March 2015

スピーチ・コンテストで優勝しました!

自分のリサーチや論文を、専門外の人に分かり易く、興味をそそるように簡潔に説明する。 この技術は色々実際的な役に立つ。 1.博士論文の最終口頭試問の準備 2.教職の面接 3.研究・執筆の資金協力の要請 4.執筆・研究中の自分の目的意識をより明確にする。 ライス大学で毎年行われている 「90秒論文スピーチ・コンテスト」はその様な目的を掲げている。 昔は「エレヴェーターピッチ・コンテスト」と呼ばれていた。 要するに、どんな相手に向かっても興味を持ってもらえるように 自分の論文の要点を素早く説明するコンクール。 学校をあげてのイヴェントで、参加者は37人。 審査員は色々な教科の教授が50人。 参加を検討する生徒に向けての説明会から始まり、 台本の校正指導、スピーチの演技指導、とここ2週間ほどかなり忙しかった。 かなりの予算がこのイヴェントのために割り出されている。 台本校正や、演技指導の時はかなり突っ込まれたコメントをもらい、 「私の論文の要点からずれる!」など 専門外の人に意見されることに抵抗を感じることもあったりしたが でもこの短いスピーチを練り上げることをほぼ強制される過程で 自分の論文の一般社会へアピールできる意味合いとか 見失いかけていた大きな方向性を見直すきっかけとなった。 進められて、軽い気持ちで出場を決めたけれど、 この一週間はかなり没頭して準備した。 何よりも面白かったのは、スピーチを記憶する、と言うこと。 (これはコンテストのルール) これは楽譜の暗譜とは全然違う。 暗譜よりスピーチの方がずっと楽だが、 しかし記憶がすっぽり抜ける可能性への恐怖は全く同じ。 特に私の場合は暗譜に関してのスピーチになるので、 このスピーチの最中に記憶が抜けたら 「ああ、この人は暗譜が苦手だからこういう論文トピックなのね」 と思われちゃう! 最後の2、3日はピアノよりもスピーチを練習していた。 録音したり、自分のスピーチの様子を録画したり… ジェスチャーを振付して、 忘れやすい個所でそのジェスチャーをすることで記憶を補強できることを発見! これは暗譜にも使える…! さらに、記憶に集中しないで「何を伝えたいか」に集中すること。 そして最大の成果は他の出場者の研究内容を垣間見ることによって 本当に武者震いするような感動を覚えたことだ。 科学専門への女性進出の遅れの原因をグローバル観点から研究する中国人女性。 環境問題が世界中で取り上げられている今、なぜ畜産業の副産物であるメタンガスの弊害(その空気汚染への弊害は車・汽車・船をすべて合わせたより多いそう)が問題にされないのか、研究する菜食主義者。 金とタイタニウムを合わせることによって磁石を作り出し、それを(どうやってかは良く理解できなかったけれど)病気治療に役立たせる研究をしている人。 石油を水圧によってもっと完璧に、完全に取り出す方法を研究している物理学者。 アメリカの歴史においてのカトリック教会の弾圧と、それに影響された国際政治の研究をしている人。 がん細胞の作り出す特殊なタンパク質を簡単に見分けることによって、がん細胞と健康細胞を瞬時に見分けることを目指している人。 医者が患者とのコミュニケーション技術を磨くことが最終的に(医療技術が全く同じでも)治療の成功率を上げることを立証したインド人。 ライス大学に居ることが本当に、本当に誇らしくなった。 …そして、そんな中、私は「人類学部賞」を受賞してしまいました!!! 私は演じることに慣れていたから有利だったし、このスピーチコンテストに優勝したことがそのまま自分の研究・論文の優勢につながるとは夢にも思っていないけれど、でもやっぱり嬉しい! 300ドルまでいただいてしまいました.

スピーチ・コンテストで優勝しました! Read More »

最少の努力で最大の効果を上げる、と言うこと。

最少の努力で最大の効果を上げると言うのは、怠けるのとは違う。 物凄い想像力と工夫の努力が必要で、 しかも時には周りから疑念を持たれてしまったりしながら 信念をもってパッと見には回り道に見えることを地道に続けたりしなければいけない。 練習していて思ったことだけれど。 子供は絶対大人に教わらなきゃ自分からは習得できない。 子供はエネルギーがありすぎて、 がむしゃらに頑張ることで何とかこなしてしまおうとする。 この視点は大人だからこそ、の宝物。 大事に発掘していく。 覚書き、です。

最少の努力で最大の効果を上げる、と言うこと。 Read More »

音楽家として、社会に密接した活動をすると言うこと。

3月11日。 地震・津波からもう4年。 黙祷… ヒューストンに移住してライス大学で博士課程一年生だった私は 復興支援のチャリティーコンサートをヒューストンとLAと日本でさせていただいて、 それぞれのコミュニティーに多大なご協力と支援を頂いて、 音楽家として社会奉仕をする、と言うことについて考えるきっかけを頂いた。 そんな私のフェースブックにこんなヴィデオをシェアされた。 主にアメリカ在住の日系人がどのように復興支援にかかわっているか描いたドキュメンタリー。 在外の日本人としてどうやってこれから日本と関わっていくのか。 日本人ピアニストとして、どの社会にどういう働きかけをして、 社会に密接した音楽活動を行っていけるのか。 音楽家として非常に恵まれた修行・勉強する稀の機会を与えられた私は、 音楽の道を歩む上で非常な経験や旅行を沢山させていただき、 色々考えるきっかけと時間とスペースを頂いた、特権的な人間だ、と思っている。 それで培うことができた人生観や音楽観を どうやったら一番効果的に社会還元できるのか。 あれから4年、しばし考え込んだ一日でした。

音楽家として、社会に密接した活動をすると言うこと。 Read More »

ピアノを弾くのは、簡単なんだ!!

