November 2019

ブータンと山極寿一教授

10月の下旬にブータンに行きました。 色々見聞きし、感じ考え、涙も流し、帰って来て、この貴重な体験をどうこれからの私の人生・活動に役立てれば良いのか…言葉にできないもどかしさを、日常の忙しさで覆い隠しながら、悶々と3週間が過ぎようとしている時、運命的にあるエッセーに出会い、ブータンでの自分の想いと共鳴するのを感じました。 まず、自分の復習も兼ねて山極教授のエッセーを、下にまとめてみます。 人間の脳をゴリラの3倍の大きさにしたのは言語ではなく、共同体の大きさ。 霊長類は脳の大きさと生活共同体の大きさが比例している。例えばゴリラは10匹の共同体に適した脳の大きさ。人間の脳の大きさは約150人の共同体に匹敵する。 (『ダンバー数』説) 人間の脳が大きくなり始めたのは200万年前、現代人並みの脳の大きさになったのは40万年前。言語出現は7万年前。 人間の脳を大きくしたのは、多数の仲間の状況や事情や気持ちを理解する共感力。 (社会の複雑性に対応する能力。) 大きな脳と大きな生活共同体を必要とした背景の事情 二足歩行と共に霊長類が住む安全で食糧法府な熱帯雨林を離れ、危険が多いが遠くまで見渡せる草原で暮らし始めた。 草原は雨林と違って隠れる場所が少なく、危険性が高い。食肉獣に幼児が多数捕食され、子だくさんの必要性が出る。 離乳を早め、女性が出産後すぐ妊娠できるようにする。 人間の赤ちゃんは共同育児するようにできている。 泣いて自己主張(ゴリラの赤ちゃんの様に四六時中抱いてもらえるには人間の赤ちゃんは重過ぎる=ゴリラの赤ちゃんは泣かない) 親でなくとも人間が赤ちゃんに語りかける声は音楽的で、文化や言語の違いを超えて共通のトーンを持つ。絶対音感を持つ赤ちゃんはそれを聞いて、安心する。(出典が知りたい!) 近年の情報革命は、共感力や情緒を置き去りにし、人間社会をサル化している。 私がこの記事を何度も読んだりシェアしたりしたので、今度はグーグルのアルゴリズムが山極教授の別のエッセーを私に提示してきましたた。情報革命と人間らしさの矛盾について言及しています。 故・今西錦司による生物の定義──「生物とは時間と空間を同時に扱えるもの」 言葉の発明が人間と動物の間に一線を引いた 言葉は、時間と空間を超える抽象性を持つ。 他人とのつながりを拡張するポテンシャル 情報革命=情報を扱う脳と、五感で共鳴する体の分離。 体験を簡略化する情報(言語を含む)で脳の巨大化が止まった。 言葉を持たないネアンデルタール人の方が人間より大きな脳を持っていた。 言葉は記憶を外部化する。 AIは思考を外部化する。 人間はデータに動かされる存在になってしまう!? 情報技術は情緒を削いでいく。 情緒(『曖昧さ』)を曖昧なままで了解するのが異種間のコミュニケーション(=「音楽は世界の共通語」!?) 分かり切っている物には興味が湧かなくなる。 AIは西洋思考の到達点であり、臨界点。 「我思う、ゆえに我あり」ではなく「我感ずる、ゆえに我あり」(今西錦司や西田幾多郎) 頭だけでなく、身体性を持って考える存在。例) 人が汗をかく場合、暑いと思ったから汗をかくわけじゃなくて、身体が暑さに反応して汗をかくから、脳が暑いと思う。 西洋文化では客観を重んじるが(その典型が数学)主観と客観、知性と感性、脳と体、人間と外界は、2分化できるものではない。 2分化の結果が環境破壊!? 2分化の結果技術的進歩は在ったかも知れないが、それは「進化」だったのか?人間はゴリラより幸せとは言えない。 更に私は、Prof. Juichi Yamagiwaの世界的貢献を知りたく、英語で検索してこのTedExを見つけました。 この「人間の暴力性はどこから来るのか」を問うプレゼンでは、山極教授は人間の暴力性とは仲間意識の結果、仲間に対する共感と、仲間以外の同種に対する敵対心が生んだものだとしています。200万年前に狩猟のための武器の発展と共に共同体と共同体の間での戦が始まったと言う主流の考え方は間違えであり、50万年前に農耕が始まったのと同時期に武器が人間同士に使われ始めたと主張している。人間同士の暴力の歴史がこれだけ浅いのだから、人間の本質に暴力性はない、と言う主張です。 人間の暴力性はどこから来るのか...私が最近ずっと悩んでいることの一つです。音楽に関する脳神経科学の研究結果を見る限り、人間と言うのは理想的に社会的な生き物に見えます。体の動きや生態リズムをシンクすることに快感を覚え、声を合わせてハモルことで「愛情ホルモン(オキシトシン)」を分泌します。