March 2020

コロナ日記③:開店時間短縮

今朝のニュース。 イギリス・アイルランドとアメリカ間の行き来禁止発表 多くのレストランが宅配のみの営業 スーパーやWalmartの様なチェーン店が開店時間短縮 アパレル産業(Nike, Urban Outfitters、Lulu Lemonなど)が閉店か、数時間営業 昨日と同じルートで近所のスーパー3軒をジョギングのついでに回ってみた。スタバは相変わらずの賑わい。パニック買いはかなり下火になっている。レジの行列もほぼ正常通り。パスタや缶詰の棚に空白は見られるが、週末なのに品物が増えている感がある。皆頑張っているんだなあ。 行きつけのトレジョの入り口にも開店時間短縮の張り紙が(いつもは8時~9時営業) パンやイモやバナナなど、かなり品物が増えている。お店の中のお客さんもずっと少ないし、カート一杯のパニック買いがあまり見られない。 スマホで上の写真を撮っていたら店員に「店内の撮影は禁止になっています。」と静かに注意される。ハッと恥ずかしくなる。レポーター気取りで空の棚をブログやSNSに挙げていたけれど、確かに不必要にパニックをより煽る行為だったかも知れない。多いに反省。 トレジョは倫理的な経営方針でも有名なスーパー・チェーン。コロナウィルスが出て最初に「病気の人が賃金のために無理に出勤する事の無いよう、病欠する人の時給を保証する」と発表した。時給や保障も他のスーパーに比べてずっと良いらしい。そのせいか店員がいつもにこにこして友好的。 「随分と落ち着きましたね。金曜日に来た時は凄かったけれど...」とレジで話しかけてみる。 「そうなんです、金曜日は店の歴史上2番目に最悪の混雑でした...」 「え~!?じゃあ歴史最悪の混雑は?(感謝祭とかクリスマスかな?)」 「(「それは勿論!」と言う感じで)木曜日です!」 2人で笑い合う。今日は他人の唾がそこまで気にならない。気にするべきかもしれない...でも笑い合うことでずいぶん気持ちが晴れる。 昨夜は数人の友達と呑んで大いに笑い合った。久しぶりに羽目を外して御前様。ビール・マルガリータ・マルティーニと呑み進み、呂律が回らないなりに物凄く熱く語りあった。良い憂さ晴らしになった。コロナの事を久しぶりに忘れたひと時だった。安全面では咎められるかも知れないけれど、私には必要なひと時だった。友情に感謝。考えてもどうしようもないことに、エネルギーを使い続けるのはやめる。 前向きに。前向きに。

