February 2020

書評:「人を動かす」(1936)

デール・カーネギー著「人を動かす」 「How to Win Friends and Influence People(1936)」 by Dale Carnegie 私はこの本を原文(英語)のオーディオブックで聞きました。 この本の存在は多分高校生くらいの時から何となく聞き知っていました。が、今読もうと思った理由はいくつかあります。 自分が「ハウツー本を書こう」と思い今その手の本を読み漁っている。 ニューヨーク公共図書館が創立125周年記念の一環として、創立以来一番貸し出しが多かった本トップ10を発表した際、この本が8位に入っていた。 2011年にタイム誌が発表した影響力のある本トップ100の19位に入っていた。 1936年に書かれたハウツー本が今でも影響力がある、と言うのは凄い。私はハウツー本と言うのは小説や哲学書に比べて普遍性が薄いと思っていました。それが今でも買われ続け、読み続けられているというのは、ちょっと空恐ろしい。 書かれている教訓と言うのは実に基本的な事です。「相手の立場を思いやる」「負けるが勝ち」「聞き上手になる」など万国共通の常識も、「常に笑顔」「相手の名前を連呼する」「どんなに小さな上達でも毎回手放しに誉める」などアメリカに特有な文化的なものもあります。このページで非常に読みやすい形に上手にまとめられています。 そしてこういう教訓を印象付けるために(教訓の一つは「論点を劇的に演出しろ」)ベンジャミン・フランクリンやリンカーンの武勇伝や外交手腕、さらに著者の受講生や友人、家族の逸話などが織り交ざります。 この本は私にとっては好ましいものではありませんでした。「胸糞が悪い」と言ってしまっても良いかも知れません。要するに、どうやって人に対応すれば最終的に自分の目的を達成できるか、と言う本だからです。 しかし、これも最近始めたことなのですが、読書後にその本の背景に関する情報や他の方の書評を読むことで、また新たな視点を得ることが出来ました。 この本は1929年の世界大恐慌の7年後に出版されています。不景気の余波で、この年のアメリカの失業率は16.9%。この本に「危うく首になるところだったがこのテクニックを使ってボスに気に入られた」とか、「このテクニックを使った何々さんは売上高が急上昇した」と言う逸話が多いのは、要するに出版当初の読者は背水の陣でこの本で学んだ教訓を実践していたのです。更にこの本がそういう不景気の中で爆発的に売れた理由、そして今でも売れている理由は、この本が時勢問題に全く触れず、「どんな状況下でもすべては自分次第」と言う視点から論点を展開し続ける、と言う点です。自分が変われば周りも変わる。自分が努力をすれば自分の人生は変わる、と言う論点です。それは他の方の書評を読んで、初めて気が付きました。 ただ懸念されるのは、その後もこの本が読まれ続けたことです。16の時からの私のホームステー先で、今では私の「アメリカの両親」の老夫婦はお父さんが1924年生まれ、お母さんが1935年生まれでした。この二人がこの本を読んだことが在るかどうかは知りませんが、この二人の人への接し方には、明らかにこの本の影響が感じられます。要するにこの本はアメリカの社交文化に多大なる影響を与えていると言って過言ではないと思います。そしてそれが、アメリカ人の愛想よさ、不必要なまでの友好性、表面的な会話などの根源にあるのでは、と思います。 この本はアメリカ文化背景や、アメリカ特有の会話術などを学ぶためには、非常に有効な本だと思います。が、個人的には、次に書評を書く「7つの習慣」の方がより好ましく、素直に読め、学ぶポイントも多かったです。

