本当の友好、と言う事。


明日、Korean-American Society of Houston主催のイベントで演奏する。
私にはおこがましいほど大志が色々あるのだが、
その一つは自分の音楽活動を通じて国際親善の様な事が出来たら、と言う夢である。
例えば私に向かって「ハイル・ヒットラー」と嫌味を言ってくるような
ネオ・ナチスのはびこるドイツの田舎町でリサイタルを演奏した時。
アジア人が珍しいらしく、街行く全ての人に振り返って見られているような
ポーランドの小さな町のオーケストラと共演した時。
「音楽は世界の共通語」と、
肌の色が違う自分が、彼らと同じ音楽に情熱を抱き、人生を賭けていることを
見てもらえることに意義を感じた。
でも、自分では気が付かなかった自分の活動の象徴性と言うのを、
お客様に気が付かせていただいた事がある。
タングルウッド音楽祭でメンデルスゾーンの三重奏を演奏した時の事。
中国人のヴァイオリニストと韓国人のチェリストと私のトリオは、
タングルウッドが勝手に組んだ組み合わせ。
顔合わせから数週間で私たちは演奏を披露すると言うスケジュールで、
私は、私よりも年少の弦奏者たちを叱責しながらリハーサルを仕切って
準備不足にやきもきしながら本番に臨んだ。
クラシック業界にアジア人は多い。
韓国人や中国人と共演することは日常的だし、
そんなことよりも少しでも良い演奏を披露する事だけに集中していた。
そしたら演奏後に、お客様の一人にこう挨拶されたのです。
「世界はゆっくりでも少しずつ進歩をしているのですね」
意味が分からなかった私にその白人男性は続けた。
「あんな戦争を経た60年後にその子孫たちがこうやって音楽を奏で合うなんて」
物凄く感じ入った一瞬だった。
ちょっと位演奏の質を妥協しても、
「交流」と言う共演の側面をもっと大事にするべきだったのでは?
私はくそ真面目な人間だ。
準備不足でリハーサルに臨まれたりすると、短気になってしまう。
でも、音楽人生と言う特権的な毎日を送らせて頂いている私が
そんなせせこましい事を言っていたら、本末転倒なのかも知れない。
明日演奏するヒューストン韓国人会の演奏会。
話しが来たのはほぼ2か月前。
タングルウッドの一件が在って以来、
「アジア人奏者のコラボでイベントやシリーズをやりたい!」と思っていた私は
(運命!?きっかけ!?)と食らいついた。
しかし、今回の責任者のヴァイオリニストは連絡が非常に取りづらく、
何度メールしても「アジア人コラボ」のプロジェクト・ヴィジョンの話し合いどころか
演目の楽譜さえ、やっと送られて来たのが約一週間前。
この頃には私は業を煮やして、匙を投げかけていた。
そんな私の態度を反映してか、
それとも相手がその日の午後にヒューストンに到着して疲れていたのか、
昨夜のリハーサルは「雇われ伴奏」に近い、
交わす言葉は必要事項だけ、という感じの味気ない、ドライな物だった。
私もハードな一日で疲れていたし、
それに約束されている印ばかりの「謝礼」は
キャンセルせざるを得ないレッスンと差し引くと赤字になるくらいスズメの涙。
それなのに、この態度は何だ!…そんな気持ちもあったことは否めない。
このイベントは屋外コンサートのため、雨天の場合は中止になる。
雨ごいダンスを激しく踊りたい、そんな気持ちだった。
でも、一日置いて、反省。
全てがうまく行っている時に友好的な態度でいるのは簡単だ。
本当に大変で、大切なのは、物事が大変な時にどういう態度を取るか。
演奏家は演奏だけが仕事なんじゃない。
音楽を人生に捧げると言う、象徴性のあるその選択を持って
出来るだけ沢山の方々に夢を持ってもらう、そういう仕事なんだ。
明日は出来るだけにこやかに、抱擁力を持って音楽を奏でよう。
楽しもう。
感謝しよう。
その日、そのイベント、その曲、その出会い、全てを満喫しよう。
明日の夜の降水確率は現在10パーセント以下。
決行となりそうです。頑張るぞ!
明日のイベントに関する詳細はこちら:
https://www.facebook.com/events/1013539648737642/1035608883197385/