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大統領がついに国家非常事態宣言

コロナウィルスの感染を避けるためジムのメンバーシップを一時停止しようとして、昨日やけに戸惑った。ジムのホームページの右手に一時停止のボタンが在るはずなのだが、無いのである。悪戦苦闘してホームページの色々なページを眺めるが「メンバーシップ一時停止」の選択肢が見当たらない。20分後に業を煮やしてついにカスタマーセンターに電話したら、すんなり話しが通じた。忙しそうな早口で一刻も早く電話を切りたそうな電話窓口担当の女性にちょっと聞いてみた。 「あるはずの『メンバーシップ一時停止』のアイコンがHPに見当たらないのですが、管理者が取り外してしまったのでしょうか?」 「私には分かりかねます。マネージャーにおつなぎしましょうか?」 「それには及びません。『一時停止』の電話はいつもより多いですか?」 「(ため息交じり。)...はい...」 今朝は雨も上がったし、ジムの代わりにジョギングで一回りしてみた。土曜日の8時台。いつもならジムが一番混んでいる時期。興味を持って覗いてみたら... 興味があったので近くのスーパーとドラッグストアを回ってみた。 私たちが良く行く「トレーダージョーズ」と言うスーパーでは、店内の人数をコントロールするため外に行列ができていた。店員が、店から出てきた人数だけ入る事を許すのを、人がカートと共にずらっと並んで待っている。中に入ると... まだ8時台である。この店は8時に開店する。開店前にいつも商品がきれいに棚に並ぶ。その為に店員たちは6時から働いているのである。 他の店もほぼ同じような状態だった。乾麺とか缶詰とか、そういう保存が効くものがなくなっている。昨日韓国系のスーパーに行ったら、米は残り僅かの一袋がやっとゲットでき、欲しかったキムチは完全に売り切れ。そして納豆は普段の二倍くらいの値段が付いていた。(買わなかった)。カリフォルニア州では、異常事態に於いて、普段の定価の10%以上の値上げは違法である。でもそんなことよりも需要と供給の法則の方が強いのか? 皆、何を恐れているんだろう。感染ではない気がする。ジムに人がいないのは感染をさけてだとは思うが、カフェやコーヒー店にはいつもと同じか、それ以上の人がいる。 もしかして皆が恐れているのはコロナウィルスの影響による非常な値段高騰とか、インフレとか?それともいつも考えなくこなしている日常のルーティーンを壊されて、家族や友人や自分の本心と向き合うのが怖いから、取り合えずマスヒステリアに便乗して自己直面を避けているのか? 昨日の夜、トランプ大統領がついに国家非常事態宣言をした。それと前後してアップルが中国以外のアップルストアを全て予告なしに閉店してしまった。修理に自分のコンピューターを預けてある人はどうするんだろう? 人の事を「自己直面を避けているのか?」とか偉そうに観察しているようなことを書きながら、実はそれは自分かも知れない。こういう時こそ練習を...と思う自分がいる一方、昨日は久しぶりに一度もピアノに触らなかった。自分が浮足立っている。自分は何をしたいのか?何をするべきなのか?今日・明日・この非常事態が終わるまで・そしてこの人生に於いて...う~~~~~~ん。

