毎朝、大体同じ時間に大体似たようなルートで野の君と二人でお散歩をしていると、同じ時間帯に同じ地区でお散歩をする人と顔なじみになってきます。その中に一組の姉弟が居ます。小さな犬を散歩しているのですが、二人共いつもこれ以上無いくらいイヤイヤ感を体中で表現して、トボトボと歩いています。姉と弟が声を交わしているのは一度見た事がなく、二人の間にはいつも最低1メートル、凄い時には3メートル以上の距離が在ります。大抵お姉さんが犬の鎖を引き、弟がその後ろをうつむきながら静かについていく感じです。二人共まだ10歳にはなっていないでしょう。
(この二人は余程朝が苦手なのだろうか。)(物凄く姉弟仲が悪いのだろうか。)
時々「Good morning」と声をかけてみますが、お姉さんの方がこちらを見てかすかにうなずいたり、時々ちょこっと右手を上げて見せてくれるくらいです。
ところが昨日の朝!私たちが通りかかったら、こちらが挨拶する前に向こうの方から手を振ってくれたのです!お姉さんだけでしたが、私と野の君はそれだけで物凄く嬉しくなってしまいました。
(何か良い事があったのだろうか?)(それとももしかしてすごくシャイだっただけで、段々私たちの存在に慣れて来たのか?)(一年の内に段々成長して来ていたのかな?)
“Everyone you meet is fighting a battle you know nothing about. Be kind. Always. (出会う全ての人があなたが知り得ない葛藤を秘めている。優しく接しよう。いつでも。”と言ったのは、63歳で自殺をし世界を驚かせた天才的コメディアンのロビン・ウィリアムズです。死後、認知症とそれに併発された鬱病を患っていたことが公開され、この言葉がより重みを増しました。
そうでは無いと切に願うけれども、「イヤイヤお散歩姉弟」がなんらかの不正や病や不平等の被害者でないという保証はありません。また世界の色々な所で極貧や戦争などが起こり、史上最悪の避難民数の今日、スーパーで物凄く不愛想なレジのお姉さんは、実は避難民かも知れない。実は家賃が払えないシングルマザーかも知れない。
ナチスを逃れてロサンジェルスに住んでいたトッホだって、本当の内情を何人が知っていたか...
傍から見れば、ナチス政権が勃発した直後にドイツを離れることに成功し、ハリウッド映画音楽を書き、南カリフォルニア大学で教え、ハンサムでもてはやされ、実に結構なご身分に見えたかもしれない。でも、60人以上いた従妹を出来る限りアメリカに移民させようと必死で駆けずり回り、しかしその間にも訃報は相次ぎ、渡米に成功した親戚を経済的にも生活面でも支援するためにお金が必要なのに、移民として足元を見られて正規の報酬よりずっと低い金額で仕事をする羽目になる。このやるせなさの中で、終戦後の1946年、私が今収録に向けて練習している作品68を書いたころには、療養が必要になるほどの鬱状態だったようです。
私は今は健康で幸せな、過去の虐待被害の体験者として、出来るだけ恕の精神で人に接し、音楽を発信していきたいと思います。
コロナにならなければ毎朝のお散歩なんて絶対していなかったーどんな状況にも良い事はあるものです。野の君は、コロナの前は紫色のジャカランダの花が満開の木の下を通って私が「綺麗だね」と言っても、「え??何が??」という位お花や自然に無頓着でしたが、最近は朝のお散歩の最中に「この花は基本的に白なのに、真ん中が赤で面白い」と言ったり、鳥の鳴き声を真似たりするようになりました。
ジャカランダの花。
お疲れ様です。
散歩の不機嫌、外ずらの悪い人は内ずらがいいと言われます。
あるいは、見知らぬ人東洋人に心を許すなと誰かが言っているかも知りません。
時間が経てば、」気心はきっと通じます。
小川久男
そうですね。
ありがとうございます。
真希子