ピアノバン大冒険から三週間を経て、段々色々な学びが見えてくるようになった気がします。
思いがけない成功だったピアノバン大冒険でした。SNSで最初に計画発表をした時から幅広い賛同と支持を得ました。サンフランシスコ滞在中は多くの人の太っ腹なおもてなしやご支援を頂き、そしてイベントにご参加下さった方々も打てば響くように積極的に音楽交流を楽しんでくださいました。ピアノバン終了後も、思いがけぬ人々から「ピアノバンの投稿、見たよ~」とか、「同じような計画を私が関係しているのNPOで協議しています。」などとご連絡を受けたりしています。
でも実は私は3週間前に帰宅してから、腑抜け状態だったのです。最初は肉体的な疲れだと思っていました。いつまでも眠れる。起きても動きたくない。頑張って仕事をしても集中できない。捗らない。(何でだ、マキコ!成功を喜んで、次に繋げろ!)気持ちがせいても体がついてこず、もどかしい数週間が過ぎました。
今朝、起き掛けに「ああ、私は打ちのめされていたんだ」と気が付きました。3週間目の自覚でした。
仮説的に「やはり普段交流の少ない貧困層などの方々の日常を垣間見た事がショックだったのか?」と考えてみました。でも、ホームレスの方々に演奏したりしたけれど、私はバンの安全もあったので一番ひどいキャンプ村に行ったわけではありません。その事には少し後ろめたさも感じたけれど、私が伺ったホームレスの共同体などは、皆清潔で友好的で朗らかで、それは多分ありえない。
「貧富のギャップを垣間見て、圧倒されたのか?」とも思いました。でも、私は結構そういう事はシビアな見方をする方です。一人のピアニストが出来ることは象徴的で、実際的ではありません。私は(多数の音楽家、皆で一緒にこういう事をしたらインパクトが凄いですよ)と言っているつもりで、私自身が社会の不正を正せるなんて、思った事は在りません。
イヤイヤ、私を打ちのめしたのは、全く予想をしていなかったことでした。
サンフランシスコに滞在した六泊七日の間、様々な人と腹を割って話す時間が多くありました。旅というのは、そういう物なんだと思います。そして今回は私は「音楽の治癒効果を届ける人」という立場を大前提にした訪問だったのです。そのせいでしょうか?会う人会う人、次から次へと幼児虐待やネグレクトの話しを私にして来たのです。ご自分自身のお話しをされた方も在れば、親しい方のお話しをされた方も在られました。
「もう昔の事です。」とか、「今ではあんなに立派になって…」など、しみじみとか、笑いながらとか、そういう風な口調で聞いたお話しの数々です。(今すぐ何とかしなければいけない!)という差し迫った話しでは無かったのです。(親しくなるためにはこれを知っておいてもらわないと、分かり合えないから)という感じで打ち明けられることがほとんどでした。でも今振り返って整理して考えて見ると、六泊七日中、私は毎日少なくとも一人からその類の話しを聞きました。
私がそういう話題を最初に提供した、とかそういう事は在りません。 私は最近「聴く」と言う事に集中しています。話しの内容だけでなく、その人の息遣い、発しているオーラ、声の抑揚や大きさ…そういう物の全てを受け止めるつもりで聴かせて頂く。それが本当の交流だと思う様になったのです。今回のピアノバンも、普段交流する機会が少ない社会層の方々の声を聴かせて頂きたいという態度で行ったつもりです。だから私がそういう話題を最初に提供した、という事は無いのです。
「持つ者と持たざる者」という分け方が在りますよね。私は自分や自分の周り人々の事を「持つ者」と分類して、今回は「持たざる者」と交流して、自分の世界や世界観を開拓するつもりでピアノバンに挑みました。でも気付いたのは、そういう分け方がいかに表面的であるか、という事だったかも知れません。物質的には豊かでも、愛情・良い親子関係・幼少時の思い出・愛する対象などなどを「持たざる者」は、社会層に関係無く、どこにでもいる。全員、一人一人の中にある。私達は皆、愛情を必要としている。
実はそれが、今回のピアノバンの一番の学びだったかも知れません。
私はピアノバンは赤字覚悟で、なんか凄い危険地帯に乗り込んでいくような戦々恐々とした気持ちで、「えいや!」と言う感じでやりました。その無防備さや、良し悪しも効果も未知だけれどまあ聞こえの良い大義名分が、周囲に「自分でも支援できる!」「自分の話しも役に立つかもしれない」と、一緒に「えいや!」とさせるきっかけを提供したのかも知れません。
お疲れ様です。
「私達は皆、愛情を必要としている。」
こころに響きます。
人は人から認められたいのです。
独りでは生きられないから。
この度の大冒険は、多くの人に、ピアニストが奏でる音楽が
自分を見つめ直すきっかけとなっていますね。
小川久男