でも、アメリカの音楽業界で人種差別を受ける非白人音楽家の数は63パーセント、セクハラの被害者になる女性音楽家は67パーセントと言う統計結果があります。毒親、いじめ、痴漢行為、強姦、幼児虐待、家庭内暴力...日常的な例だけでも、人間の非共感性、そして暴力性の例は後を絶ちません。更に歴史を見ていると人間は同じ宗教でも宗派が違うだけで戦争をし、想像力豊かな拷問をします。様々な拷問の方法を読んでいると心底情けなくなります。(どうやったらより相手が苦痛か)と言う非生産的で、悲しい想像力を発揮したクリエイティビティ―です。なぜ人間はそこまで残酷になれるのか? 山極教授は、人間が道具を人間同士の殺戮のために使い始めたのは非常に最近の事であり、霊長類や猿人類にそのような特性はないと主張しています。が、私が最近見たジェーン・グドールのドキュメンタリーではチンパンジーのグループ間での殺し合いに至る戦争が鮮明に映像化されていました。さらに、下のドキュメンタリーの抜粋ではチンパンジーの雄の9割が生涯に同種の殺害に携わるとした上で、やはりチンパンジーのグループ間での戦争をドキュメントし、共食いの画像も出しています。山極教授のご専門はゴリラと言うことで、チンパンジーやボノボ(下のドキュメンタリーでチンパンジーよりずっと温厚な霊長類の例として出されていますが、それでも3パーセントの雄が他のボノボを殺すそうです)はゴリラとは違うのかも知れませんが、山極教授の人間の暴力性の由来に関する一般的な論点には疑問が残ります。 暴力の由来の明確化はここでは無理ですが、私は山極教授の「人間らしさ」に関する発表が、自分の「Dr.ピアニスト」としての音楽でより幸せ・健康・仲良くなることを提唱する活動と多いに共鳴していて、大変勇気づけられました。更に、ブータンでの旅行に関して色々思いました。 ブータンは、経済発展や技術発展よりもGNH(Gross National Happiness 国内総幸福量)を国勢の指針とする、と打ち出して世界の注目を浴びている国です。ブータンでご一緒したガイドさんの話しによると一年に一度調査員が家庭訪問をして、一人一人に2時間半に及ぶ「幸福度チェック」インタビューを行うそうです。質問の内容は健康度(通院回数・精神疾患の有無、家族の介護など)、生活習慣(規則性、食事内容など。国民の平均睡眠時間が毎晩8時間以上と言われたのがとても印象的でした)、社交度(家族と一緒の食事の頻度、地域貢献にかける時間、など)、宗教活動、経済状態など広範囲に及ぶそうです。外国人相手のツアーガイドと言う、ブータンの生活習慣に全くそぐわない職業についていてるガイドさんは、親戚の集まりや祝日などに顔を出せない事が多く、「どうしてお前は家族や友情よりもキャリアを優先させるんだ」と不思議がられる、とこぼしていました。 ブータンでは損得勘定ではなく流転の哲学で色々な物ごとが動いていました。例えば、そこら中に色とりどりの旗にお経が書かれた旗の様なものが翻っています。谷底とか、川の上とか(どうやってあそこに?)と言う所に沢山かかって居るのです。旗がほつれていずれは風に吹かれて跡形もなくなった時、旗に込められた祈りやお経が天に届くと信じられているので、特に強風なところに好んで旗をかけるのです。 駄菓子屋さんで、色々な見慣れないお菓子に一々興味を持ってぺちゃくちゃ日本語でしゃべる私たちに、お店の人が無料サンプルをくれました。にこにこして、本当に気前が良いのです。 そして砂曼荼羅を川に流すと言う儀式も、私たちは見学させて頂きました。沢山のお坊さんが総動員で長い時間をかけて描きあげられた色鮮やかな砂曼荼羅は、完成したらすぐ、川に流されます。諸行無常の象徴と言うのは分かりますが、本当に惜しげもなく、捨てるように川にササ!ササ!と流していました。大切なのは、物や情報ではなく、体験や交信であるーまさに山極教授のおっしゃっていることを体現実行しているかのようなブータンです。 ブータンがGNHを打ち出したのは、国際政治のためだ、と言う側面についても伺いました。ブータンはインドと中国に面する弱小国です。更に宗教を同じくするチベットともライバルの様な複雑な過去があります。いつ乗っ取られるやも知れない。そこでGNHで知名度を上げ、世論を味方につけたのです。しかしこのGNHがここまで世界の注目を浴びるのは、やはり現代先進国社会の悩みに対する理想をGNHが掲げているからではないでしょうか? 技術的な進歩が人間をゴリラより幸せにしているか疑問視する山極教授。そして経済的発展が経済大国をブータンよりより優れた国家にしているか疑問視するから、私たちはブータンにここまで憧れるのではないでしょうか?

