生産性を高める環境・努力・自主性

最近しばしばスタバで論文を書いている。   昔は「スタバで勉強する」と言う人がいると(なんで?)と思っていた。 私はスタバの値段設定も、 そのいかにもチェーン的なメガ・ビジネスでローカルなお店を威圧する感じも、 世界中どこでも似た様なお店の雰囲気も、(良くない!)と思う。 第一私はコーヒーに弱い。 味に関しては不覚にも最近「クワッ!おいし~い」、と ビールを飲んだおやじの様になってしまう時もあるが、 コーヒー(ただのカフェインとは違う気がする)が入ると、 明らかに早口になり、自分に不信感を抱くほど社交的になる自分にいつもびっくり。 そして数日続けてコーヒーを飲んでしまった暁には必ず夜中に目が覚めるようになる。   それなのに「スタバで論文を読むのが好き」と言う友人に付き合って行ってみたら、 びっくりするほど集中して捗ってしまったのが半年ほど前。 最近は忙しくって日中全然論文に費やせなかった日には、 帰宅後にあわただしく文献をまとめて閉店まで2時間だけスタバで論文、 とかそう言う事もやっている。 3日、4日と続けて連日色々な地域のスタバ巡りをしてしまう事もある。 自分が賛成しないビジネスモデルに消費者として貢献してしまっている。   なぜ? 単純計算だと、移動時間が勿体ない。 夜にコーヒーは私は絶対飲めないので頼むのはハーブティー。 そんな物、家でも飲めるから、お金も無駄。 さらにスタバのコップも蓋もエコに悪い。 それに私が今使っている文献は広範囲にわたっていて、それを担いでいくのも難。   でも絶対に家にいたら出来ないレヴェルの集中度で 同じ2時間の密度が非常に高まるのだ。   同じことが練習についても言える。 私のアメリカン・ファーザーのエドが亡くなり、アメリカン・マザーのジョーンが家を売って ずっと置いてもらっていたピアノをヒューストンに引き取ったのが今年の2月。 合わせ鏡で自分の姿勢を観察しながら練習できるように工夫したり、 近所迷惑を考慮して厚いじゅうたんを敷き詰め、ご近所に挨拶に行き 最初は(やっと練習室通いから解放された~、これからは書きながら練習!)と 本当にワクワクして色々試行錯誤していたのだが、 気がつけば朝一で学校の練習室で練習してから論文と言う生活に逆戻り。 「練習が煩いかもしれませんが」と、しばらく前にCDを持って挨拶に行ったら 「音楽大好き!時々かすかに聞こえる音楽はあなただったのですね! もっともっと沢山練習してください!」と涙が出るほどありがたいお言葉をくださった 隣のステイシーが心配して日曜日に様子を見に来るほど、 家で練習しなくなってしまった。   勿体ない。 そして心配。   私はもうすぐ論文を終えて卒業する。 そしたら私の超長年の練習室生活ともおさらばなのである。 そして私は卒業したら今よりもさらに生産的に執筆も練習も演奏も続けるのである。   ここは考え時。 なぜ、練習室やスタバの方が自分の生活空間でよりも集中できるのか。   […]

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