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書評「心で弾くピアノ:音楽による自己発見」

セイモアバーンスタイン著 出版年:1981 出版社:音楽之友社 (私は原文を読みました) 実体験に基づく教訓をつづった回想録として書いてきていた本の枠組みをもっと直接的なハウツー本にすることに決めてから、お手本になりそうな本を読み漁っている。この本はピアノ奏法に自己考察・倫理・人生観などを投影させるという意味で、私の本の一側面と趣旨を同じくしている。色々参考になった。 著者の文章力には舌を巻く。言葉が的を得ていて無駄が無い。文章にリズムがあり、次へ次へと誘われるように読みやすい。そして本の構築が分かりやすく、理にかなっている。ハウツー本は通常、事実・情報とそれをストーリー化した例が交互にくる形で書かれる。この本はどちらかと言うとストーリーに重点が来ていたが、情報・事実と例との移行がさりげなく、バランスが良い印象を与えた。(実際には、私に言わせると情報がもっとあった方が良かった。) この本で、美しい文章に懐疑的になっている自分を発見した。例えば自分と生徒と関係の発展性について書くとき、美しい文章作成を優先するあまり、事実や信念が脚色されていることは無いか、と思ってしまうのだ。ハウツー本の落とし穴発見!気を付けようと思った。 そう思ってしまったのには他にも理由がある。この本の主張は主に著者の信念・過去の恩師や同業者へのインタビューや会話、そして生徒とのやり取りなどに基づいていて、科学的や史実的な検証は少ない。心理学については少し触れられている(が、ユングの集団心理学など。)し、歴史についても全く言及しないわけではない(古代ギリシャが出てくるが、音楽史はほとんど出てこない)。そして脳に関する言及が2か所ある。が、簡単にグーグル検索したところ、どうやら脳の右左を間違えているようなのだ。更に、著者の主張の裏付けと言う意味でも、読者のためにも、脳の部位の名称や右左は、全く不必要だったのだ。よく考えると、ここで脳の部位の名称が出てきたのは要するに、著者が自分の権威を設立するためだけだったのだ。これはハウツー本の落とし穴その②!! 気を付けよう! 不必要に批判的にこの本を読んでいるのは、私がこの本を書き方教室と捉えているからだ。この本はとても良く書かれていると思うし、著者はこの本を善意を持って書いていると思う。大体ピアノ演奏を啓蒙への道として捉えた本が1980年代に注目を浴びた事実には勇気づけられる。さらに、この著者に関するドキュメンタリーが2015年に注目されている。「シーモアさんと大人のための人生入門」 私もこの本から実際役立つ情報もいくつかゲットした。例えば腕の重みを上手く奏法に取り入れるために、手首の周りに重りをつけて練習するというアイディア。やってみて開眼(7章目)。それから一つの関節(例えば手首)を自由に楽に使うためには他の関節(例えば肘、肩)が固定されていないといけない、と言う事実は言われてみて初めて納得した(5章目)。それから息を意識的に使って感情や感性を高める(4章目)-これは心身心理療法と言う私が初めて知った心理療法から来ていて、やってみて非常に感じ入った。 この本は一日で読み切る必要があり、斜め読みした部分も多いが、翌朝の練習は非常に充実した、発見の多い物だった。こういう本を10代で読めていたら非常に救われたのでは、と思う一方、10代の時には絶対読まなかった類の本だ、とも思う。じゃあ、私のハウツー本を10代に読みたいと思わせるためにはどうすれば良いのか?イメージ戦略?SNSマーケティング? 取り合えずダイエット中。3キロやせた。体脂肪は現在19.5%~20%。やはり痩せるとすっきりする・目が大きくなる。

