March 2015

気分転換の大切さ。

私の相棒はきれい好きだ。 私が料理をした後のキッチンをクルクルとため息をつきながら掃除をしている。 16で家族が日本に帰国して、 その後一緒に同居して今では家族の私のアメリカン・マザーは 「炒め物をするときは油が飛ばないように絶対に中火かとろ火で」と口を酸っぱくしていた。 かつて香港で広東料理を勉強した母からは 「炒め物はできるだけ強火で! 日本の台所の火は小さすぎて正当な中華は作れない…」 と聞かされて育った私は、その優先順位の違いにビックリした。 味 vs。ピカピカ台所… 私はどうしても味を取ってしまう… しかし、何にせよ料理と言うのは楽しい。 熱中してしまう。 食材に触れる、火加減を見る、料理の音を聞く、味見をする、臭いを嗅ぐ。 料理と言うのは本当に五感総動員。 しばし他のことを忘れる。 これが『気分転換』なのだな~。 気分転換と言うのは、燃え尽き症候群予防に必要不可欠だそうな。 今日読んだ心理学実験についての記事によると、 一日中仕事をして、その仕事のストレスを忘れる暇無く眠りにつくと、 疲労感が抜けず、次の日の練習が乗らず、 余計効果の上がらない練習に時間を費やし…と悪循環になりやすくなるそう。 食べること、友達と話すこと、運動をすること、睡眠を取ること。 これらを犠牲にして精進することがまるでプロへの道かの様に 根性物の漫画は私たち日本人を追い立てるが、 しかし気分転換と言うのは 練習や仕事の効果を上げ、疲労感をぬぐい、観点をリフレッシュさせる、 とても、とても大事なものなのだそう。 言われてみると、もちろんそうなのだけれど、 でも「こういう実験で」「結果統計を出すと」と言われると (ああ、休んでも良いんだなあ)、 (楽しんでもよいんだなあ)と思える。 ありがとう。

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論文のための歴史検証。

暗譜の歴史について博士論文を書いている。 今までは、暗譜の伝統の歴史について (直接的に言及している書物が少ないから) 間接的に言及していそうな、 文化史とか、ピアノ史とか、 リスト、クララ・シューマン、メンデルスゾーン、ショパンなどのピアニストの伝記、 など、どちらかと言うと専門書に近い本を多く読んできた。 しかし、色々考えるところあって、ざっともう一度 一般的な音楽史を読み返している。 一番最初に学部生が一般的に必修の音楽史の授業で読む音楽史の教科書を読んだ。 これはまあ、復習。 そして今、 チャールズ・ローゼンの「The Classical Style:Haydn, Mozart, Beethoven」を読み終え 同じ著者の「Romantic Generation」を読んでいる。 Charles Rosenは私は昔から「すごい音楽学者だ」と思っていたが 改めてそのすごさを再認識。すごい造詣の深さ。 音楽史を文学史や芸術史や哲学史につなげて語れる。 爪の垢を煎じて飲みたい(もう亡くなってしまっているが)。 なぜこの優れた著書が日本語訳にされていないか、理解に苦しむ。 その中からすごく感銘を受けた個所を抜粋して要約。 『18世紀の見解では、宗教音楽は厳かな献身を、宮廷音楽は優雅さと華やかさを表現するものとされていました。しかし、新しい交響曲や協奏曲が入場料を払う一般聴衆のために書かれるようになっても、収入増加は勿論、受け狙いでさえ、その目的とすることは良しとはされませんでした。権力者へのごますりは許されても、一般聴衆のごますりは恥ずかしいことだとされ、これらの作品は「自己表現のため」に書かれた、と言う大義名分が付いたのです。 …この様な作品の価値はその誠実さにある、とされました。社会的役割がはっきりしない美的感覚のための製品としては当然のことです。「芸術家の内から湧き上がる必要性に応じて」産まれた、とされるこれらの作品は、表現以外の目的を持つことを良しとしません。個人的な目的さえ悪とされ、私的な犠牲はその証とされました。発表当初、一般聴衆に受け入れられない作品は、芸術家の「犠牲」の証となり、死後成功の可能性を高めたのです。産業革命や資本主義への反発もあって、創造活動のために飢える芸術家はその存在自体が美しいものとされました。 …この時代に楽器音楽がもてはやされた理由にはこういう社会的背景があったのです。言葉に囚われない楽器音楽は社会的役割からも、宗教からも束縛されません。言葉と同じように表現するものとされながら、表現の対象がはっきりしない―そのために役割もはっきりとしなくなる、しかし独自の世界を創り上げる力がある、とされる。』 『(コールリッジの「The Friend」から要約して)作曲家の作業と言うのは歴史家のそれと似ている。過去の語り方を選ぶことで現在への見解と将来への期待を影響する。歴史家も、偉大な作曲家も、まず驚かせ、その後読者(や聴衆)を驚かせた歴史的(あるいは音楽的)出来事がどのように準備され、必然的なものであったかを、解き明かせて見せる』 この様に読み進んでいると、今まで自分独自のものだと思っていた見解や信念が、いかに自分の周りの歴史的・社会的背景の産物であるか、気が付いて愕然とします。 久しぶりに本の虫です。