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走り始めて今日で6日目。

「外からの力が加わらない限り、静止状態の物は静止を続け、動いている物は動き続ける」…慣性の法則を学校で学ぶのは何年生なのでしょうか? 私は日本の教科書で日本語でこの概念を学び、妙に感心した記憶があるので、渡米した中二の一学期の前なのは確かです。 子供時代から本の虫だった私は、静止状態がデフォルト。引っ込み思案や病弱だったり、子供の一人遊びにはいささか治安が不安な香港で幼少時代を過ごしたり、更には日本に帰国した6歳半の時にはすでに一日2時間くらいピアノを練習していたり...様々な要素が私の静止状態に輪をかけたと思います。 ヒューストンで博士論文執筆とストーカーの刑事責任追及を同時進行でこなそうと悶々としていた時に、ジョギングを勧めてくれたのは野の君です。渋る私を「気分が晴れるから」と、海岸や公園に誘い出てくれました。ヒューストン時代の最後の一年半は毎朝2マイル(約3.22km)走るのが日課になっていました。家の近くのバイユー(ゆっくり流れる小川)に沿って、毎朝同じコースを走っていました。週末は3マイルとか5マイルとか走ったりもしてました。 最近の旅行続きが一段落した今、また朝の運動で一日に勢いをつけるべく、走り始めて今日で6日目。敢えて同じコースを2マイル走ります。同じ木が日に日に赤く色づいていきます。朝もやがかかった日もあります。息が上がり、足の筋が伸び、体幹や姿勢に意識が行きます。体中の血のめぐりがリズムに乗り、汗ばんできます。遠くの山に朝日が映えて、その日一日が楽しみになってきます。

