西洋音楽発展の歴史に興味を持っている私のために 両親が録画しておいてくれた山田耕筰の生涯に関する映画です。 『大いなる朝』(1979)と言うTBSの三時間ドラマ。 山田耕筰を野口吾郎が、山本五十六を加藤剛が演じ、 この対照的な人生を歩んだ二人の人生を第二次世界大戦中心に描いています。 (父は「結婚前は『加藤剛に似ている』と言われた」と自慢していましたが、 はっきり言って、面影も在りませんでした。 別に悪い意味ではなく、似ていない、と言うだけです。) 山田耕筰がいかに日本の西洋音楽が根付く段階で多大な貢献をしたか、 と言うのは知れば知るほど驚愕します。 しかし、この映画で、この道がどんなに苦労を伴った物であったかということも実感しました。 スポンサー(三菱財閥)との関係の複雑さ、借金、他の音楽家との関係の難しさ、 さらに、いかに働きかけても一般的にクラシックがやはり受け入れられない、と言う事情。 勿論、かなりモテモテで、波乱万丈の人生を楽しく生ききったようですが、 でも、どんな名声を得ても、安易とは言いがたい人生だったのは確かなようです。 時には借金取りを逃げて、芸者のヒモのような生活をした、と言う風に描かれていました。 どれだけ事実に基づいているかは不明ですが。 この頃観る映画のテーマが全部共通しているように思えてしまうのは、 私が自分の最近の考察を投影してしまうからでしょうか? それとも、そう言う映画を無意識の内に選んでいるのでしょうか? 日本に向かう飛行機の中で観た二本も、 芸や美のために命や人生を賭ける、と言うテーマの映画でした。 一本目は邦画の『利休に聞け』。 豊臣秀吉にその名声をねたまれ、 芸に対するこだわりか、自分の命か、の選択を無理強いされ、 切腹する、千利休の話しです。 そして二本目は邦題『ミケランジェロ・プロジェクト(原題『Monuments Men』)』。 第二次世界大戦中にナチスが強奪した何千、何万と言う芸術品を 奪い返して、元の持ち主に届けると言う任務を買って出た もう若いとは言えない美術史博士や美術鑑定士のグループの話しです。 軍の基礎訓練をやっとの思いで終え、そのままヨーロッパ入りした彼らは、 色々な冒険をして、鉱山に隠されている何千と言うアート・コレクションを見つけます。 「ヒットラーの死去、またはドイツ国の陥没の際には全てを燃やせ」 と言うドイツ軍の命令と競い合うようにして、急いで救出する芸術品の中には ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ… 行く先の多くで「自分の部下が次々と死んでいる時に粘土や絵の具救出のために人員を貸せるか!」 と、見方軍の協力も拒まれてしまう彼ら。 それでも、「文明の最高傑作が破壊されてしまったら、例え勝利したとしても後世になんのために戦ったのか申し訳が付かない!」と、命を賭けて奔走します。 私はミケランジェロや、バッハと自分の命、と言う選択を迫られたら、 間違いなく前者を取って悔いは在りません。 勿論、そう言う状況はほぼ100パーセント在りえないし、 だからこうして安易に断言・公言できるのかも知れない。 でも矛盾しているようですが、音楽に自分の人生を捧げることで、 これからずっと経済不安と孤独と付き合うかもしれない可能性に ちょっと躊躇する一瞬があることを、ここで今日告白します。 今までの人生や選択には全く悔いは在りません。 やってきたことの全てが、苦労も含めて、良い思い出、そして成長の肥やしと成っています。 それに勿論、経済不安にも孤独にも、程度も捉え方も対処の仕方も色々ありますし、 私の努力や働きかけでこれからどんどん変わりえるでしょう。 私は今、本当に親友と心から呼べる、多くな強力な友達に恵まれています。 大半は、私と志を共にする音楽家で、苦労も音楽のハイも分かち合える、本当の同志です。 その事に関しても、自分は本当に幸運だと思うし、感謝しています。 それに、山田耕筰はその79歳の生涯を立派に全うしています。 […]

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