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生活、諸々

ピアニストの生活は練習に集中…だったらどんなに楽か!! 例えば今日。 7時半に起床してからこっち正直に精力的・生産的に動いていたつもりだったのに… まだ一音も弾いてない! まだ一語も論文書いてない! なぜ? なぜ!!?? 代わりにしたこと。 お恥ずかしながら今までずっと「あけましておめでとうございます」だったHP更新。 http://makiko-piano.wix.com/makiko-hirata 6月にクラリネット奏者で我が心の友の佐々木麻衣子さんと予定している ジョイント・リサイタルの会場打診。 (メール3通、電話2本) 今年の日本のリサイタル『南欧の愛と幻想』のチラシ最終チェック。 (8月22日と30日にみなとみらいと千葉・美浜文化ホールにて!) 我が愛おしの妹が頑張って素晴らしいデザインをしてくれ、 我が最強の助っ人であるお父母が印刷委託を担当してくれ、 まさに平田家合作のチラシ! 来秋の演奏会の打診のメールもたくさん対処。 私は本当に単細胞人間なのである。 一日単位でも『ながら』が苦手。 朝起きて、夜寝るまで論文執筆!とか 朝起きて、夜寝るまで練習!とか そう言うのが好き。 でも、そう言う時間にかまけた作業はやっぱり子供の時・学生の時に許される特権。 相棒との共同生活を始め、社会人としての責務もあり、 そしてありがたいことに演奏の機会を頂けるピアニストの身としては すべてを効率よくこなす技術を身に着けなければ… 幸いなことに沢山の方々の支援を得て、 何とかよちよち歩きを始めている、少し遅ればせ社会人、です。

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生徒さんに教えられること

私は本当に素晴らしい生徒さんに恵まれている。 子供の生徒さんもそうだが、 年齢の近い、日本人女性の生徒さんたちには本当に襟元を正す想いすることがある。 それぞれ、ご結婚なさっていらしたり、キャリア・ウーマンでいらしたり、 お子様がいらしたり、アメリカ生活での挑戦を抱えていらしたりしている。 そのみんながそれぞれ私に心にしみる心遣いをしてくださるのである。 メールの文面、小切手の美しい書体、小さな励ましのメール。 「練習のため」と練習以外の余裕のすべてを一時割愛して なりふり構わず生きてきた時期を過去に持つ身としては、 ご自分の生活をきちんとこなされ、その上ちゃんと練習までされて そして私への心遣いをしてくださる生徒さんには本当に感動する。 昨日は手作りの水羊羹を頂いてしまった。 本当に美味しい! 元気をもらいました。 私もこれからバランスを求めて、さらに頑張ります。

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現代曲のアイデンティティー

先週末はライス大学で台湾の伝統音楽・楽器・奏者・作曲家が招待され、 西洋現代音楽と共演をすると言うシンポジウムが開かれた。 私も3日3番のシンポジウムの中日の夜に行われた演奏会で演奏した。 (詳しくはこちらのHP:http://music.rice.edu/21C/) 博士論文のスピーチコンクールの中でも言ったことだが、 暗譜の伝統が定着した1890年ごろには、 リサイタルのフォーマットや、 弾かれるレパートリー(バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、など) が型にはまり、今でもそのまま受け継がれている。 暗譜は歴史的に偉大な作曲家をあがめる態度の一貫として伝統化した側面がある。 しかし、この歴史と伝統の重圧のおかげで、それ以降の発展がいつも 逆光を浴びるかのようかすんでしまったのも事実だ。 それまでは 『音楽はいつも進化しているもので、新しい音楽の方が古い音楽より優れているのは当たり前』 と言う考えだったのが、いつの間にかバッハからロマン派までの作曲で停滞しまった。 例えば、ライプチヒで演奏された作曲の中ですでに死去した作曲家の作品は 1782年には11パーセントだったのに対し、1870年には76パーセントになっていた。 これは聴衆や主催者だけの責任ではない。 作曲家が「自己表現」「まだ誰も試したことのないユニークな作法」を追求するあまり、 聴衆とのコミュニケーションを蔑ろにした結果でもある。 そんな中でアジア人の作った現代曲に焦点を当てたシンポジウムはマイナー中のマイナー。 しかしその反体制的な態度の表明としての意義、 さらにアジア人としての西洋音楽におけるアイデンティティーを探し求めるものには ありがたいシンポジウムとなったと思う。

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