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執筆と選曲の原動力。

時々、曲にとりつかれる。 過去に弾いた曲の時もあるし、まだ弾いてない曲の時もある。 急にその曲の事がいつもありありと頭や耳や心の中で思い描かれるようにある。そういう自分に気が付く。(この先、どういう風に展開するんだっけ)と気になり始めて、楽譜をチェックしなければどうにも気が済まなくなる時もある。肉体的に弾きたくて弾きたくて体が疼くような状態になる事もある。(この曲を弾かなきゃ表現できない自分の一部があるんだ!)と焦燥感に駆られるようなときもある。 ここ一週間以上私が取りつかれているのがスクリャービン作曲、エチュード作品42-5(1903)。 自分でも意外。なぜ、今、この曲? 「幸せの国」ブータンから帰って来て、直後に行った二つの出演も大変好評のうちに終わり、全てが順調で、今までの人生の中でも絶好調と言っても良いこの時期に、なぜこの不穏に激しいロシアの練習曲? 一つには執筆中の本が在る。 「You only scream when you are finally safe(やっと安全だと思った瞬間人は初めて悲鳴を上げる)」。最近読んだ小説の一文。転校して、受け入れられたい一心でパーティーで泥酔し、気が付いたら輪姦されていた14歳が、大人になってトラウマを埋蔵するべく必死に演出する完璧な人生...筆者の実体験に基づいた「Luckiest Girl Alive(一番幸せ)」。 「やめて」と頼んでも現状を変えられない情けなさ。 「痛い・悲しい・辛い」と訴えても「そんなはずはない」「恩知らず」「被害妄想」「ひがみ」と軽視されることの辛さ。 「こんな被害があった」と言っても信じてもらえない不穏。あるいは「過ぎたことは忘れろ」 「それくらいで済んで良かった」 「感謝しろ」「もっとひどい不幸がある」と、同情・共感を拒まれるやるせなさ...強行スケジュールの中休みに一日ゴロゴロしながら 341ページ 一気に読み切った。私も、この筆者と同じく、幸せになった今だから本を書こうと思えるのか。今、公私共に安定しているから初めて、過去に在った色々を感情を伴って振り返り、整理し始めているのか?だから、今、この曲なのか? この「Luckiest Girl Alive」を読んだのには、私が自分の本に関して再考しているから。始めは自分がいかに舞台恐怖症を克服したかと言う経験に基づいたハウツー本を書くつもりだったのが、書き進めるうちにどんどん自伝的回想録の体を成してきていた。が、私の知人や加害者のプライヴァシーの問題、さらに一体どこまで自分の過去の詳細をシェアする必要が自分の執筆のそもそもの目的に叶っているのか、悩んでいる時に出会ったのが水村美苗著「日本語の亡びる時ー英語の世紀の中で」。ブータンからLAに帰るまでの道中で3分の2を読み、帰ってから時差ぼけ解消しながら熟読した。この本は私がなぜ、何を、何のために、どのように書くのか、自問自答する糸口をくれているような気がする。 「日本語の亡びる時」で一番開眼だったのは、何語のどんな語彙で書いても客観的事実は同じと言う自然科学が在る一方、言語や言葉の選択で視点もストーリーも結論も変わってしまう文学がある、と言う事実。著者はさらに、「文学でしか明らかにできない真実がある」とした上で、世界には通用しにくいけれども日本語文化は推奨するべきだし、さらには世界的な弱小言語の庇護・援助を援護するべきだと言う論点で「日本語の亡びる時」を書いている。私は日本語は非常に美しい言語だと思っている。13歳以降の在米にも関わらず日本語の読み書き・会話が問題なくできるべく、誇りをもって努力をしているので、例えば日本に明治維新以来現在に至るまで「英語公用語論」が在ると言うことをこの本を読むまで知らなかった。そして言語の優勢・劣勢の背景に政治・国勢が大きく影響していることを何となく感知はしていながら、例えばインターネットなどのテクノロジーが近代いかに英語の支配を巨大化しているかと言うことにも、考えが至っていなかった。 私がスクリャービンの作品42-5に今取りつかれているもう一つの理由。 夏以降ずっと旅行と本番が続いた。いつも次の旅行まで、次の本番まで、と飛び石を一つずつ飛んでいくような感じでこなしていた。規則正しい生活は、時差ぼけや、飛行機の発着時間の合間には無理だ。 家に帰ると衝動に駆られるまま一日中、わき見もせずにコンピューターに向かって執筆したりする。あるいは体が急に休憩を要求して来たりする。腰に鈍痛が残り座っても立っても違和感が走り、結局寝っ転がった姿勢で一日中本を読みふけったりする。そしてそうしている間にも次の旅行、次の本番がメールや登録や広報や打ち合わせや、色々な事務的要求を送ってくる。そうこうしていると、また次の旅行・次の本番で、腰の鈍痛などと言っていられなくなる。請求書・領収書・郵便物・手洗いの洗濯物が、頭の中の思い出と共に、整理されないまま山積みになっていく。 それが急に終わったのだ。この最後のバンコク・ブータン・中国の旅から帰って来たのが10月25日(金)の夜11時。その翌日の午後3時からと、そして翌々日の正午からの本番をこなして、これから数か月は急に旅行が無い。そう思ったら突然気が抜けてしまった。今日こそ溜まっていた整理整頓を始めようと毎日思うけれど、一日が終わってみると何も手を付けていない。唯一スクリャービンだけを暗譜して、そのほかGodowskyの左手のための「哀歌」とかラフマニノフの「哀歌」とかそういう曲ばかり弾いている自分が居る。そして書くことについて考え、参考になりそうなものを読み漁り、食べたい時に食べ、パジャマのままで自堕落な毎日を送っている。こういう自分はあまり好きでない。私は一生懸命ゴールに向かっている自分が好き。じゃあ、私の究極的な人生のゴールはなんなのか。 私が成し遂げたいことは、自分が成りたい自分になる、そして世の中のより多くの人がそれぞれ皆成りたい自分に成れる社会を提唱する、と言うこと。その為にはお互いへの尊厳と正直なコミュニケーションが取れる健康な人間関係が必須だと言うこと。優勢に立つ人間の独断と偏見の押しつけと、その結果の冒瀆は、健康な人間関係を根本的・社会的に脅かし、個人の自信と生産性と社会的貢献度を下げ、最終的に社会的損失になっていると言うこと。いかにこれが悲しいことか、と言うこと。 スクリャービンの曲は「暗い」「絶望」と言う感じもするけれど、逆に「焦燥感」「あふれ出てくるエネルギー」「大きな噴火が始まる前の不穏」と言う風にも取れる。私には言わなくてはこれ以上進めない事が、お腹の中でとぐろを巻いている。私は表現する運命なのだと思う。言わなくては居られない。面倒に感じることもある。忘れてしまいたい、無かったことにしてしまいたい時もある。でも言うと言う行為に関する思いががここまで大きく自分の意識を占めていると言う事はやはり言わなくてはいけないんだと思う。 今まで、次の飛び石だけを見ながら進んできたけれど、急に遠くの山に視点を据えて山越えを始める感じ。ローマは一日にしてならず。これからの時間を大事に一日一日、一歩ずつ進歩していく。そして成りたい自分に成る。

執筆と選曲の原動力。 Read More »