明鏡日記③ 米政府アルメニア人大量虐殺をジェノサイド認定。

今日ホワイトハウスから、バイデン政権が第一次世界大戦中のオスマン帝国によるアルメニア人の大量虐殺を「ジェノサイド」と認定するという発表がありました。毎年4月24日は100万~150万人と言われる犠牲者に対してトルコ政府に責任表明を求める「アルメニア・ジェノサイド追悼記念日(Armenian Genocide Remembrance Day)」です。去年のこの日、選挙運動中だったバイデンは、「大統領に選ばれたら2021年のこの日にアルメニア人大量虐殺をジェノサイド認定と表明をする」と宣言していました。そしてトルコとの外交関係を危ぶむ声を押し切って、今年この約束を守ったわけです。

「一体いつまでそんな昔の話しを蒸し返せば気が済むの?」

「過去に起きた事はもう取り返しがつかない。忘れなさい。」

そんなことを言われたことがある人は、案外多いのではないでしょうか?自分にそう言い聞かせて来た人も沢山いると思います。子供時代に親や先生に受けた仕打ち。同級生からのいじめ。先輩や上司からのパワハラ。セクハラ。レイプ。そして今、ジェノサイド。

このバイデン政権のジェノサイド認定はそれでは一体どういう意味があるのでしょうか? そしてアルメニア人たちはなぜ100年以上経った今でも4月24日に毎年世界各地で集会を開き、トルコ政府に責任表明を求め続けて来たのでしょうか?

「歴史は勝者によって書かれる(History is written by the victors.)という言葉が在ります。歴史は物語です。物語は単純化が必須です。しかし現実は複雑です。一つの出来事や現象も、立場や見方が違えば全く違った物語になります。にもかかわらず、強者が弱者に対して「私が見る事実がこうなのだから、それと異なるお前の主張は間違っている」とするのが、ガスライティングです。そして歴史なんて大それたことを言わなくても、家庭でも学校でも職場でも社会でも日常的に、多数派は少数派に対し、力や富や名声を持つ人は持たない人に対し、「お前の見解は私の見解よりも価値が無い。記録・記憶に及ばない。」とします。

しかし実際には多くの場合、「お前の見解は私の見解に比べて価値が無い」とする人には、相手の見解を否定したり、事実隠蔽をする動機があります。例えばアメリカの歴史の授業で私は「広島と長崎の原爆投下は第二次世界大戦に決着を受け、犠牲者の数を最小限に抑えるために有効な英雄的作戦であった」と教わり、びっくりしました。1945年の投下の時点で破壊力未知数だった新兵器を、非武装市民が集まる都市部をわざわざ狙って三日という非情な短期間に2回投下した非人道と国際法違反が『有効な英雄的作戦』!?...と。原爆の影響で1945年末までに亡くなった犠牲者は20万人に及ぶそうです。しかしアメリカ政府は、被爆状況の報道を建物や航空映像などの非人間的なイメージに限定し、人的被害の報道は封じようと努力しました。内外に対して原爆投下を正当化する必要性が在ったからです。何十万人もの被害者たちの苦渋と後遺症は、アメリカの国内外に向けての戦後のイメージ戦略に比べて価値が無かったのです。

人も政府も、自分を善人だと信じていたい、周りの人にも思ってもらいたいという、強い動機が在ります。でもこの動機に突き動かされて他の人の痛みをないがしろにする時、私たちは決定的な間違えを犯しているのだと思います。人間には良心と罪悪感と、相手に自分を重ね合わせてみるという特性があります。相手の痛みを自分の都合の為になかったことにする時、私たちはいつか周りに自分の痛みもなかったことにされるであろうという恐怖心と人間不信を抱え込むことになります。人間性の劣化です。

もう一つ、過去の過ちの責任追及の理由には、傾向・前例を作る必要性というものがあります。ヒットラーはユダヤ人抹殺を提唱した時、外国からの批判を懸念した部下たちに「誰がアルメニア人たちを覚えている?」と言ったそうです。人間は常に学習しています。逆に良い前例は方向転換のきっかけを作れます。一度拍車がかかったら同じ方向で物事を進めていくのがどんどん簡単になります。共感と共存の方向にもっと進めたい—それが結局人間性だと思います。問題は相手を共存する同類、共感する対象として観れるか、という事です。人間みな兄弟は、きれいごとではなく人類存続がかかっている問題です。運命共同体なんですから。

責任追及は、加害者をあくまで人間扱いする、勇気ある行為だと思います。まず、自分の見解を検証と記録に値する公明正大な物に昇格します。そして相手が自分に対して行った非人間的な態度・行為に対して謝罪する機会を与え、自分と相手を同等の立場にする訳です。だから100年以上経ってしまった今でも、このバイデン政権のアルメニア人大虐殺に対するジェノサイド認定に、私は拍手喝采を送ります。

4 thoughts on “明鏡日記③ 米政府アルメニア人大量虐殺をジェノサイド認定。”

  1. 小川 久男

    お疲れ様です。

    この記事によってバイデン政権の人権に対する態度が明確になりました。
    バイデン政権は、ダイバーシティへ向かって一歩前進するように感じました。
    さはさりながら、人品骨柄の見極めは重要だと思いました。

    前回の文章は内容が深いので時間をかけて読みます。

    小川久男

    1. バイデンは閣僚の人選でもダイバーシティを前押ししています。
      アジア人ヘイトクライム対策のリーダーに任命されたのは、エリカ・モリツグという日系アメリカ人女性です。

      ダイバーシティは非常に重要かつ性急な問題だと私は考えています。
      マキコ

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