子供のころ、私は挑戦精神が旺盛な子供だった。 「すごく難しい」とされることを出来るようになりたい。 ピアノの練習を頑張ったのはそう言うモチベーションもあったのかも。 でも最近、才能のある生徒さんをたくさん教えさせていただいていてつくづく思う。 教師の仕事と言うのは、 どうやったらより簡単に、より効果的に弾けるか、教えることだな~、と。 何時間も練習しても不可能に思えるくらい難しい曲やパッセージがあったら 何かが間違っている。 指、手首、腕、肩、上半身、座り方、重心、を効果的に使えているか。 考え方は理に叶っているか。 テンポは正しいか?(遅すぎて難しいと言う場合もしばしある) 正しい歌い方をしているか。 最終的には「作曲家の書き方が悪い!」とか 「間違っていたのは選曲でした!!」と言う結論に落ち着くかもしれない。 でも、つくづくこの頃思うのだ。 マゾのような長時間のがまんの練習は本当に不毛。 超絶技巧を身に着けるために運動神経を特訓するような練習にだって 作戦と、理性と、適正を応用しなければ。 盲目的にただ単に練習量をこなして何とかしようと頑張るピアニストがいかに多いか。 私もそういうピアニストの一人だったから良く分かるけど、 でも練習はすればするほど良いものじゃない。 効率の良い練習、そして効率の良い奏法、音楽づくりを身に付けよう! そして適当な練習をしつつ、豊かな人生を送るタイム・マネージメントの技術も。 豊かな人生の方が絶対最終的に良い音楽づくりにつながる、と言うのが この頃の私の信念になりつつある。

ピアノを弾くのは、簡単なんだ!! Read More »

サッカーゲームを観戦して思ったこと。

私の恩師にはスポーツ・ファンが意外と多かった。 学部生の頃の先生は 自分の個人生徒全員をヤンキースタジアムに野球観戦に連れて行ってくれた。 LAの恩師はテレビでのバスケットボール観戦に招待してくれ、 「この選手は最近スランプだがこういうコーチングを受けてスランプ脱出を図っている」 とか、「今の失敗は心理的なものだ」 「今のは筋力を使いきれて居なかった」 とか、(え、これは先生から私への指導の一貫…?) と思わせるようなコメントを多発した。 でも、実は私はスポーツ観戦はあんまり好きじゃないし、お金を払っていこうとは思わない。 その心理的背景にはもしかしたら (音楽家の平均年収 vs。運動選手の平均年収)と言う、 変なこだわりもあるのかも知れない。 そんな私が昨日はヒューストンのサッカーチーム「ダイナモ」のホームゲームを観戦したのは 婚約者のお客さまがご招待してくれたから、お付き合い。 …のはずだった。 が、開眼。 色々考えるきっかけになった。 私は昨日は学校で公開レッスンを教えており、 観戦はハーフタイムからとなったのだが、 まずびっくりしたのはBBVAスタジアムに近づいて聞こえてきた歓声。 4万人ほどの観客が地面を揺らす勢いで 「うお~~~~!」 と1分間に5回くらい波のような声を上げる。 スタジアムに入ったら、その5感の刺激にびっくり。 スポーツ観戦は飲み食いしながら行うらしい。 ピーナッツ、プレッツェル、ピザ、ホットドッグ、ビール、マルガリータ、 そういうものが通常の5倍から10倍の値段で売られているのだが、 それを買う行列は10分から20分。 そしてスピーカーから流れる音楽とアナウンスメント、 隣近所の完成は耳を刺激する。 私の後ろに座った2年生くらいの女の子は ひきつけを起こすのではと思われる勢いでスコアの度に悲鳴を上げる。 ヒューストン・チームにはみんなで応援し、 相手チームには「ブー、ブー」と、すごい勢い。 これはすごい連帯感。楽しいのは当たり前である。 さらに、球場を囲むスクリーンはありとあらゆる極彩色で 色々な宣伝やゲームに関する情報を流し、 実際のゲームが色あせて見えるほど。 昨日のゲームはシーズン・オープニングのホームゲームと言うこともあって ゲームの後には20分近くの花火のショーまであった。 太刀打ちできない。 クラシック・コンサートにお客が集まらないわけだ。 この集客力。この経済力。この企画。 さらに、私を考えさせたのは、実はクラシックも昔はこうだった、と言うことだ。 出し物が気に入らなければ、舞台に向かって文句を叫ぶ。 奏者が気に入れば、応援、掛け声、そして延々と続く拍手と歓声。 その連帯感。 そして連帯感をさらにあおるための演出に 主催者も、ホール側も、さらに奏者自身も色々な工夫をしたらしい。 いつからクラシックはこんなに真面目に、崇高に、儀式的になったのだ? 崇高で、真面目で、儀式的なクラシックを私は好きなのだけれど、 でもそのせいで客離れ… う~ん。

サッカーゲームを観戦して思ったこと。 Read More »