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Covid-19非常事態:アメリカ

昨日の午後US-Japan Leadership Programでコロナウィルス勉強会が在る。日米の医療関係者、国際機関の専門家、経済専門家、行政関連の人などが、色々な視点から見解を述べてくれる。 将来の見通しの不透明さにいささか不安になり、(パニック買いはしない!)と心に誓っていたにも関わらず今朝、近所のスーパーに出かけてみる。珍しく雨が降っているし、朝一なら空いているかな...と言う希望的観測は甘すぎた。すでにカートが無い!更に、開店から一時間と経っていない時間ですでに品切れ・空っぽの棚が多数ある。(主に乾麺、穀物、冷凍野菜など)そして皆がカートに詰め込んでいる量が半端でない! 周りの人のカートを見ると、その人の食生活に於ける優先順位が分かって中々面白い。甘い物ばかり買っている人も居る。野菜ばかりの人も居る。やはりバランスと言うのは難しい。こんな観察ができるのも、レジが長蛇の列だから。一時間くらい待ったかもしれない。「昨日の夜も来たんだけど、もう棚に品物はナイは、レジへの列は今よりひどいわで、何も買わずに帰っちゃった。今朝はまだましだけど、それでも世の終焉と言う感じだね。」と前のおじさんが親し気に声をかけてくる。「せいぜい2週間分の食料が在れば良いのに、皆何を考えているんだろうね...」普段なら楽し気なおじさんだなあ、と好意を抱くのだろうが、今日はこのおじさんが私に口を寄せてくるのがなんだか気になる。唾掛けないで~。 私の向こう2か月の演奏会は大かたキャンセルになってしまった。準備にかけた時間などを尊重して少額でも善意の支払いを申し出てくれたのはわずか一件。でも主催者側の損失を思うと、強くは言えない。それぞれの州・行政区画によって異なるが集会の規模の人数制限などの発表が次々とおこなわれている。50人以上は駄目、から500人以上は駄目まで、今の所様々だが、これからもっと厳しくなるだろう。 ロサンジェルスの公共図書館は数時間前に今月いっぱい全ての図書館閉鎖を宣言。 演奏会はストリーミングで公開するところが今の所多い。ベルリンフィルやメトロポリタンオペラも始めた。が、音楽家が集まって演奏するのも危険=禁止となるのはいつか?世界の有名な美術館・博物館がヴァ―チュアルツアーをオンライン公開している。こちらは一度作られたヴィデオを配信するのは機械なのでいつまでもOK. 学校もオンラインでの授業配信が今ではほとんど。ハーヴァードを始めとする多数の有名大学が、寮から生徒を追い出してニュースになっている。「寮は客船と同じく、病原菌が広まりやすい」と学校側は主張するが、経済的な理由や国境閉鎖などで家に帰れない留学生も多い。何せ一週間以内に出ろ、と急に言われるのだ。私が卒業したコルバーンも3月11日に、3月17日までに学校を完全閉鎖し、在校生を全て寮から出すと発表した。コルバーンの様な音楽学校は生徒の半数以上が留学生で、しかも練習用の楽器を個人的に所有していない人が多い。みんなどうするんだろう。可哀想に。胸が詰まる。 幼稚園や小・中・高も学校閉鎖が多い。だが、貧富の差が著しいアメリカでは、学校は知識だけを授けるところではない。例えばNY州で120万人いる高校生以下の子供の内、11万4千人がホームレスなのだそうだ。学校を閉鎖したらこの子たちは給食が食べられなくなる。 こういう子たちは、学校で洗濯までするそうなのだ。 しかもこの子たちが通学しなくなったら、親たち—特に片親家庭のシングルペアレント—は働きに行けなくなってしまう。学校はまさに命綱。ということで、授業を停止にしても、学校を開放している地域が出始めた。ここでは給食は普通にでるし、子供の安全は保障されるので、親は安心して働き続けられる。 ...が、すでに解雇の波が押し寄せてきている。スポーツイベントも学会・総会なども全てキャンセル。と言うことは旅行産業、飲食産業、その他全ての産業に経済的ダメージが多大だということ。しかもアメリカ人は文化的に非常時のための蓄えが特徴的に少ない。収入が停止して一か月以内に家賃や住宅ローン・クレジットカードが払えなくなる人が増大することは2018年の暮れから2019年の1月半ばまで続いた政府閉鎖の時にすでに証明された。食うや食わずの人口が倍増する。コロナウィルスの影響はいつまで続くのか... 私個人で言うと...「今しか出来ないことをしよう!」「これを好機と練習しよう!」「読書と執筆に励もう!」「自己鍛錬をしよう!」...と言うスローガンみたいなものが頭の中にはあるのだけれど、正直なところは実際やはり気が抜ける。何となく倦怠感。(え。。。この腑抜け具合はコロナ!?)と不安になったりもする。そんな時、私は本当に人に恵まれている。野の君とがっつりモンゴリアンバーベキューの食べ放題を食べた。ニンニクとショウガたっぷり、野菜たっぷりお肉たっぷり。野の君は色々大笑いさせてくれる。大笑いと大食いで元気もりもりになる。そして午後は、普段は忙しくて中々ゆっくりしゃべれない音楽仲間と、「芸術と娯楽の違い」とか「聴き手を意識して音楽造りをするのが本当か邪道か?」みたいな、大学生の様な話題でケーキと紅茶で熱く語り合って沢山やる気と考える種を交換する。 一日一歩。出来ることに集中する。健康維持と、周りへの思いやりを大事に。 以上、南カリフォルニアからでした。