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「時を刻む」ことの意味・無意味。

時間の感覚は主観的です。「時間の芸術」と言われる音楽の醍醐味の多くはそこにある。でもメトロノームの商品化で、音楽の速度を定量化するという概念が広まりました。メトロノームの弊害はそのまま産業革命がもたらした価値観の社会的弊害の象徴として語れるのでは?今朝練習しながらふと、そんな壮大な考えが頭に浮かんでしまいました。 時間の感覚が主観的なのは、過去は記憶、将来は想像、そして現在は瞬間的かつ感覚的だからです。印象が強い体験をした時間は長く感じる。逆に退屈な時間は記憶には残らないでしょう。音楽で言えば、2分間しか無い曲の最後の音が消え入るのを聞き入るとき、あたかも旅から帰ってきたような、夢から覚めるような感覚を味わうこともあれば、30分の曲を固唾をのむように聞き入ってまるで一瞬の出来事だったような気がするときもあります。 ホールの音響でも、テンポの感覚は変わります。残響の多いホールでは、速いパッセージは音が濁って「速い」ではなく「聞こえにくい・分からない=記憶に残らない」になりがち。なので、かみ砕くように弾かなくてはいけません。逆に残響が少ないホールでは、リズムが非常に重要です。奏者も聴衆も一体になって乗れるリズムと言うのは、奏者の弾ける一番速いテンポでは、概してありません。なんにせよ、音楽に於いて大事なのはBPM(Beats Per Minute=一秒間に何拍あるか=メトロノームの単位)ではない、と言うことです。大事なのは、メロディーの流れ、リズムの躍動感、曲の構築、感動、そして最終的に何が記憶に残るか、です。 私は音楽は人生だと思っているので、飛躍に思えるかもしれませんが、ここで一つ大きな表明をさせてください。 長寿は目的ではない。 BPMが奏者の目標であってはならない様に、私に言わせれば長寿は人生のゴールであるべきではない。大事なのは、我を忘れる没頭ができる瞬間。微笑んだり笑ったりしながら浸れる思い出をいかに多く周りの人と共有できるか。自分の創作・発信。そう言った事ではないでしょうか?人生で大事なのは計測できるものではない。音楽・創造性・共感・愛情...私が、自分の音楽人生を賭けて世に訴えようとしているのは、そういう価値観の転換です。

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怠けたい脳と挑戦したい心:現代曲で開眼。

音楽と雑音の違いは何でしょう? 脳神経科学的に言うと、音楽と雑音の違いは脳がパターンを認識できるか否か、だそうです。 .(私も最近知りました。) じゃあ、これは音楽?ノイズ? 今挑戦している、ジョリヴェの「リノスの歌」と言う曲です。4月上旬に演奏予定です。ジョリヴェは超困難、と言うのは巷の評判です。「何度練習中に楽譜を床にたたきつけたことか…」と告白したのは、私の同僚のピアニスト。普段は優雅でおっとり。その彼女までを怒り狂わせるジョリヴェ。 何が譜読みを難しくさせるのか。大きく分けて二つあります。①技術的に弾くのが難しい(例えば非常に速いとか、跳躍が続く、など)②パターン認識が難しい。ジョリヴェは②です。技術的にも難しいのですが(手にはまらない)、今日のブログでは②の問題に集中しましょう。 楽譜を読みながら何度も何度も繰り返して練習しているピアニストですらパターン認識が難しい曲は、聴衆に一回聞いただけでパターンを認識して音楽として楽しんでもらうのは不可能なのでは?それでは私が今この曲を練習している意義は何なのだろう?...そんな邪念が浮かんでくるので、ますます譜読みが遅遅として進みません。 (楽譜の中になんとかパターンを見つけて、出来るだけ短時間で効率よくジョリヴェの譜読みをやっつけよう!) と、焦れば焦るほど、空回りしてむなしく時間だけ過ぎていきます。 ...ところが、そこでハッと思い当たったのです。 現代音楽とか、現代アートと言うのは、既存の常識や固定観念を破壊することで、新しい世界観・感覚・意思疎通を試みる、と言うのがその存在意義の一つです。現実をパターン化する事で安心する脳みそに、敢えて抗うんですね。そうしたくなるモチベーションはどこから来るのか?向上心?野心?アーティストのエゴ?出どころは全て「心」の様な気がします。 「脳みそ」 vs. 「心」 ジョリヴェさんがこの音の組み合わせでしか表現できないと思ったものはなんだったのか?そこに「美」を見つけてみよう。そう思って練習を再開。すると全く違う音楽体験が生まれてきたのです。 「パターンを解する」のではなく、「パターンを見出す」、そしてジョリヴェの書いた楽譜の上に自分の音楽を「創り出す」。「仕事」ではなく、「芸術」ー 「創造の過程」。 既存のパターンに全てをはめ込もうとする、と言うことは例えば個人をステレオタイプに無理やりはめ込む、と言う心無さにつながります。効率化は、ある程度は必要です。日常行為の全てを毎回「芸術=創造の過程」と捉えていたら、何にも進まなくなってしまう。でも、逆に全てを効率化しようとすると、そこには心無さが出てきてしまう。Diversity and Inclusionの新しい価値観の現代、柔軟な世界観には、現代アートのチャレンジが必要なのでは? あくまでバランス。 練習してると、色々な事を考えます。

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