March 2016

ノリノリ!充実

最近ブログ更新を怠っていたのは… 大変充実した、気力に溢れた、勢いに乗った毎日を送っていて、 気が付くとブログ更新の時間が無く、就寝してしまっているからである。 エドの死や、それにまつわる諸々でしばらくほったらかしてあった論文は先週から再開! リサーチが本格的に面白くなってきました! 勢いがある時は勢いをできるだけ活かしたい! 練習も同じく! 今年の夏、日本でもご披露させていただく「『クラシック』って何!?」。 弾き込んでいく過程でどんどん選曲した曲たちに愛着がわいてきて、 (う~ん、我ながらなんてすごい曲を組んだんだ!)と大満足! さらに、麻衣子さんと私はヒューストンで、 「音楽会をやります!」と宣言すれば 打てば響くように反応してくださる音楽愛好家や同志に恵まれています。 頭を寄せ合って、企画会議を開いていると、どんどん力がみなぎっています。 走っているからでしょうか、食生活を健康的に心がけているからでしょうか? 集中力も前向き力もアップして、 朝起きてすぐから、夜バタンキューのぎりぎりまでバリバリ働ける。 遊ぶこともしているけれど、 遊んだあと前はぐったりして中々切り替えられなかったのが、 最近はピッ!と仕事に戻れる。 …と、言う訳で、ブログ更新を怠っていました…

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5年目の3月11日

5年前の3月11日。 私はヒューストンもライス大学博士課程も、まだほやほやの一年生だった。 ヒューストンの前の住まいだったLAからの友人の「大丈夫か!?」と言う連絡があったのが アメリカ時間の3月10日の夜。 たまたまノートパソコンが壊れていて、地震と津波が関東地方かどうかも分からず、 日本に電話してもつながらず、大変不安だった。 それから惨状を知った。 あれからもう5年。 あれからまだ5年。 被災者の方々、復興活動、復興支援活動… 色々な事を想うと、 この大惨事に自分自身の歩みを重ねるのがはばかられてしまうが、 でもあのイヴェントで私の人生観、音楽観、人間関係も大きく変わった。 コミュニティー、特に在外邦人として日本人コミュニティーとのつながりのありがたさを 非常に感じるきっかけとなった。 そしてコミュニティーに根付いた音楽活動、と言うこと。 沢山したチャリティーコンサートで今まで以上に音楽家である事の意義を感じ、 自分のこれからの活動を再考するきっかけになった。 一緒にチャリティーコンサートで頑張った佐々木麻衣子さんとの かけがえのない友情の発端ともなった。 あれから色々、色々あった。 5年。

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助けることで助かる時

物凄くお世話になった人に 「どうやって恩返しをしたら良いか分からない」と言ったとき 「To give is to take and to take is to give」と言われてびっくりしたことがある。 「与えると言うことは与えられることであり、与えられると言うことは与える事である」、 とでも訳せば適当かな? まだ10代の学部生の時だった。 以来、その事は良く考えている。 人と言う字は、二人の人がお互いに寄りかかっている象形文字だ、と聞く。 「人間」と言う言葉は、人間性と言うのは人と人との間に生まれると言う意味と理解している。 今回、ストーカーの一件で、物凄く沢山の人に物凄く色々無償の親切を頂いた。 社会福祉や、弁護士や、会計士などの方々に専門知識のご助言を頂いたり、 イベントの際は色々な方がボランティアで警護に当たってくださったり、 暖かい励ましの言葉をかけて下さったり、さりげなく元気づけて下さったり、 沢山の方のご理解と支援を得て、演奏活動を続け、論文の執筆をつづけながら 膨大な時間と労力を要する刑事責任追及と言うことも続けてこられた。 でも、今度は私が与えさせていただく番だ。 誰かの役に立ちたい。 頼られる存在になりたい。 恩返しがしたい。 ストーカーの一件ですごくお世話になった学校の社会福祉の人に勧められて、 学生で困っている人がいたら、ライス大学内の正しい支援施設に案内するボランティアをする。 今週末にトレーニングセッションが始まる。 私ももう被害者から、支援者に、成長しました。