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書評:路上のソリスト

スティーヴロペズ著、入江真佐子翻訳、路上のソリスト(2009) 私は原文で読みました。 スティーブロペズはロサンジェルスタイムズのコラムニストです。取材中に2本しか弦の無いヴァイオリンを奏でるホームレス男性を見つけ、コラムに書きます。反響の大きさに何度もこのホームレス男性ーナサニエルと言う分裂症を患う黒人男性ーについて書いているうちに、二人は友情を培います。そしてこの本が出版され、ついには映画にまでなります。 この本の背景にはアメリカの貧富の差とその結果ともいえるホームレスが大きな社会問題だということがあります。さらに、アメリカで人口2位のロサンジェルスの都市中心部から歩いていける距離にホームレス中心部であるスキッドロウがあり、そこを中心にロサンジェルスのホームレス人口がアメリカの中でも抜きんでていることもあります。ホームレス問題の背景には、退役軍人・精神疾患・不動産の値段高騰・健康保険の不完備など、様々な問題が複雑に絡み合います。2019年LA行政区画内のホームレス人口は5万8千を超え、前年より12~16%の増量となっています。 この本で私が一番感心したのは、著者が複雑な問題を簡略化せずに、正直に向き合おうをしている姿勢です。例えば著者とナサニエルは友情を培っていくのですが、この友情は一筋縄でいくものではもちろんありません。ナサニエルはその精神疾患もあって、普通の会話や論理が通じない事も多く、著者はしばしイラついたり、切れたりします。著者のコネやコラムの反響を利用して、ナサニエルのためにホームレス専用のアパートを優先的に融通してもらってもナサニエルはそこに入りたがりません。。そういう一進一退を繰り返しながら、著者は自分がやっていることの意義や効果について常に自問自答を続けます。まだ幼い子供がいる自分の家族との時間を犠牲にしてやるべきことか?誰のためにやっているのか? 著者の正直さに私が一番感動した場面は24章目にあります。このコラムの反響もあり、行政がホームレス問題に注目を始めます。Midnight Missionと言う有名なホームレスシェルターで開かれたイベントでは、何百万ドルと言う予算を使ったホームレス解決案が発表されます。ニュース報道陣が集まる大きな会場で、著者は色々な人に握手を求められ、コラムの御礼を言われます。その中で一人の参加者が著者を詰問します。「ホームレスを利用していくら儲けているんだ?」著者は怒りに震えながら、自分の怒りの背景にはこの糾弾者の言い分に正当性が在る事を認めざるを得ないからだ、と書きます。自分はナサニエルとの個人的な友情までをもジャーナリストとして売り物にしているのか?売り物にせずにナサニエルについて書くことは可能なのか?自分の利益になろうがなるまいが、ナサニエルの事を書くことで公共やナサニエル自身のために少しでもなるのであれば、自分の書き物の倫理的正当化は可能なのではないのか? 他の書き手も私と同じように悩んでいるんだ…私はこの文章を読んで、胸が詰まると同時に安心もしました。著者の勇気に感謝しています。 原文の副題は ”A Lost Dream, an Unlikely Friendship, and the Redemptive Power of Music(失われた夢、珍しい友情、そして音楽による贖罪)”です。この本で私が気に入らない全てがこの「Redemptive(贖罪)」と言葉に反映できるのではないか。本文で著者は、ナサニエルが無心に音楽を奏で続ける様子を描写しながら、自分よりもこのホームレス音楽家の方が幸せなのではないか、と自問します。社会の常識や価値観や同調圧力に踊らされて、情熱を感じることも無く一生を終える「健常者」よりも、こうして正直に自分の情熱を全うするナサニエルの方が人間的なのではないか…しかし、副題に「贖罪」と言う言葉を入れてしまうことで、こういう答えの出ない問いかけが全て整理整頓されて無くなってしまう。そして残念な事に、この本のハリウッド映画化はさらにこの傾向を助長しています。 この映画の売り上げは制作費用の半分にとどまりました。成功の代償には、すでに受け入れられている視点・物語に、自分の主張をはめ込まざるを得なくなることが在るのかも知れません。でも、そこで生じてしまうウソが、最終的に失敗に繋がってしまう。ロペズが最終的にこの物語で手にした物はなんなのか?この話しはホームレスの実態解明にどれだけ役立ち、実際の問題解決の役にたったのか?

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