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私の日本公演も今年で16年目になります。

私の日本での公演も今年で16年目を迎える。 (詳細はHPにて!http://makiko-piano.wix.com/makiko-hirata) 夏の公演を2001年から始め、以来一年も欠かしたことは無い。 秋や春先にも機会を頂いて、一年に2回の活動をさせていただいた年も多い。 それを可能にしてくださった沢山の方々の支援・ご助力を想うと、本当に感慨深い。 色々な試行錯誤があった。 中心となって広報活動をしてくれた両親には 「もっと耳なじみの多い曲を…親しみやすい曲を…」と泣きつかれた。 一つでも多くの席を埋めて上げたい、と言う親心だったのだ、と今は思う。 しかし若い時‐いわゆる修行中‐は「親の心子知らず」で、 「アメリカで日本食店経営する時、アメリカ人向けにケチャップライス出す? 違うでしょ!分かってもらえる人だけに分かってもらえば良いと思って ちゃんとお出汁を取って、新鮮な素材で、薄味で、本当の和食を出すでしょう?」 と、ベートーヴェンのハンマークラヴィアやバッハのゴールドベルグ変奏曲など、 弾くのは勿論、聴くのも難解な曲に敢えて挑戦したりした。 私の両親も、主催者も、そんな私のわがままを涙を呑んで、心配を我慢して、 許して、最終的な演目を毎年私に任せてくれた。 でもだから、そう言う自由を許されて、 私は自分の納得できる音楽的成長を遂げることができた、と思う。 ありがたく思っている。 最近博士論文のリサーチの一環として19世紀の演奏家について多く読んでいる私は 新しい心境に至っている。 演奏会には3つあると思う。 1.聴衆のための物、2.演奏家のための物、3.作曲家(あるいは『音楽』のための物)。 1.は興業としては成り立ちやすい。 聴衆が何を求めているのか、何を楽しいと思うのか、どうすればチケットが売れるのか、 それを最優先にする。 クラシック音楽業界に於いては歴史的に「身売り」と見下される視点だが、 しかし実際興業として成り立たなければ、演奏家の生活は成り立たない。 2.は演奏家を、その演奏技術やスター性を見せびらかすもの。 これには超絶技巧や、演奏家のルックス、逸話、 全てが「演奏会」を売るための題材となる。 3.は音楽そのものを、儀式の様に在りがたく崇める、と言う姿勢の物。 ここでは奏者は、いわゆる「お筆さき」の様な存在になる。 あまり強い自己主張はここでは良しとされない。 聴衆も、ありがたがって、儀式を拝受する一員となるべく、 楽章の合間に拍手なんかしようものなら、にらみつけられかねない。 現在のバリバリクラシックの在り方だ。 どうすればこの3つを上手くバランスできるのか? 聴衆も楽しめ、演奏家も気持ちよく自己主張をでき、そして音楽もその尊厳を保つ。 今年のプログラムはそう言う今の私の熟考の一環である。 『クラシックって何⁉』と題した今年のプログラムは大きく分けて2部からなる。 『いわゆる「主流」クラシック=ウィーン楽派!」と題された第一部では、 ウィーン第一楽派のモーツァルトの「キラキラ星」変奏曲に始まり、 シューベルトの楽興の時、ベートーヴェンの『悲壮』 そして最期にウィーン第二楽派のベルグの作品1のピアノソナタに至るまでの 聴衆優先から作曲家優先になるまでの音楽観の移り変わりを追う。 『え!?これも「クラシック」?~民族音楽に憧れて』と題した第二部では、 ジプシー音楽にルソーの「自然に帰れ」の音楽バージョンを見出して美化した リストの「ハンガリー狂詩曲」の第2番で始まる。 そしてスコット・ジョップリンのラグタイム、ガーシュウィンの前奏曲など、 アメリカを中心に、いわゆるクラシックとは少し異なる曲たちをフィーチャーしながら 「クラシック」とはいったい何なのか、検証していく。 6月25日(土)みなとみらいにて、13時半開演 7月8日(金)千葉美浜文化ホールにて、18時半開演。

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ヒューストンでぬか漬け、作ってます。

ほぼ毎日走り、毎晩9時間は睡眠を取り、 そして発酵食品と料理に凝り、生活を愛でている。 暇…では無い! 昨日は朝の8時半から夜の8時まで、途中の休憩と移動時間は正味2時間で頑張った。 その前日の水曜日は朝に教え、その後いくつかのミーティングを経て、 4時から7時まではヒューストン・ホビー空港を通過する旅人のために 音楽を奏でる、と言うアルバイトをした。 火曜日は正午に演奏会があった。 一つの演奏会をする、と言うことは朝から衣装を整え、 リハーサルの後、会場入りし、 スタッフとの顔合わせ、サウンド・チェックなどを経て、 やっと本番の演奏、と言う運びになる。 演奏後も裏方や事務スタッフへの御礼、今後のお仕事の相談、などなど。 1時間の演奏のためにでも、絶対半日はかかる。 そして勿論、本番当日前には演目・広報・ギャラ交渉・税金などの事務処理、 共演者との衣装その他の打ち合わせ、そして練習・合わせ、と 事務力と時間と注意を要する。 そしてその合間に練習をし、 いまだに続くストーカーの法的対処に関わり、 これからの演奏会の事務処理をし、 ここ3週間は手つかずの論文を恋しく、夢に見ている。 それでも私は、ぬか漬けを作り、夜は眠くなったら何を差し置いても寝る。 最近やっと、『我武者羅』の自己満足、そして非生産性に気が付いた気がする。 根性物の漫画のような頑張りは、私も経験したし、それはそれなりに楽しかったけれど、 身体と精神の健康在って初めて、 自分、自分の人生、そして周りとの関係を正直に愛でる事が出来る、と思い始めた。 そして、身体と精神の健康は、日常の積み重ねで作る。 だから私は朝は走る。 午後に本番があっても走る。 そして12時間教えて帰ってきたらぬかをかき混ぜ、野菜を処理してぬか漬けを作る。 そしてどんなに大事に思えることがあっても眠くなったらさっさと寝る。 そしてふてぶてしく、しっかり眠る。 そして、その全てを楽しんでやる!

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